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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㊼ 『きつね色に染まった日』

「かん、かん」となにかが屋根を打つ音で私は目覚めた。時計を見ると午前八時四十二分であった。年末の激務から昨夜ようやく解放されて、今日はなにがあっても昼までは寝てやろうと思っていたのに、雨だかミゾレだか知らぬが、とんだ邪魔が入ったものだ。私は猛烈に腹を立てたが、なんとかもう一度眠りにつこうと目を閉じた。やがてその音は、「かんかんかんかん」と激しさを増し、「が————」っと凄まじい音に変わっていった。

 これはただごとではないぞ、と寝床を飛び出しカーテンを開け外を見て、私は驚愕した。世界がきつね色に染まっていた。ベランダにまで散乱しているそいつを見つけ、状況がなんとなく理解出来た。空から大量に降って来ているのは、〝歌舞伎揚げ〟と呼ばれる煎餅であった。

 しかしなぜ? なぜ空から大量の歌舞伎揚げが? たしかに状況は理解出来たが、その状況は私の理解の範疇を大幅に越え、ただただ私を混乱させた。

 とにかく私はテレビの電源を入れた。ヘリコプターから見た、茶色に変色した東京が映し出されていた。どこのチャンネルでも歌舞伎揚げで覆いつくされた異様な光景を中継していた。23区内全域に渡り歌舞伎揚げが降り注いだという。交通網はすべて止まり、年末の帰省のために外出していた百万人以上の足に影響を及ぼした。その内、歌舞伎揚げの雨は止んだ。

 このように、「あるはずのないものが空から降って来る現象」をファフロツキー現象と呼ぶのだと、テレビで専門家が説明していた。

 大昔から世界各地でカエルや魚の大群が空から降ってきたという事例があり、原因として考えられるのは、竜巻に巻き上げられた、鳥が咥えていたものを落とした、人為的に行われた、などであるが、原因不明の事例も多く、はっきりとは解明されていない現象である。しかし、今回のように、これほど広範囲にこれほどの量のものが降ってくるのは、前例がないそうだ。

 すぐさまXにて、以下のような情報が拡散された。

「この歌舞伎揚げは宇宙からの飛来物であり、放射能を帯びているため、触ると被爆しますので気をつけましょう」

 内閣官房長官が会見を開いた。

 現在原因を解明中である。成分分析の結果、市販の歌舞伎揚げと変わらず、インターネット上で言われているような危険はない。が、念のため素手では触らないこと、絶対に口にはしないこと。そして不要不急の外出は控えること。といったことを話していた。

 再びXでは以下の発言が注目を集めた。

「歌舞伎揚げの雨は、政府がある法案を成立させるために降らせた自作自演である。その法案とは、このような緊急事態の際に……」云々。

 またある者は、これは某国が散布した食物兵器である。食べた者は三年以内に命を落とす。と言った。

 この椿事を起こしたのは自分である。と自供する者が現れた。曰く、日本国民よ、我々はいつまでもアメリカの属国でよいのか? 昭和二十年八月十五日、日本という国は滅びた。奈落の底へ落ちた。今こそ、奈落からせり上がり、華々しく舞台へ舞い戻ろうではないか、嗚呼絶景かな、絶景かな。と歌舞伎用語を持ち出して語った。このように自らの犯行であると言い出すものが二百五十人ほどあらわれた。起訴されたものはいない。

 別の方面からこのように述べる者もいた。聖書において「油を注ぐ」という言葉は神からの祝福を意味する。油で揚げた菓子が空から降ってくるというのはまさに日本は神に祝福されており、メシアの到来が近い。

 ちょんぼ、という若者から支持されているユーチューバーが、「検証! 空から降ってきた歌舞伎揚げは安全か?」というタイトルで、歌舞伎揚げを外から拾ってきて食べる様子を生配信した。「うん、味は普通の歌舞伎揚げっすね」とぼりぼり齧りながらちょんぼ氏はカメラに語り、「どうせ降ってくるなら、ばかうけの方がよかったなー」と言って笑っていた。これを模倣、あるいは進展させた動画が次々とアップロードされていった。

 ティックトックに於いて女子高生たちが音楽に乗せ、口移しで歌舞伎揚げを食べるという動画が世界で五億回再生された。また、男子高生が歌舞伎揚げで一杯になった学校のプールに飛び込む動画も注目された。

 そのあたりから、私はもうこの騒ぎについていくことを諦め、テレビとスマートフォンの電源を切り、再び眠った。


 その日の夜、窓から外を見ると、やはり尋常ではない数の歌舞伎揚げが散乱していた。私はふと、外に出てみることを思い立つ。人生で一度くらいはばきばきと歌舞伎揚げを踏みしだきながら歩いてみることも必要かもしれない。と思ったからだった。コートを羽織り、ブーツを履いて私は外へ出た。

 ばりばりばり、ばりばりばり、と私の靴底が音を立てる。

 百年後の人々は、百年前の今日、こんなことがあったと知っているのだろうか。これはなにか大切な意味を持つ出来事なのか、それとも一部の歴史マニアしか知らない出来事なのだろうか。十年後の自分がどのように今日をふり返るのかも、私には分からない。

 私はかがんで、道に落ちている中から、たった今袋から出したばかりのように綺麗な歌舞伎揚げを一つ摘み上げた。その歌舞伎揚げを眺め、私は昔交際していたある女のことを思い出していた。彼女は歌舞伎揚げが好きだった。彼女の家には、いつも歌舞伎揚げで満たされたクッキージャーがあった。今彼女はなにをしているのだろう。この騒動をどこから、どんな思いで見つめていたのだろう。それから私は、あの恋が自分にとってどんな意味を持つものなのか、考えてみようとした。

 私は空を見上げる。空は笑ってしまうほどいつも通りであった。そこには、まるで歌舞伎揚げのような満月と、金平糖のような星が煌めいていた。

 私は腕を空に目一杯伸ばして、摘んだ歌舞伎揚げと月を、そっと重ね合わせた。



・曲 坂本九 / 見上げてごらん夜の星を


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は12月28日放送回の朗読原稿です。

歌舞伎揚げという菓子を知らない・食べたことがない、という人はほとんどいないと思います。しかし、その知名度に比して、歌舞伎揚げを買ったことがある、という人は少ないのではないでしょうか。みんなでお菓子を持ち寄るとかケータリングとかにいつもあるから、自分で買ったことはないけど何度も食べたことあるお菓子ベスト3にランクインするはずです(雪の宿とか)。
かくいう私も歌舞伎揚げを買ったことはなく(多分)、先日人から歌舞伎揚げを頂きまして、まじまじと眺めておりました。
ずいぶん不思議な形だな、これが空からたくさん降ってきたらどんなもんだろうか。
こんなわけの分からない想像でも、文章で形にすれば喜んでくれる人がいる。
それはとても素敵なことです。

朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。


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