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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㊴ 『まるでジャニスの歌のようだ』

 ワイパーを最高速度で作動させても、前方が不明瞭なほど激しい雨がフロントガラスを打ち付けている。昼下がりでも薄暗く、人も車もない国道を、私は慎重に東から西へと車を走らせていた。

 ふいに大きな影が対向車線からこちらの方へ向かってきて、私の心臓はどきりと大きな脈を打った。目を凝らして私はふっと笑いを漏らす。なんてことはない、それはただのヒッチハイカーだった。少し先で停車すると、ヒッチハイカーの二人組がこちらに駆けて来た。私は窓を開ける。二人は随分若かった。若い男と女。おそらくまだ二十歳を超えてはいまい。パーカーのフードを被り雨を防いでいた少女が私に言った。

「乗せてもらえませんか?」

「かまわないよ。どこまで?」

 彼女の視線は道の先へ向かった。その眼差しは、私にある少女を思い出させた。

「どこか遠くまで」

 私がドアを開けてやると二人は後部座席に飛び乗った。


 後部座席という安全地帯に収まった二人は何か言葉を交わしあっていた。エンジン音と車体を打つ雨音に掻き消され、二人がなにを話しているのか私には分からなかった。私は彼らをバックミラー越しにさり気なく観察していた。主に少女が話しかけ、少年は頼りなさそうに微笑んだり、なにか返事をしてから窓の外を見入っていた。彼は雨でぼやけた車窓をその年代特有のやり方で、つまりこの世界になにか不満を抱き、面白くなさそうに眺めていた。彼はその不満を顕在させるかのように髪を茶色く染めていた。一方で、少女はこれから素晴らしい未来が待っているのだと信じて疑わない晴々とした表情をしていた。フードを下ろした彼女は、とても可愛らしい顔立ちをしていた。おそらく二人は恋人同士なのだろう。時折手を握りあっていた。鏡越しに何度か目があうと、彼女は運転席と助手席の間に身を乗り出して私に話しかけた。

「本当にありがとうございます。助かりました」

「君たちはこの辺り出身?」

 彼女は首を振った。

「旅の途中、というわけか」と私は言った。

「うん」と彼女は答えた。

「でもそれはみんなから祝福された旅ではない、そうだろ?」

 彼女はまた後ろのシートに背を預け、「まあね」と言ってため息をついた。

 私は再びバックミラーの彼女に話しかける。

「あまり家族を心配させちゃ駄目だよ。ちゃんと連絡するように」

 二人はなにも答えずそれぞれ左右の流れる景色を眺めていた。

「実を言うとね、僕も君たちと同じくらいの年の頃に、ある女の子と、君たちと同じように、旅に出たことがあるんだ」

 二人の視線が私に向いた。

「僕らは、この世界のどこかに僕たちのための場所が用意されているのだと、本気で信じていたし、それを本気で探そうとしていたんだ」

 私は今走っている国道の片隅に、何光年も離れたところにいるはずの〝僕たち〟を見つけた。後部座席の二人のように、僕たちは誰にも告げずに旅に出たのだった。気温も湿度も心地よい季節だった。僕たちもヒッチハイクをし、トラックの運転手が拾ってくれた。彼は随分と年上でおじさんに見えたけれど、今にして思えば、現在の私よりも若い、三十代の半ばだったのかもしれない。運転手のおじさんは僕たちに随分と好意的で、途中でレストランに寄って、ご飯を食べさせてくれたりもした。

「きみたちはまるで、ジャニスの歌のようだ」と彼は運転しながら僕らに言った。

「ジャニス?」と後部座席の彼女が私に尋ねる。すると隣の少年が答えた「ジャニス・ジョプリン」。私にはそれが意外だった。「大昔のアメリカの女性シンガー」と私は補足し、初めて彼に話しかけた「君は音楽が好きなんだね」。

 彼は肩をすくめただけでなにも言わなかった。

 僕らは二人ともジャニス・ジョプリンなんて知らなかった。おじさんはカセットテープが詰まった箱を取り出して僕に渡した。

「ほら、この箱のどこかにジャニスが入っているはずだから探してごらん」

 僕らは二人で手分けをして一本のカセットを見つけた。そして聞いたのがジャニス・ジョプリンが歌う「ミー・アンド・ボビーマギー」という曲だった。

「これってどういう歌なの?」と僕の隣にいたあの子が運転手に聞いた。

「旅する二人の歌さ。〝自由とは何も失うものがない〟ってね」

「ねえおじさん、わたしたちはわたしたちだけの場所を見つけられると思う?」とあの子は聞いた。

「見つけられるさ、ああ、見つけられるとも。でもな、それはいつだって必ずしも君たちが望んだ通りの形をしているとは限らないよ。だから目を凝らしてよく見てなくちゃならん、車を運転するよりも慎重に見ていないと、通りすぎちゃうぜ」

「それから、どうなったの?」今やまた身を乗り出していた少女が私に聞いた。

「僕たちはおじさんの忠告も虚しく、どうやら通り過ぎてしまったらしい。目指していた場所をね」

「その彼女とはどうなったの?」

「それからしばらくして別れたよ。もう二十年も会ってはいないし、どこでなにをしているのかも分からない。風の噂では結婚して子供を二人産んだそうだ。片や僕も結婚して子供が一人いて、仕事の出張先から帰る途中さ。こういう生活を望んでいたのかは分からない。でもだからと言って決して不満があるわけじゃない。それどころか満足しているよ。人生とはおおむねそんなものさ」

「ふうん」と彼女は言った。

 雨は一向に弱まる気配を見せず、窓を打ち続けている。

「君たちが目指す場所へ辿り着けるかは分からない」私は心の中でそう呟いた。

「けどね」と私は声に出して言う。

「君たちには見つけてほしい。僕たちに見つけられなかったものを」

 少年の手が少女の手を覆うのが見えた。

 私はスマートフォンを手に取り、Bluetoothでカーオーディオに接続し、Spotifyで「ミー・アンド・ボビーマギー」を検索して曲を流した。

「ほら、これがジャニスの歌だよ」



・曲 Janis Joplin / Me and Bobby McGee


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は6月29日放送回の朗読原稿です。

海外の音楽をよく聞くという方は分かると思うのですが、外国語で歌われた曲を聞いていると歌詞が分からなくても、「ああ、この曲はこういうことを歌っているんだな」と感覚的に理解できる瞬間があります。
あとになって翻訳された歌詞を読んでみてもその通りだったりするんですよね。
年代や場所を飛び越えて、すーっと一つの音楽が何にも邪魔されずに自分に届いたような気がして、そういう瞬間は、ちょっと特別に感じてしまいます。
ジャニス・ジョプリンが歌う「Me and Bobby McGee」という曲は僕にとってそういう曲の一つであります。

朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。


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