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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㊺ 『ハウオリ・オラ』(後編)

 ハワイにやってきて三日後。わたしは三十歳になった。

 誕生日の早朝、まだ薄暗い時間に目覚めてしまったわたしは、一人で歩いてワイキキビーチに向かった。ダイヤモンドヘッドの頂から朝日が顔を出し、まるで太陽がわたしの誕生日を祝福してくれているみたいに、街を照らし出した。波は穏やかで、ココナッツの香りを含んだ風がわたしの頬をなでた。生まれ故郷から何千キロも離れた場所にいるのに、わたしは今まさに、故郷で過ごしているような穏やかな気持ちだった。ハワイという場所には、そういった包容力がある。たった数日過ごしただけなのに、もうすっかりわたしを受け入れてくれている。それともわたしが、すっかりこの島の虜になってしまっただけだろうか。ゆるやかな時間の流れ、大らかな人々。

 二日目と三日目はエッちゃんと二人で過ごした。数年ぶりに水着を着て海で泳いだ。エッちゃんはわたしより顔もかわいいし、わたしの三倍は胸が大きかった。水着を着てエッちゃんの隣にいると、わたしは富士山近隣の山の気持ちが分かったような気がした。

 誕生日当日はジェイクが車でわたしたちを観光へ連れて行ってくれた。ドールプランテーションで食べたパイナップルは最高に美味しかった。それから、ジェイクは観光ガイドブックにも載っていないとっておきの場所へも案内してくれた。

 途中でwi-fiのある場所を見つけて日本にいる母に電話を掛けた。母は国際電話は高いからとすぐに切ろうとした。

「あのね、お母さん、これWi-Fiでかけてるの。だからお金かからないんだよ」とわたしが説明しても母は分かったような分からないような反応をしていた。

「あなたが三十か。わたしも年を取るわけだ」

「お母さん、ありがとう」とわたしは言った。母はふふっと笑った。

「どういたしまして。そう言ってもらえると、三十年前の今日、お腹を痛めた甲斐があったってもんね」

 その晩、ジェイクはワイキキから車で一時間と少し北へ行ったノースショアにある彼の自宅に招待してくれて、庭でバーベキューパーティーを開いてくれた。彼の奥さんや、近隣の友人たちみんなでわたしの誕生日をお祝いしてくれた。そんなにお酒を飲んだ訳ではないが、急に眠気がやって来てわたしはトイレに立った。庭へ戻る前、ふらふらとジェイクの家のリビングにあったカウチに倒れこんでしまった。


 気がつくとわたしは森の中にいた。

 ゆっくり目を開けると何人もの男の人たちがわたしの顔を覗き込んでいた。怖くて声をあげることが出来なかった。その中の一人が言う。

「メーメー様、貴殿をこのようにお連れしたことを深くお詫び申し上げまする。我々がいかなる危害も貴殿に与えるつもりがないことを、どうかご理解いただきたい」

 言い終えた彼は振り返って言う。

「王子、メーメー様がお目覚めでございます」

 わたしはゆっくり体を起こす。そして気づいた。わたしを取り囲む人たちの小ささに。みな一メートルに満たないほどの身長で、腰巻き一つを身につけ逞しい上半身をあらわにしていた。王子と呼ばれた男が通るために人々がさっと左右へ動き、道を作った。わたしの方へ歩いて来る王子は身長が八十センチくらいでやはり逞しい身体をしていた。他の人との違いは、草で編んだ冠を被っていることだった。

「嗚呼、我が愛しい人、その名はメーメー。我が国の辞書の「美」の項目に、貴殿の名前を追加しよう」そう言って王子は、わたしの前に跪き、わたしの手を取って口づけをした。それから両手を自分の心臓にあて言った。

「嗚呼。なのにどうして。運命とはこうも非情であるのか。我々は住む世界が違う。共に生きていくことは叶わぬのだ」

 王子は天を仰ぎ片手で両目を塞ぎ大袈裟に嘆く仕草をした。ミュージカル映画でしか見たことのない動きだった。

「ねえ、もしかして、あなたたちって、……メネフネ?」とわたしは言った。全員の目がわたしに向いた。王子は答える。

「左様。我らは人間たちからメネフネと呼ばれている。メーメー殿、今朝浜辺にたたずむあなたを見た瞬間、我の進むべき道は決まった。それがあなたを幸せにするのなら、我はいつまでも飛び跳ね続けるだろう。我が道はあなたの幸福。しかし、嗚呼しかし、あなたがこの愛に応えてくれたとして、一緒に暮らすことは出来ない。ならば、せめて今宵、あなたの誕生日を祝わせてくれまいか?」

 王子様にそこまで言われて断れる人がいるだろうか。

「ええ。かまわなくってよ」と私はプリンセスになったつもりで答えた。王子はパチンと指を鳴らして家臣たちに告げる。

「皆のもの! 宴の準備だ!」

 大勢のネメフネたちが駆け回り、かがり火が灯され、一瞬にしてテーブル、食事、楽器などが運び込まれた。食べたことのない食べ物、飲んだことのない飲み物、聞いたことのない音楽、なんとも素晴らしい宴だった。王子はわたしにこれまでの彼らの冒険譚を聞かせてくれた。

「ハワイの虹はあなたたちが作ったって、本当なの?」とわたしは聞いた。

 王子は肩をすくめ、けれど誇らしげに答えた。

「ああ。本当だとも。気に入ってくれただろうか?」

「ええ、とっても」

「ところで日本の虹は七色だと聞いたが本当かね?」

「そうね、虹は七色と言われているわ」

「ふうむ。ならば我らはあと二色付け足して、日本の虹よりも荘厳にせねば」

「いや、今のままがいい。だってあれでもう完璧だもの」

 王子は嬉しそうに微笑んだ。

 時間はあっという間にすぎていき、とうとうお別れの時が来た。

「メーメー殿、これだけは忘れないでほしい。あなたがどこにいようと、我々はいつもあなたを見守っている。目が覚めた時、ここで過ごしたことを夢だと思うかもしれない。その時は、西の空を見上げるのだ」

 わたしはかがみ込んで、小さな王子様にキスをした。

「嗚呼、愛しい人よ、ハウオリ・オラ」


 目が覚めると、わたしはジェイクの家の庭に置いた椅子に座っていた。外は明るくなり始めていた。ジェイクの車が家の前に停まり、エッちゃんが駆け降りてきた。

「メーメー! どこ行ってたの! 心配したんだから」

 エッちゃんは泣きながらわたしに抱きついた。トイレに行ったと思ったら行方不明になったわたしを、みんな夜通しで近辺を周り捜索していたそうだ。

「ごめんね。わたしどこにいたんだろう? なんか変な夢を見てた」

 そこでわたしはハッとしてジェイクに尋ねた。

「ジェイク、西ってどっち?」

 彼はちょっと考えて西を指差した。それは家のある方向で、空がよく見えなかった。わたしは道路の方へ歩いて行き、振り返って西の空を見上げた。

 そこには美しい、息を呑むほど美しい虹がかかっていた。

「ねえ、ジェイク、ハウオリ・オラってどういう意味?」

「ううん、そうだな、〝幸福や喜びに満ちた人生〟ってところかな」

 わたしは虹に小さな投げキッスを送りつぶやいた。

「ハウオリ・オラ」

 その時わたしはふと、自分がもう二十代ではないことを思い出した。

 三十代は、どんな十年になるんだろう。どんな困難があったって、わたしなら乗り越えられるだろう。前途洋々。なんだってかかってこい。



・曲 吉村由美 /  V・A・C・A・T・I・O・N


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は9月7日放送回の朗読原稿です。

前回のつづきです。

Dream Nightのパーソナリティ東別府夢さんの祝30歳記念作品でございました。

朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。


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