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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㊹ 『ハウオリ・オラ』(前編)

 丁寧にサーブされた機内食を、わたしは感動と共に眺めた。

 隣に座っていたエッちゃんは、そんなわたしの様子を見て言った。

「え、メーメー初機内食?」

「そうだよ。というか、飛行機だって修学旅行で沖縄に行った時しか乗ったことないし」

「そっか、海外がはじめてなんですもんね」

「うん。機内食って憧れだったんだよねー」

 わたしは何枚も写真を撮ってからようやく食べた。

 食べ終えた頃、機長のアナウンスがあり、飛行は順調で、予定通りあと六時間もすれば目的地のホノルル空港に到着するとのことだった。

 わたしは窓の日よけを上げて外を見てみた。真っ暗でなにも見えない。見えたのは、窓を覗き込むわたし自身の顔、日々の生活の疲労が滲み出ていて、もうすぐ三十路に突入する女の顔だけだった。

 あんまり年齢のことなんて考えない方だけど、やっぱり十の位の数字が変わるのってちょっとドキッとする。

「いい歳して」なんて批判の言葉があるくらい、世の中にはこの年齢の人はこのような言動をしなくてはならない、という厳格な規範が存在する。それに従うべきなのだろうか?

 どんなに年を取っても新しいことに挑戦する人は素敵だなって思うし、自分もそうでありたいって思う。けど……

 けどやっぱり若いうちにやっておくべきことってのはたしかにあると思う。

 誰かを熱烈に愛する、だとか、寝食を忘れてなにかにのめり込む、だとか、あるいは村上春樹の小説やジャン=リュック・ゴダールの映画に夢中になる、だとか。そうした経験がのちの人生をより豊かなものにしてくれる、要するに、二十代での経験が人生における分水嶺となることは大いにありえるんじゃないかと思う。で、自分はどうか。このまま二十代を終わらせていいのだろうか、永遠に戻ってこない二十代をこのまま終わらせても?

 三十歳の誕生日を迎えるひと月前、わたしの頭にそんな疑問が急に湧いた。湧いたと思ったら、そのまま居座ってしまったので、わたしは居ても立ってもいられなくなり、友人であるエッちゃんを誘って海外旅行に行くことにした。「海外旅行」というのが、わたしの「二十代のうちにやりたいことリスト」のトップにあることだった。エッちゃんはわたしより五つ年下なんだけど、人生経験豊富でなんだって出来る女の子だから相談してみたら、すぐに旅行の計画を立ててくれた。行き先は彼女が何度も行ったことがあり、現地にも友人がいるというハワイに決まった。飛行機やらホテルの手配をしてくれて、あれよあれよと出発の日を迎えた。

「ハワイで三十歳の誕生日って最高じゃないですか。ああ、わたしも早く三十歳になりたいな」

「わたしもね、エッちゃんくらいの年の頃にはそう思ってたけどね、いざなるとなると……、ビビるよ」

「わたし、メーメーみたいな大人の女になりたいんです」

 エッちゃんはわたしのことをメーメーと呼ぶ。「めぐみさん」と呼んでいたのがいつしか「めぐ姉」になり、それが縮まって「メーメー」になった。

「大人の女? わたしが?」

「うん、メーメーは大人だよー」

「……そうね、なにかするにしても、後先考えてなかなか踏ん切りがつかなくて、うじうじするのが大人だって言うんなら、たしかにわたしは大人かも。わたしはね、思い立ったらすぐに行動に移せるエッちゃんみたいになりたいなっていつも思うけど」

「えー、そう? あんまりおすすめしませんけど」


 羽田空港を出発して約七時間後。わたしたちが乗った飛行機はホノルル空港に到着した。飛行機を降りてまず感じたのは、ココナッツのような甘い香りだった。それは楽園の香りと呼ぶのにふさわしい香りだった。

 空港にエッちゃんの友人であるジェイクが迎えに来てくれた。ジェイクは、ジェイク・イケダという日系五世のアメリカ人だ。ジェイクは日本語はほとんど話せない。そしてエッちゃんは英語をあまり話せない。不思議なことだが、それぞれ母国語で相手に話しかけるのに、なぜか話が通じ合う。

 たとえばエッちゃんが「ジェイク、お腹すいた」と日本語で話しかけると、すかさず「なにが食べたい?」とジェイクは英語で答える。母国語で話しても相手に通じる。そこがエッちゃんのすごい所だ。そういう人ってたまにいる。

 ジェイクに市街地のホテルまで送ってもらってチェックインを済まし、それからまた車に乗って観光に出かけた。写真や映像でしか見たことのない、日本とはまったく異なる作りの建物や街並みを彩る色とりどりの花、真っ青な海、それからダイヤモンドヘッドなど、わたしは一つ一つの景色にうっとりとして、本当に来てよかったと心から思った。車が右側通行をしているってことだけでもう感動してしまった。

 アラモアナ・ショッピングセンターで昼食と買い物を楽しみ、外へ出ると突然のスコール。わたしたちはあわてて車に飛び乗った。雨は凄まじい勢いで降り、あっという間に止んだ。ジェイクが空を指差す。指の先の空には虹が掛かっていた。

「ハワイの虹はね、メネフネたちが作ったものなんだよ」とジェイクは言った。

「メネフネってなに?」

 ジェイクによると、メネフネというのはハワイに伝わる伝説上の妖精だという。見た目は人間と変わらないが、普通の人間の半分ほどの大きさで、筋骨隆々でたくましい身体をしているそうだ。チームワークが抜群で、人間が眠っている間に巨大な建造物を一晩で作り上げることが出来るらしい。そしてハワイの虹を作ったのもこのメネフネたちなんだとか。彼らは、王家の羽の「赤」、イリマの花の「オレンジ」、バナナの「黄色」、シダの葉の「緑」、海水の「青」、女王のシルクのドレスの「紫」、これらの材料を集めて六色の美しい虹を作った。

「そうやって彼らは、人間に水や雨の大切さを教えてくれたんだ」とジェイクは説明してくれた。

「素敵ね」とわたしは言う。


 そう。メネフネたちはとっても素敵な人たちなのだ。今のわたしはそのことをよく知っている。なぜなら、このハワイ滞在中に、わたしは彼らに会ったのだから。


つづく



・曲 Teresa Bright / In a Little Hula Heaven


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は8月31日放送回の朗読原稿です。

今週の「Dream Night」はパーソナリティの東別府夢さんが二十代最後の放送ということで、内容もそれに合わせてみました。
後編の朗読は来週、9月7日に放送されます。

朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。


※追記
↓後編です。


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