森茉莉「恋人たちの森」

恋人たちの火は 太陽も月も無い、
 鈍い黄金色きんいろ果実くだものと、
  薄紅うすあかい、花から発する光の中に
 映し出された
   黒い華麗な森の中でもえ 
 その炎はいつの日がきても、消えることが、
  無かった。
                 義童ぎどう

森茉莉氏の「恋人たちの森」冒頭に置かれた詩篇。
筆者は男性同士の同性愛を扱う作品には疎いが、いわゆる抱く側がこの詩を創ったギドウ(義童)、抱かれる側がパウロ(巴羅)で当っているだろうか、本作は彼らの恋愛模様を豪奢な文体で描き出した短編である。 

この二人の特徴について見ていきたい。
ギドウは、

つよい首を持った三十七八の美丈夫で、仏蘭西フランス人の特徴が顕著である。だが皮膚の色は浅黒く、日本人の日本語を話している。知識を潜めていることがすぐにわかる額だが、広くはなく、黒い髪が濃い。仏蘭西人によくある大きな、丸みのある眼には何処か剽軽ひょうきんな味と一緒に、南洋の島なぞにいる毒のある蛇のような感じがある。その若者を見ていると、二重写しのようになって、千七百七八十年代の仏蘭西の書物にある、アルファベットに林檎りんごの枝なぞのからんだカットが見えてくる。鵞鳥がちょうの羽のペン、羊皮紙の巻物、首を幾重か巻いて花形に結んだ白絹の襟飾えりかざり、あるいは又バスチィユの牢獄ろうごく内の寝台、マラアの半裸身が乗り出している陶器の風呂桶ふろおけ、短い洋袴に徽章きしょうのあるベレを被りEgarité・Liber-té・Fraternitéのプラカアドを持ったサンキュロット、そんなものが出て来る。智慧ちえと達識のありそうなこの若者は、たしかに仏蘭西の名誉と、仏蘭西の淫蕩いんとうとを、内側に潜めて、いた。

「バスチィユ牢獄」―バスティーユ牢獄。ここへのパリ民衆の襲撃が一般にフランス革命の開始と言われる。
「マラアの半裸身」のマラアは聖母マリアのこと。
「洋袴」はズボン。「徽章のあるベレ」は主に金飾りの紋章のついたベレー帽、途中に出てくるフランス語は「自由・平等・博愛」を指す。「サンキュロット」は都市の最下級労働者。ただ意味が「貴族のキュロット(半ズボン)を履けない者たち」だから、「短い洋袴」は矛盾するか。

パウロは、

(略)十七か十八か、まだ十九にはなっていない。(略)若者の眼はひどく美しくて、夢みるようだが、中に冷たい、光がある。その眼はわかい、ぎ澄ましたような美貌びぼうの、幾らか反り気味の小ぢんまりした鼻の、鼻梁びりょうかげめこまれていて、鋭い面を持った工芸品に象眼ぞうがんした宝石のようである。柔順で冷淡で、だが充分に抜け目のない、はしこい眼である。意志は弱そうだが、自分の欲望や快楽のためになら、幾らかの意志を持たないわけではない。そんなように、みえる。どことなく釣合った年相当の相手ではなくて、気懈けだるい体を横たえている年上の女のそばか、又は彼を愛撫あいぶする男の傍にいることが似合っている、そんなところがある。

さて、すでにお腹いっぱいの感じはあるが、「恋人たちの森」の真骨頂はここからである。ギドウとパウロの愛し合い、睦み合うその気配―それは栄養豊富のスープのように魂を癒やしてくれる。

ギドウのパウロへの熱情の高まりは、三日を置いた次の機会にも衰えずに、いた。午後の六時、「茉莉」の扉を開けて入って来たギドウは、ストレエトを一つ飲むとすぐにパウロを連れて、北沢の自分の家に行った。夜、暴風雨あらしの中で若い樹々が打ち合い、からみあって、樹々の枝は雨に洗われて耀かがやいた。若い木は水の中の逃走する蛇のように美しいりを打ち、倒れ伏す樹々たちは打ち伏したまま、永遠に起き上る時はないようにも、みえるのだ。そんな恋の時刻の後、夜になった部屋は静かで物音も、なかった。
白い絹の襯衣シャツの胸をはだけたギドウは、書物机かきものづくえひじをつき、精悍せいかんな眼をパウロに向けた。

「茉莉」は二人の馴れ初めの酒場。

ギドウには植田夫人という熟年の―すでに飽きかけている―恋人が、パウロには梨枝という―やはり本気ではない―恋人がいる。二人はお互いの恋人について一戦交える。

「ギドウこそ怪しいんだ」
ギドウはパウロを見た。
「植田さんのことだろう?まあ何とでも思うさ。パウロだっているじゃないか。何処どこのお嬢さんだい?バスの中に俺の眼があったのを知らないんだな」
パウロはしんから驚いた顔になった。
「知ってたの?……ひどいや」
「可愛いじゃないか」
ギドウが微笑わらった。パウロは不貞ふてたように仰向あおむけに寝転び、下眼遣いにギドウを見ている。
「変な顔じゃあないけど」
「悪いところのない顔だね。どっちから見てもおかしくない顔だ」
「そう。それがいい点。……だけど僕の方はちんぴらだもの。何でもないや。ギドウのひとはすごい奥さんでしょう?それに僕の方は向うから来たんだぜ」
「俺だってそうさ」
(略)
「だけど、凄い奥さんなんでしょう?」
「見たいか」
「うん」
パウロはギドウの方に振り向いて、言った。ギドウの眉根の縦皺たてじわを見逃してはいないパウロは、もう機嫌が直っている。
「明日フウド・センタアへ来てごらん」
「あそこで食べるもの買うの?何時頃?」
「五時十五分位にしよう」
(略)
「もう、少し黙っていてくれよ」
(略)
「上の電気消す?」
「うん、いい」
「ジュ トゥ オルドンヌ、アッソア イッシ」(此処ここへ来てすわるの)(注:自分のところに来て座ってほしいとギドウに甘えている)

旅行には車で行くと約束したギドウが人目につく恐れから電車にしたのに不満なパウロ。

深いおもいの底からめたようなギドウの眼が、立っているパウロを射た。パウロはその眼は外して自分の胸の辺りを見ている。洗ったらしいつやのある黒髪が、額にそよいでいる。急いだので耳から頬にかけてあかみが差した淡黄の顔は、柔かなココアの色に映えて綺麗きれいだが、不平を隠しているのが、伏眼にした眼と、反り気味の鼻とにあらわれ、薄紅いくちびるとがり加減に結ばれている。後髪に手をり、次にその手が鼻の下を横にこする。(注:ここからパウロの心理描写)(模様のある蛇の眼ね)とパウロがギドウの眼について言ったことがある。その眼が自分に悪いところがある場合、こわくてならない。だがそうかといって、車をめたことの不平は抑えられないのだ。それで早く来たくなかった。それが見抜かれていることは承知している。下眼遣いの、しょげたような眼に演技がある。それを知っていて、ギドウは柔いだ。
雨外套レエンコオトは?」
「忘れちゃった」
(略)
「だって僕」(注:省略された言葉は「来ないつもりだったから」か)
(略)
酒場バアは開いているんだろう?まだ」
く?咽喉のど乾いてるんでしょう?」
「まだいいよ」
「ウィスキイ?」
うん

愛されている者の傲慢な美しさが、欲張りに言葉を費やす文体から匂い立つ。
恋とは傲慢だし排他的だ。だから美しい。



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