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宇宙が存在する理由:「人類を科学する」への個人的な回答。

究極型パラダイムの参考になるものとして、記事を読んでいた時のこと。

ここで、なぜ宇宙が存在するのか?(究極的な問い)というものと、その答えを見て思い出しました。

そういえば、なぜ宇宙が存在するのか、そしてなぜ人が幸せを求めるのか?などについて「個人的に」とはいえ、答えを持っていたにも関わらず、まだ書いていませんでした。なのでここに書いて置きます。枝葉の言葉遣いや引用は間違っているかもしれませんが、幹はこの主張です。

4,なぜ宇宙が存在するのか?(究極の問い)

答え:
数学に通じた作者(マスタープログラマー)がコンピューターを使って作ったからです。
仮に宇宙を作った目的やその作者を作った者が何なのかは判らなかったとしても、この問いに対する答えはこれです。

https://www.metafaith.net/metafaith/answer_index.html

確かに作者がこの宇宙を作った理由や目的はわからない可能性があります。(私は多分わかると思っているのですが、それについてはまた改めて)
更に言うなら 私がクリスチャンと議論した時 のように、その作者を作ったのが何者なのかといった疑問に答えることは出来ないかもしれません。ですがたとえそうであったとしても、この問いに対する答えは論理的に上記になります。

但し 真理から導く我々の存在理由 に書いたとおり作者が居る時点で、この宇宙の存在は単なる偶然の産物ではなく何者かの意図が働いていることだけは、ほぼ確実だと言えるでしょう。つまり宇宙にも、我々にも、その存在理由が”無いことはない”ところまでは判りました。
ならば人間が生きる理由が、無目的ではないことも確かだと言えるでしょう。

https://www.metafaith.net/metafaith/answer_4.html

これをなるほどと思いつつ、そういえばその正体を知ってるのに書かないのは勿体ないなと思ったので書きます。

このうちの、作者の名前とこの宇宙を作った理由や目的を書きます。
証明されたわけではないですが、ある程度しっくりは来ると思います。

この宇宙の作者の名前は「エントロピー」です。

この宇宙を作った理由は、この宇宙がない=無の状態より、この宇宙がある状態のほうがエントロピーが増大していて煩雑なためです。そして、人類がいる理由も、人類がどうすれば幸せになるかもこれに密に繋がっています。

本来、宇宙の熱的死に至る原因として説明されるエントロピー増大の法則ですが、全ての宇宙が熱的死に至っていることはそれはそれで秩序立ち過ぎているので、完全に無になると宇宙が生まれようとする力が働きます。

このため、この世界には宇宙と、宇宙でない場所が半々くらいで存在すると予想できます。コインが何枚もあってそれが投げられた時、有と無の半々である状態です。

※参考元の「人類を科学する」でもこの、有と無のどちらにもなれる状態を空と読んでいます。作者の正体は、より厳密に言えば空が有と無に別れようとするエントロピーのことです。(有と無の二つに分かれることで、はじめて空が無になったと言えます。そのため一番最初は無ではなく、空だったとも言えます……ここでは無で表記してますが)。

そして、このゲームの作者がエントロピーであるとすれば、これらの問いを結構あっさりと解くことができます。

ではさっそくVR仮説に基づいたメタフェイスを使って”究極の問い”を含む4つの問いに答えてみるとしましょう。
4つの問いとは、
1,幸福とは何なのか?
2,人は何のために生きているのか?
3,なぜ物質が存在するのか?
4,なぜ宇宙が存在するのか?

https://www.metafaith.net/metafaith/answer_index.html


まず、4はすでに答えました。次に3はこれまで考えてきた『新実在論と思弁的唯物論』が絡んで難しいので一旦置くとして、1と2は簡単です。

2は『サピエンス全史』から人類が他の動物から進化し、発展してきた理由から考察できます。

ハラリが言うには、「認知革命」が起こるより前の長い期間、サピエンスは、今の我々とほとんど似たような身体や脳の特徴を持ちながらも、特別な強みがなく、数多くいる自然生物の中の目立たない一種にすぎなかった。
だが、「嘘を信じられるようになる」という、形質としてはささやかな変化がサピエンスの脳に起こる。(哺乳類の誕生がおよそ2億3000年前、霊長類の誕生が約6500万年前、ヒト属の誕生が約250万年前、サピエンスの誕生が約20万年前であり、我々の形質がそれくらいのスパンで形作られてきたことを考えるなら、7万年前のことでも「ささやかな変化」になる。)
そして、その「認知革命」を機にサピエンスは、他の自然生物や近縁の人類種たちをごく短期間のうちに絶滅に追いやってしまうほどの、「最強の種」へと変貌した。

https://basicincom.com/ch2/

この宇宙は無から有にこそなれたものの、「嘘が付けない・信じられない、矛盾できない」という因果関係に囚われていました。自らが自らの法則に縛られていたのです。しかし、それは秩序立ち過ぎています。

そこで、エントロピー増大の法則から「噓が付ける・信じられる・矛盾できる」人類が現れたわけです。少なくともこの「噓が付ける・信じられる・矛盾できる」ことで人類は発展を遂げることができました。

人間はエントロピー増大を達成するために、噓をつき、矛盾し、そして自由に行動し、発展してきたのです。そして人間における幸福は、他の動物の生存欲求の達成とは違い「自由であること、自立している」などが特に重要とされています。

これもエントロピーを増大させたい、作者(マスタープログラマー)によって仕込まれたものと捉えることができます(少なくともそう解釈してもそれを否定する材料を出せない)。

このため、人はこれまで矛盾したものを信じてきたのです。
そして、ほどよくエントロピーが増大した状態を人は一番好みます。

この考え方からすれば、完全に整然とした部屋や、完全にぐちゃぐちゃした部屋を嫌い、ほどよく散らかった、ほどよく複雑なものを好むのもこうした理由です(個人差はあるにせよ。個人差もまたエントロピーといえる)。

これが、「なぜこの宇宙が存在するか?」に対する問いでもあり、それよりより深い意味での「この宇宙とはどのような存在か?人間とはどのような存在か?」に対する答えとなるわけです。

そして、宇宙はこの因果律を無視したことを考えることのできる人間を生み出したことで、もう一つ大きなブレイクスルーを果たしました。

それは、宇宙(全体集合)の中にMyメタバースを生み出したことです(引用元曰く、人が観測するまで計算されない世界のこと)。これによりエントロピーをより増大させた状態となりました。裏表のコインしかなかった世界の中で、コインの種類が増えました。この視点から見れば、宇宙はフィクションを作りたかったから人間を生み出したとも言えます。

フィクションがない世界は秩序立ち過ぎているのです。

このMyメタバースでは、シュレーディンガーの猫を観測するまでは、中の猫が生きているか、死んでいるかはまだ計算されていません。これは引用元ではVRやFPSを例に説明されています。

もし蓋を開けた時に猫が生きていたなら、蓋を開ける前も当然ながら生きていたと考えるのが我々の日常的な感覚です。ですが量子力学によれば人間が観測するまでは放射線が出たが出ていないかは決まっていないので、猫の生死も決まっていないことになります。
なので人間が蓋を開けて観測するまでは、猫は生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさっているとするのがコペンハーゲン解釈で、また猫が生きている世界と死んでいる世界に枝分かれするというのが多世界解釈でした。

どちらにしても奇想天外と言わざるを得ません。いえ、個人的に正直に言うならば「どちらも正気か?」と私は思います。

コペンハーゲン解釈の”猫は生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさっている”という考え方については、それをイメージ出来る人は恐らく居ないと思います。誰もイメージすることが不可能な説明をもって果たして理解したと言えるのでしょうか?

また多世界解釈にいたっては、乱暴に言うと人間が観測するたびに宇宙のコピーが作られて世界が分かれるという、更にぶっ飛んだ説明です。(多世界解釈には細かい説明の違いはあるが、平行宇宙を認めるような説明が主)


ではこの”シュレディンガーの猫”の思考実験についてもVR解釈を使って説明してみましょう。
VR解釈では人間が蓋を開けて観測する前の猫の状態は簡単です。
猫の生死は、
未計算
です。

ここで難しく言ってしまえば、新実在主義でも説明できます。ようはシュレーディンガーの猫の「箱の中身」がまだ意味の場に現れていないので、まだ猫の生死が意味の場の中で決まっていないのです。(それはMyメタバースにとっては。新実在主義は宇宙からの視点も、Myメタバースからの視点も認めてますが、Myメタバースからは確認した瞬間に初めて現れます)。

※そして、更に言えば、「新実在論」の主張するサイクリングと自転車モデルから、自転車側しかなかったこの宇宙に、サイクリングという意味づけを連れてくることができるようになったのです。

この世界自体はエントロピーという主が作っているので、できる限りマイメタバース以外を捉えようとすると、物理学的に見れば物理学的に振る舞いますし、量子力学的に見れば量子力学的に振る舞いますし、「思弁的唯物論」的に見れば、宇宙は偶然に存在しているように振る舞います。
※しかし、人はMyメタバースの影響は受けているわけです。これを量子力学さえも認めています。物事を考える時、全体集合メタバースと、Myメタバースが違うと捉えられます。

全体集合U(全体集合オムニバース)とA(Myメタバース)

しかし、Myメタバースから見れば、
宇宙はやはり「あなたがいないよりはあなたがいた方が煩雑でエントロピーが増大しているので、あなたがいる。あなたがいない宇宙は秩序立ち過ぎている。」という風に振る舞うわけです。(これ自体はガチガチの唯物論者でも支持できます、そもそも唯物論(部分的に正しい)を含んで超えている宇宙と捉えることもできますが……)。

※もっと言えば、新実在主義では、Myメタバースから意味全てを含む全体集合(世界)を捉えることはできず、そのため世界(意味の場全てを含むもの)は存在しないのですが。さらに言えば「意味の場」はエントロピーが作った世界よりも広いので、そこも難しい点です……。追記すると、世界(エントロピーが作った仮想空間)に囚われていたエントロピー自身も、人間が現れたことで開放され、「意味の場」という「その全てをつかめないが故に存在しないほど」手の届かないくらい広いものへ手足を伸ばせたとは言えます。

なぜ物質が存在するか?は全体集合から見ればそういう意味でのエントロピー増大の法則によるものであり、Myメタバースから見れば意味の場に現れたため存在しているのです(これは物質だ、そうだそうだと勝手に言っているため、その人にとってそう存在している)。

そしてこれが宇宙同様、繰り返しコインが返ることで常に一定の状態に留まることなく、エントロピーは増大していきます。これは仏教用語でいうところの諸行無常や、輪廻転生などで説明されるものです。このことは「人類を科学する」でも考察されいます。

以上から、

この宇宙の真理があるとすれば、これに集約されています。
「あなたにとって
 たいせつなのは

 あなたがあなたであること」
です。




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