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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㊶ 『コミュニケイション・ブレイクダウン』

 悪夢を見ているような喧騒だった。

 いつもは閑散とした路線の閑散とした時間帯の電車内であったが、ある駅で停車した時、夏祭りか花火大会の帰りだろうか、若者たちがどっと乗り込んで来た。座席に座り文庫本を読んでいた私は、その若者たちの喧騒に読書を諦めて文庫本を鞄にしまった。目を閉じて心を無にしようと努めた。しかしながら、彼らの話す言葉が、容赦なく私の耳に飛び込んでくる。私の隣に座った女二人組の一人がこんなことを言った。

「マジ、超ポラってるよね、りゃんくが直でいーさー上げてもよくない?」

 私はその言葉をまるで理解することが出来なかった。しかしそれを聞いていた連れの女は違った。手を叩いて笑っていた。

「わかるー。ウチの彼氏も結構しゅれん振る時があるからさー、スリカンっぽいんだよね」

 それを聞いて相手はゲラゲラ笑った。「彼氏」という単語が出てきたことから察するに、どうやらこの二人は恋愛に関する話をしているようだった。まるでアメリカ人が話している会話を聞いている気分だった。いや、もしかしたら、英語の方が理解出来たかもしれない。最近の若者たちはみんなこんな言葉で話をしているのだろうか、それとも彼女たちが特殊なのか、私は前に立つ青年たちの話に聞き耳をたてた。一人がこう言った。

「そしたらさあ、もうりゃくがハケてセルポン待ちだったんだって」

「嘘つくなやー」と別の男が答えた。

「ガチガチガチ、アンスポでこすげる感じ」

「マジで? はろんでんなー。あー炒飯食いたくなってきたー」

 もはや私には二人がいったいなんの話題について話しているのかさえ分からなかった。いったいどういうことなのだろうか。先ほどの停車駅で私は何かのはずみで異世界に迷い込んだのであろうか。いや、ことはもっと単純で、ただ単に私が若者たちの言葉を理解出来ない、ということなのだろう。思い返せば、たしかにそんなことが最近よくある。

 仕事の取引先から苦情の連絡があり、担当をしていた部下を呼び出して事情を聞いた時のことだ。

「どういうことなんだ?」と私は怒りを抑えて聞いた。

「はあ、私といたしましては可能な限り先方とのコンサンスレクション、乃至は、ポリランスの観点からSTPに基づき、ノントレイルな関係と申しましょうか、最大限のバックスを取り計らって、相互に、且つ、包括的に、リンクレシブルな、要するに、ことわざで言う所の『坊主の腰砕け』、と言うと言い過ぎかもしれませんが、まあ、そんな感じですかね」

 私は腕を組み、目を閉じ、眉間に皺を寄せて彼の話を分かったような顔をして、分かったように何度か頷いた。が、何一つ彼の言いたいことが分からなかった。

「まあ、お前の言い分も理解出来なくもないが、現に先方を怒らせているわけだからなあ」と私は答えた。

 それから、こんなこともあった。

 休日に私は近所にあるチェーン店の喫茶店に行き、モーニングセットを注文した。

「このモーニングセットのAとBはどう違うの?」と私は若い女性の店員に尋ねた。

「ポンシュクが普通のがAセットで、ポンシュクをいしねた物がBセットになります」と彼女は答えた。

「ポンシュク? ポンシュクとはなんのこと? いしねるってどういう意味?」

「ええと……」と彼女は言葉を詰まらせた。それから責任者らしき男の元へ行って何か話していた。責任者らしき男が手拭いで手をふきふき、こっちを見てにやにやしながらやって来た。

「どうしました?」

「いや、その、ポンシュクとはなにかを知りたいのだが」

「ああ、ポンシュクってのはつまりアレですよ。ハガナミをデクストする前のもの、と言えば分かりますか?」

「いや、まるで分からない。ハガナミとはなんだね?」

「ハガナミは……、ええっと、なんと言ったらいいのでしょう、サリバドーの一種なんですけど」

 知ろうとすることを諦めた私はモーニングセットBを注文した。

「コーヒーはエンチェラードしますか?」と店員は聞いた。私はなにがなんだか分からず、「そうしてくれ」と頼んだ。

 出てきたのは、珈琲、トースト、サラダ、卵、だった。

 このどれがポンシュクなのか、私にはさっぱり分からなかった。そして珈琲が本当にエンチェラードされているのかどうかも、分からなかった。


 電車内の喧騒はますます激しくなっていった。

 私は両手の人差し指を耳の穴に入れ、耳を塞いだ。けれども彼らの声は、今や私の頭蓋のうちから響き渡ってきた。私の部下も、珈琲屋の姉ちゃんも、そして車内の若者たちが、にやにやしながら私を見ている。俺を笑うな。俺に分かる言葉を言ってくれ。自分が発声して心地いいサウンド重視のやり取り。言葉はお前たちを飾るためのアクセサリーじゃない。言霊と言って、言葉には魂が宿っているのです。日本語は美しい! 日本には四季があってとっても良い国です。日本に来日した、ん、日本に来日? って、重複表現じゃーん。いっけね。日本に来た外国人観光客の九割以上が「また来たい」って答えるくらい、日本は良い国なのです。

「うるせーうるせーうるせー、お前らみんなうるせー! 日本語しゃべれ!」と私は叫んだ。

 呆然とする若者たち。電車が駅に着き停車した。ヒソヒソと言葉を交わしながら若者たちはみなその駅で降りていった。

「マジ、カンポってるよ、あのおじさん」

「奥さんにショられたんじゃね?」

「会社でゲンスクあったんでしょ」

「いや、ほんと、カンポってるわ」

「帰りポンシュク食ってかない?」

「いいねー」

 いつものように車内は静かになった。

 向かいの席に座った私と同年代とおぼしき男たちの会話が耳に入ってくる。

「いやあ、大谷が今日またホームラン打ったって」

「へえ、すごいなあ」

 彼らの会話が完璧に理解できた。遠い異国の地でようやく言葉が通じる人と巡り会えたような安堵を感じ、私は思わず彼らに話しかけた。

「大谷選手は日本の宝ですよ! そう思いませんか?」

 彼らは引き攣ったような笑顔で「ええ」と答えた。私はすっかり安心して、鞄からまた文庫本を取り出し、世界で一番美しい言語で書かれた、本の世界に没入した。



・曲 LED ZEPPELIN / Communication Breakdown


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は8月10日放送回の朗読原稿です。

先日、僕自身が電車にてこのような状況、周りの若者たちがなにを話しているのかわからない、になり帰宅してこの話を走り書きしました。
「世代の隔絶」を書くというのは年を取った証拠だろうか、なんて考えていたのですが、書きながら思い出したのが、22、3歳の頃、これと同じタイトルで同じような話を書いたことがある、ということでした。
どうやら自分は昔から、コミュニケーションの不全とそれに伴う疎外感、といったものに関心があるのだと思いました。

朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。


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