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「鏡子の家」―天才の失敗作―

この一つ前は不倫小説「美徳のよろめき」、次は裁判沙汰を起こした「宴のあと」。
1958年3月〜1959年6月にかけて執筆された。三島の年齢は33〜34歳。

さて「鏡子の家」の一般的な評価は

三島由紀夫最大の失敗作

これで決まっている。

しかし、なぜ「失敗作」になったのか。
三島は二年前に「金閣寺」を書き、作家として絶好調だった。

本記事ではその理由を考えてみたい。

あらすじを先に紹介する。

作品の舞台は1954年〜1956年。

鏡子は社会秩序を信じない女性。
その無秩序なサロンには四人の馴染みの青年がいる。
やり手のサラリーマンにして世界滅亡を信じる清一郎。筋肉に価値を見出す美少年の収。ボクサーの峻吉、画家の夏雄。
しかし鏡子も彼ら四人も、最後にはみな悲劇的な結末を辿る……。

よく批判される点は、この四人の青年の物語が有機的に結びついていないこと。

※ただし作者三島の意図通りでもある。
以下三島本人の言葉。
『孤独な人間が孤独なままでささえているのが現代(略)ストーリーの展開が(略)ふれあわない。反ドラマ的、反演劇的な作品だ。』

作品は厳密な二部構成。第一部では四人の青年の成功譚が、第二部ではそれが駄目になっていく様が書かれる。

〜なぜ失敗作となったのか?〜

とにかく語るのが難しい作品だ。読んだことのある人は共感してくれると思う。
ドラマに欠けた小説は全集で500ページ以上のボリュームを持ちつつも盛り上がりや華々しさに欠ける。

そして更に語りにくいのが、厳密には「失敗作」と呼べないことにある。
確かに三島の言った通りのことができている小説だ。技術としても申し分ない。青年四人の物語をパラレルに書き分けつつ、鏡子のサロンまで書く。5つの視点を支え続けるタフさは認めるべき技術だ。

では、何故「鏡子の家」は失敗作の汚名を着せられたのか。批判者が全員ボンクラ&ノータリンだったのか。
そんなことはない。確かに失敗作なのだ。

結論:「鏡子の家」には読者の入る余地がなかった。

元々三島由紀夫という作家は作品を読者に開く力の弱い作家だ(と思う)。
しかし三島の求める「美」の追求の真剣さが読者をして作品に肩入れをさせる力となっていた。  
しかし「鏡子の家」は「美」に対する追求が困難な時代を扱っている。
資本主義と自由民主主義が複雑に絡みあい、人間がその生命力を真綿で首を絞められるように失くした「戦後日本」を語ろうとする、三島由紀夫の悪戦苦闘の作品である。
と、なると当然作品が読者に分け与える力は(本人も無自覚のまま)弱くなる。
そうした作品の「訴求力」の弱さこそ、「鏡子の家」の失敗作である理由ではないか。
青年たちの結びつきの弱さが気になるのも、この「訴求力」の不在が感じさせるものと見てよいのではないか。
個人的にはそう思っている。

〜「鏡子の家」の限界〜

【失敗作とはそもそも何か?】

小説を読んで、「ああ、失敗作だな」と思ったあと、すぐどこがおかしいか分かる作品と分からない作品がある。
前者は堀辰雄「風立ちぬ」(個人的に失敗作だと思っている)や村上龍「希望の国のエクソダス」であり、後者は村上春樹「1Q84」やこの「鏡子の家」だったりする。

そうしたとき考えるのは、作品の「限界」だ。
失敗作というのは必ずどこかに「限界」を持っている。
たとえば「日本VS西洋」―アホみたいにチープな主題だったり、子どもや女性といった社会の周縁に置かれた人々に対する配慮が足りなかったり、とにかく「何か」が欠けている。
仮に満ちすぎているならそれは「意欲作」と呼ぶべきだ。
だから「失敗作」には必ず何かが欠けている。つまり、作品に「限界」がある。
筆者は「失敗作」をこの「限界」があるかどうかで決めている。

「鏡子の家」の話に戻ろう。どこが欠けているのか。
すなわち―「終戦直後の無秩序VS戦後日本の秩序」―この問題提起のやり方に「鏡子の家」の「限界」がある。

「鏡子の家」―「戦後日本」の世界ではすべてが相対化されている。もはや英雄も悪漢も善も悪もない。すべてが生ぬるい「日常」に溶け込んでいく。

やり手のサラリーマン清一郎は妻の藤子を(この描写には差別意識があることを明記しておく)ゲイの男性に取られる。
峻吉はバーで不良と揉めボクサーとして再起不能にされ、右翼団体で活動を始める。
美少年の収は高利貸しの女と心中する。
画家の夏雄は神秘主義に呑まれ、何とか抜け出す。
―何もかもが無意味に死んでいく、終わっていく。
この小説で唯一そこそこの「美」を保っているのは「鏡子の家」の無秩序なサロンだが、それも最後には夫が大勢の犬とともに帰って来て消滅する。

この三島の空虚感・絶望は十分な説得力を持っている。

しかし問題なのは、幾分ノスタルジックに語られる終戦直後の日本の姿だ。
「鏡子の家」では明日なき無秩序、廃墟の自由があったとされる―つまり「戦後日本」の平和と比べたとき高い価値を見出される「終戦直後の日本」―これが筆者にはどうにもそれほど素晴らしいものと思えない。

そこには多くの無様な暴力と、「鏡子の家」どころではない犯罪が溢れていたはず。それも三島好みのロマネスクなものではない、生きるための、切羽詰まる。
だから、「終戦直後」―この後の三島作品でも高みに置かれる戦中・終戦後―は、決して万人にとって気安く「無秩序の自由」などと思えるものではない。

「鏡子の家」の最大の失敗がここにあると筆者は思う。「戦後日本」の繁栄に対する批判性は認める。しかし、その対抗者として終戦直後の日本を持ち込むのは、十分普遍的な説得力を持ち得ていない。

〜鏡子の家if〜

ではどうすればこの問題点を払拭できるのか。
一つはこうした虚無を徹底して書くこと―すなわち「鏡子の家」的なものの排除だが、これは三島が書く意味を失わせることになりかねない。

だから、おそらく対抗馬を終戦直後の日本/廃墟といった限定的なものではないところに設定するべきなのだと思う。

そこで考えるべきは「戦後日本」を覆うこの価値観とは何だったのか、ということだ。

〜「鏡子の家」において権力とは何か〜

結論:「戦後日本」とは「権力」の時代だった。

作品を通してこの四青年の破滅の描写を見たとき、一貫しているものがある。
「権力」の介入だ。
それは清一郎をニューヨークに出張させ藤子の浮気の原因を図らずも産んだ山川物産、峻吉を雇った八代拳、収の母親のカフェに金を貸す高利貸しの秋田清美、夏雄を神秘主義に引きずり込む中橋房江(男性である)―四青年を破滅に導くのは、いずれも間に立つ「権力」(構造)の存在である。

「権力」とは何か。これはここで扱う話でないから手短に言ってしまう。
それは「上下」の関係を持ち、その「上下」の応答性が歪なものを指す。
たとえば上役の言葉は聞き漏らしてはならないのに若手の声は潰される―人間の「声」「声の応答」に優劣をつけるシステム―それがここで扱う「権力」の定義である。

としたとき、「鏡子の家」が闘う必要があったのは「日常生活」ではない(それは否定する必要のない領域だ)。
「鏡子の家」が真に闘うべきは戦後日本の日本国憲法の理想も三島の「美」も等しく踏みにじり、ただ生きてさえいればいいというようにそこにある人間の「生」の暴力性、また「生」という本来ひとしなみなものが上下の別をつけられる乾いた権力性に対してではないか。(あるいは筆者の一人よがりかもしれないが)

このとき、三島由紀夫は「鏡子の家」で「天皇」を殺すべきだった。
あらゆる権力と中心を否定し、人間の生をイノセントな―差別されることない地点までたどり着かせること。
中立地点、空白、空き地―それらは「戦後の」という狭い限定を越えて、人間の純粋な命の姿、現代社会に対する別種の社会制度―多くの広がりを持つはず。

反権力/非権力としての三島由紀夫を、私は「鏡子の家」の向こう側に見る。あったかもしれない、だがやはりなかった、一つの可能性として。

たらたら書いたものである。多くの読者には読む必要のある小説ではないと思う。
もし今から読むなら「金閣寺」と「憂国」をおすすめする。図書館が利用できるなら文学全集で読むと、一昔前の文学青年の気分が味わえて楽しい。読みながら「人生というのは、つまり空虚だ」と呟くとなおいい。





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