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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㊿ 『楽しいショーがはじまるよ』

「舞台の脚本を書いてみないかね」と友人に誘われたのが二年前。

 それはちょうど僕が脚本を担当していた深夜ドラマが打ち切りとなった秋の頃。『公然のアッコちゃん』というそのドラマは、ネットにより透明化された社会で会社員であるアキ子がプライバシーを失っていくという、デジタル世界における危機管理を題材としたブラックコメディ作品で、僕の意欲作だった。それが打ち切りとなり、当然自信喪失。ネット上では好意的な書き込みもあったものの、ほとんどは酷評という波に攫われていった。

「とにかく書いてみろ。なんとこれはな、エンハラの舞台なんだぞ」

「エンハラ?」

「おい、ジェロ吉を知らないのか?」

「いや、知らない」

 彼は僕の不勉強ぶりに嘆息しながら説明した。

 安藤ジェロ吉——25歳。今、小劇場界隈でその名を知らぬ者はない、もっとも注目されている新進気鋭の演出家である。大学在学中に立ち上げた劇団「演劇的ハラスメント」(通称、エンハラ)は同世代の若者たち、特に普段は演劇を熱心に見に行かない層を取り込み、どの公演も即完売、大変な人気を博している。また、エンハラの舞台に立ちたがる役者志望も後を断たない。いつもはジェロ吉が脚本を書き演出を担当しているのだが、ここらで一つ、劇団が描く世界の拡張を求め、外部に脚本を依頼したいとジェロ吉が語っているとのこと。

「実はな、もう既にジェロ吉に伝えてるんだ。お前が書くって」

「なんだって?」

 実はジェロ吉、件のドラマ打ち切りの際、僕を擁護してくれた一人なのだそうで、Xにてこう述べていた。

「アッコちゃん打ち切りはひどい。脚本家の矢部先生が悪く言われているが、そうじゃない。あの素晴らしい脚本を生かせない演出の問題だ。真っ黒焦げになった神戸牛を食わされるようなもの」

 どういう経緯でか、友人はジェロ吉に僕が書くことを請け負い、ジェロ吉も大層乗り気で喜んだそうである。活躍を続けるジェロ吉のこと、今後はテレビ・映画と八面六臂の活躍はもう疑いようのない必定であり、ここで評価されればアッコちゃんの汚名返上、どころかお釣りが来る。そう語る友人の熱意に絆され、僕も身体の内側から何か熱いものが湧き上がるのを感じこれを快諾。事前打ち合わせは無し。矢部先生の好きなように書いてください。というジェロ吉の言葉を受け、僕は本当にその通りに書いた。二ヶ月後。『ミッドナイト・イン・トーキョー』というタイトルの脚本が出来た。大晦日の東京の夜を舞台に繰り広げられる悲喜交々の群像劇だ。脚本を送った所、ジェロ吉からの返信は大仰な褒め言葉。

「すばらしいです。エンハラはこの演目をやるためにあったのだと思います」

 スケジュールが調整され翌年の四月に公演が決まった。

 年が明け、各種準備が始まり、チラシが完成した。作品の雰囲気がとてもよく表れた素晴らしい出来映えのチラシで、中央に小さく記されたこんなキャッチコピーも僕は気に入った。

「真夜中の東京は 素敵な魔法で溢れてる」

 三月の半ばに、プロデューサーから「よかったら稽古を見にいらっしゃいませんか?」と連絡があり、稽古場へ出向き、僕はそこではじめてジェロ吉と会った。礼儀正しく腰の低い好青年で、とても世間から「天才」と称されている男には見えなかった。また、自身が舞台に立てばいいのにと思うほど端正な容姿の持ち主であった。出演者たちも紹介してもらい、それから「通し稽古」というのを見せてもらった。

「どうでした?」とジェロ吉は僕に聞いた。

「うん、そのなんというか、ちょっと、いや、かなり気になる所があったのだけれど……」

 なにをどこから指摘するべきか分からないほど脚本が改竄されていた。

 最も許せなかったのは僕がこの話の核だと思って書いた美津子の独白シーンが丸ごと削除されていることだった。

「いやあ、ちょっとあそこは冗長ですよ」それを指摘するとジェロ吉はそう答えた。

「いや、だけど、あのシーンがないと終盤の美津子の台詞〝今、わたしの愛はスカイツリーよりも高く聳え立っているわ!〟が効いてこないじゃないか」

「そうっすかねえ」とジェロ吉はにやにや笑いながら言った。

「でもね、矢部さん、観客というのは我々が思っている以上に感じてくれるものですし、我々が思っている以上に感じてくれないものですよ」

 そんな最もらしいことを言われ、僕も黙ってしまったが、いや、意味が分かんないんですけど、と再びジェロ吉への怒りが湧いてきたのは家に帰って布団に入ってからだった。

 話は稽古場に戻る。

 休憩時間に美津子役を演じる夢野夜子という女優が僕の所へ来て、いかに自分がこの物語に心打たれたかを話してくれた。美津子として凛々しく芝居をしていたのが一転、目の前にいる彼女は実に純朴な女の子で、そのギャップに驚きつつも好感を持った。というか持ちすぎてしまった。

「わたし、自分ではお話しつくれないから、こういうの作れる人って尊敬しちゃいます」と不思議な吸引力のある目で僕を見上げ彼女は言った。

 それから本番までの期間、僕は二つの目的を持って時間の許す限り稽古場に赴いた。

 一つは、ジェロ吉のこれ以上の横暴を阻止するためであり、一つは、夢野夜子と少しでもお近づきになりたいという下心であった。結論から言うと、どちらもしくじった。

 ジェロ吉は日に日に脚本に手を加え、最早原形を留めないほどになってしまった。

 僕がいちいち修正を求めると、

「じゃあもうこうなったら多数決で決めましょうよ。矢部さんの方がいいと思う人」とジェロ吉が言うと、十人いる役者たちの内二人だけが手を挙げた。その二人の内に夢野夜子はいなかった。それでも僕は隙を見て彼女に話し掛けたがけんもほろろ。結局食事に行くことさえ出来なかった。

 後で聞いた話だが、夢野夜子はジェロ吉をはじめ、劇団員のすべての男と関係を持っていたそうである。そんな女に一顧だにされなかったことを喜ぶべきなのか悲しむべきなのか分からず、ただ胸の奥に重たくて暗いなにかが蟠った。

 稽古終盤に至り作品はまったくもって駄作に成り果て、もうこうなったら脚本クレジットから外してくれと僕は言ったが時既に遅し、ずるずると本番公演が始まった。したところ、これが大好評。どこぞの演劇賞でグランプリを受賞するなど大変な評判となった。脚本家・矢部隆の名は業界に知れ渡り、続々と執筆オファーが殺到した。けれども僕はこれをすべて断った。あれほどつまらないと思った作品をこれほど評価する世界に、僕の居場所は無いと思ったからだった。


 しばらくして夢野夜子から突然連絡があり、僕は食事に誘われたのであった。

 どんな甘言にも靡くどころか、意趣返しをするつもりで出掛けて行った。

 聞けば神奈川県に新設されたスカイウォークFMというラジオ局で毎晩23時にエンハラの劇団員たちが日替わりで番組を持つことになり、彼女は木曜日を担当することになったという。そこで番組内で朗読コーナーを設けたい、ついては僕に朗読原稿を書いてもらえないだろうかという話であった。

「こんなこと頼めるの、矢部先生しかいないんです」と、あの目に見つめられて、こちらが堅固に築き上げたバリケードは易々と突破された。そんなわけで、目の前に吊るされた人参を追いかける馬の如く、もうかれこれ五十本の作品を彼女の為に書き、今もまだ走り続けている。半笑いで。

 よかったら木曜日の23時にスカイウォークFMを聞いてみてくれたまえ。



・曲 桑田佳祐『炎の聖歌隊 [Choir]』


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は3月28日放送回の朗読原稿です。

この「木曜日の恋人」という朗読コーナーの原稿執筆をするにあたり、当初はまあ10本くらいは書けるだろう、と思って始めました。
気がつけばこの話で50本目となりました。
50本書いてどれほど成長出来たか、そもそも書く力が向上しているのかは自分ではよく分かりません。でも続けられてよかったなと思いますし、これからも書き続けていくだろうと思います。

朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。


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