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過疎化の止め方

は、今のところ「これだっ!」というものは存在しないかと思います。

※以下、過疎化について自由勝手に検証していますので、どうぞ広い広い心でお読みください。

一つだけ、一つだけ私が思う打開策があります。
それは

大人が楽しそうにする。


もうこれしかないです。
国が挙げて過疎対策や少子化対策をやっていますが、目に見える効果はこれといって表れていません。

楽しそうな大人が多くいること。
もうこれだけで、ある程度の人口流出は止められると思っていますし、少なからず少子化にも効果があると思っています。

え?たったこれだけ?
と思うかもしれませんが、案外本質を突いているんじゃないかと。

「創造的過疎」という言葉もあるように、過疎地域でも人は楽しそうなところに集まる。
なにかワクワクしそうなところに魅力を感じる。
そんな根本的なところを無視した過疎化対策・少子化対策があまりにも多い気がしてなりません。

日々のニュースや地域コミュニティーでは未来を嘆く話題がとても多く、明るい話題を占める割合は極端に低い傾向にあります。

それどころか、不安をあおる記事やニュース、不安な未来の話題は異常に盛り上がったりするので、ネガティブな雰囲気は余計に循環していきます。

もっと言うと、将来を不安視して経済的な見通しも立てづらく、毎日生活するのでいっぱいいっぱいであれば、そりゃネガティブにもなります。

そんな状況下では楽しそうな大人は増えていくわけがありません。

ですので、経済状況をよくすることこそが合理的かつ最短で明るい未来につなげられると考えられているので、過疎対策=経済対策というように位置付けられているのだと思います。
でも果たして経済状況が良くなれば過疎化は本当に解消されるのでしょうか。

まず、過疎とはいったい何なのでしょうか。
過疎化の定義にもよりますが、ここ隠津島神社があるこの場所も過疎地域です。
・出生数が減り
・地域外に若者が流出し
・産業が廃れて
・じわじわと人口が減っていく

というところがおおむね過疎の定義でしょう。
日本全国に過疎地域はどんどん増えており、数十年後には消えゆく自治体が出てくるとまで言われています。
そういった未来を避けるべく官民が協力してなんとか過疎化を止めよう施策を展開しておりますが、なかなか思うように進んでいないのが現状です。

そもそも過疎化とは、

地方から都市への流出によって人口が急減する状態を「過疎」と言い、この状態が進む状況を「過疎化」と言います。

人々が地方から都市に行かなければならない事情があったので結果として過疎化が進みました。
1950年~70年代の高度経済成長時代に、多くの人々が地方から都市へ流出したことが大きな原因だと言われていますが、その流れはいまだに続いています。

このことがよく過疎化の原因だと言われていますが、結果的にこの人口流動が起きて経済が成長したおかげで、現在の日本の豊かさがあるといっても過言ではありません。事実、高度成長期を経て日本は瞬く間に世界トップの経済大国に上り詰めました。

しかし、経済的に豊かになった一方で、その経済成長のために人々が疲弊してきた側面もあります。
インターネットを始め高度な情報化がすすみ、とりわけSNSの台頭で知らなくてよかった格差を目の当たりにしたりして、なんとなく閉塞感のある、生きづらい世の中になったもんだと、つぶやく人も少なくありません。

経済成長も人口流出もSNSも、人間が幸せになるためにはどうしたらいいかということを追求して発展した結果に他なりませんので、そのもの自体に非はまったくありません。

ここでの一番の問題は

自分の幸せについて考える時間があまりにも少ない

ことです。

幸せ=所得増加、という思考傾向は根強いです。
しかし可処分所得が増えれば一時的に幸せになれるかもしれませんが、何をもって、またどんな状態が幸せだということがわからないまま、収入の増加だけを目指しているのではないでしょうか。
家を買ったら、車を買ったら、人は幸せになれるのでしょうか。家の購入も車の取得も幸せになるため、幸せを感じるための手段にしかすぎないはずです。ですがいつしかそれらのものを手に入れる行為・手段が目的となってしまっています。そしてそのこと自体が経済成長をさせてきた背景でもあります。
物の購入で得られる幸福感は約一か月しかもたないという研究結果があります。
家を買ってから一か月は幸福感に満たされますが、それが過ぎるとあとは長いローンのことが頭を支配して、今までのあの幸せな気持ちはどこへ行ってしまうのでしょうか。
家を買うことを目的にせず、その素敵なお家でどのようにして生きていくかを目的にしたほうが幸福度パフォーマンスは明らかに高いはずです。

また、人口問題についても同様です。
地域の人口が増えれば一時的に発展するかもしれませんが、では一体どのくらい人口が増えたら発展を感じられるのでしょうか。
ある研究家は人口減少よりも人口増加の方が問題が起きやすいと提言しています。
もちろん、人口が増えれば経済規模も拡大するので、経済的な発展はしていくでしょう。触れ合える人も相対的に増えるので、様々な文化が興りやすくなります。
一方で、我慢を強いられるシーンは増えていきます。多くの人間が共存するようになるとルール(法律・条例)が増えていきます。その結果いつしか自分らしさを押し殺さなければならない、輪からはみ出せなくなる。
自分が幸せ過ごすためには、たくさんの人に囲まれた環境がいいのか、それとも人に左右されない静かな環境で過ごした方がいいのか、それを考えればおのずと居るべき場所が見いだされるのではないでしょうか。

どのような状況に身を置きたいか。
それらの一つの選択肢として

「楽しさ」

は、幸せに生きるうえでとても重要なファクターだと感じています。
人間は楽しいところに集まって来るという事実は、いろんな経験を経て身をもって感じています。

そして過疎化問題の根本原因はおそらくここにあると思っています。

田舎は楽しくない。


楽しくないから都市へ行く。

人口流出の一番の原因とされている仕事不足・選択肢の少なさは非常に大きな理由だと思いますが、やりたいことをさておいて収入のための仕事を選択せざる得ない環境にいる以上、地方での生活はあまりにも不利です。
ですが楽しく過ごしていれば仕事の選択肢はそこまで広くなくていいはずです。今の時代どこでも仕事が出来る世の中ですので、仕事がないという理由をもとに流出するというよりは地方は「楽しくない」という理由の方が納得できます。

楽しさの指標を表すものとして娯楽の存在も大きいと思います。
プライベートを重視する時代になってきましたので、当然と言えば当然です。
娯楽の種類や事業数は都市部の方が圧倒しています。そのことも都市へ向かう要素の一つでしょう。
しかし、その娯楽も実に多様化しており、必ずしも都市でなければならないものも多くないのではと思っています。都市に身を置いてまで充実させたい娯楽を持っている場合は何が何でも都市に向かうでしょうが、そこまでの情熱を持ち合わせていない場合は特段都市でなくてもいいはずです。
やはりこれも娯楽の少なさや選択肢の少なさそのものが流出理由なのではなく、やはり地方が「楽しくない」と思うことの方が大きい。

以上のことから検証すると、地方から都市に行く理由は、「都市が楽しそうな雰囲気」を醸し出してる場所であるからではないでしょうか。やはり都市はワクワクさせる何かがあります。

では逆に地方はまったく楽しくないのでしょうか。

「楽しさ」を感じる基準は人それぞれですが、エンタメなどをはじめ標準化された「楽しさ」はやはり地方より都市の方が感じやすいと思います。
ですが、インターネットが発展して以来、情報の伝達速度や共有範囲は、以前にも増して何かをするのに場所を選ばなくなってきました。
また、環境問題など社会問題に敏感になってきて、地方移住など自然に目を向ける若い方も増加傾向にあるようです。
そのせいか、以前よりも地元に残りたい若者の比率が増加傾向にあり、私の体感でも地方がつまらない、田舎は何もないと思っている割合はそこまで多くはなさそうです。

にもかかわらず若者を都市に向かわせてしまう原因は、やはり「大人」にあるかもしれません。
大人が醸し出すネガティブな雰囲気は少なからず若い方へ影響していると考えています。
周りを見ても楽しそうにしている大人は少ない。いつも大変そうにしている、俺のように苦労してほしくない、など、若者を思うが故の行動がそういったネガティブな雰囲気を醸し出してしまうのではないでしょうか。
また、コミュニティーの閉鎖化で面白い大人と触れ合う機会が減っていることも原因のひとつかもしれません。

「創造的過疎」として有名な徳島県神山町はとてもクリエイティブな場所です。
IT・デザイン・映像系企業のサテライトオフィスがあったり、アーティストや起業家がどんどん移住しているようです。
移住者たちのクリエイティブな発想が地場産業である農業にも刺激を与え、新しいビジネスやサービスが生まれ、地域内で経済がゆっくりと回り始めているようなので、おそらく神山町は人口増加を目指しているわけではなく、本質的な地方創生をゴールとしているのでしょう。

このようなワクワクする地方がいっぱいになったなら、「とりあえず都市へ」という選択肢は徐々に減っていくのではないでしょうか。

そのためにはまずは大人が人生を楽しむこと。
そして楽しさの価値は身近にあることを自覚することこそが「過疎化を止める」ことにつながるのではないかと信じています。
給料は上がらず物価は上がり、生活は苦しいかもしれません。楽しいことなんでなんにもないかもしれません。でも楽しくなくてもとにかく楽しいフリをした方がいい。若い方は大人をしっかり観察しています。

そして地方が少しずつ楽しい場所となっていけば、やがては日本を取り巻くネガティブな雰囲気も少しずつ払拭されていくのではないのでしょうか。

「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。」
ウィリアム・ジェームズ(哲学者・心理学者 1842~1910)

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