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70年代、流行った洋楽。〈ポール・モーリア〉

当時、FM放送の開局を追うようにはじまった『ポップス・ベスト10』などの番組で毎日のように聴いていた洋楽。自然とおぼえて口ずさんだりしていました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけではなく、半世紀も前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

70年代にはこんなことがありました。

 ポール・モーリアは南フランスのマルセイユ生まれで、父の影響からピアノを習い、マルセイユ地方音楽院を優秀な成績で卒業します。その後、経歴を重ねながら自分の楽団を結成、世界的なヒットを重ねることになります。
 当時、日本では眼を見張るほどの人気でした。数百回の公演やテレビ出演、レコード売り上げなど……。
 紹介しきれないほどのヒットがある彼の音楽ですが、一部だけでもご視聴ください。

恋はみずいろ/ポール・モーリア
 L'amour est bleu/Paul Mauriat(1967年)

 以前、ヴィッキーの回でもご紹介した「恋はみずいろ」。最初に、ポール・モーリアの音楽に魅せられた曲です。ここから長いお付き合いが始まったという、わたしにとってかけがえのない一曲。耳当たりの良いチェンバロの音色が効果的に使用されて、たいへん魅了されました。

それまでポピュラー音楽では使用される機会が少なかったチェンバロを積極的に起用してバロック音楽的な手法を採用した上で、ピアノやギターとの組み合わせで同一旋律を演奏させるなどによって音色を特徴づけている。

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エーゲ海の真珠
Penelope "L'eternel Retour"(1970年)

 冒頭のトランペット、そしてピアノ、フルート、ギター、弦にパーカッションと歌い継がれていきます。一呼吸あって、チェンバロをバックに、ダニエル・リカーリのソプラノのスキャットが印象的に挿入されます。
 その後、チェンバロが軽やかに調べを奏でていきます。チェンバロの音色がまたいいですね。そしてまた、ストリングスやドラムスなどに引き継がれて……。
 編曲の妙が素晴らしくて、思わずため息が出そうです。

スペインのアウグスト・アルグエロ作曲 で、本来はメキシコ向けの録音。日本では1970年12月20日にシングル盤で発売され、オリコンチャート最高40位・約7.5万枚のレコードセールスを記録している。このテイクではダニエル・リカーリが中間部のスキャットを担当していた。ファッションブランド「ROPE(ロペ)」やメルシャンワインのCM曲、TBS系ラジオ番組「林美雄のパックインミュージック」第2部エンディングなどにも使用された。

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蒼いノクターン
Nocturne(1973年)

 ピアノの音色が憧れを秘めつつ、どこか懐かしいような気分をさそいながらしだいに曲を盛り上げていきます。やがて管楽器も加わりユニゾンでさらにスケール感が上がっていきます。さらに効果的なのが転調の妙で、細かいニュアンスの色合いを変化させていくうちに、聞く方の気分がいやがうえにも高まってこころが満たされていきます。
 忘れられない一曲です。心新たに、また明日を信じて生きていこうという希望が湧いてくる、そんな感興をそそられる楽曲です。

モーリアの自作曲。初レコーディングは1966年だが、日本では1969年にアルバム『輝く星座/ポール・モーリアの世界の詩情』で発表、同時にシングルカットされた。1973年と1996年のライブアルバムに収録されたほか、オーケストラによるスタジオ録音では、1988年・1994年にもレコーディングされている。

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涙のトッカータ
Toccata(1973年)

 バロック音楽風の端正で、心地よい響きのうるわしい音楽。冒頭すこしチェンバロが奏されてから、低音の伴奏とリズム楽器をバックにピアノが音を紡いでいきます。そして、ストリングスのなんとも心地よい夢見るような響きに魅了されます。その後も、ビブラホンのような打楽器、ハープの音色も溶け合って、チェンバロやハープが戻ってきたりするうちにエンディングとなります。

フランスの音楽家ガストン・ローラン の作曲。日本ではアルバム『ラスト・タンゴ・イン・パリ〜天使のセレナード/ポール・モーリア』より1973年7月25日にシングルカットされ、オリコンチャート最高63位・約6.6万枚を記録、1980年代までの来日ステージではモーリア自らピアノを演奏した。

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天使のセレナーデ
La chanson pour Anna(1973年)

 ウクレレをつま弾く音色でしょうか。春の柔らかな風に吹かれるような心地よいメロディ。天使のような少女の面影も心に浮かんできます。
 自然と、口角が持ち上がり、笑顔となって顔がほころぶと、それにあわせて幸せな気分が心に広がっていきます。オーケストラの全奏、トゥッティが楽曲のピークをなだらかになぞっていくと、時を忘れるような音楽も、やがて名残り惜しくもフィナーレとなるのです。

もともとはウクレレ奏者ハーブ・オオタのためにアンドレ・ポップが書き下ろした作品だが、1973年に前掲『ラスト・タンゴ・イン・パリ〜天使のセレナード/ポール・モーリア』で取り上げて以降はモーリアの人気ナンバーとなり、シングルカットもされている。NHKの音楽番組「世界の音楽」のテーマ曲としても使用された。1988年にも再録音テイクが発表されている。

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オリーブの首飾り
El Bimbo(1975年)

 メリハリの効いたリズムの上に、チェンバロが弾むような旋律を奏でて、そこにフルートがからんで、さらに行くとストリングスが参加します。やがて、曲想は変化をまといニュアンスを増してピークへと向かっていきます。
 この曲、マジックのBGMとして今も変わらず皆さんにおなじみですね。子供にもそれと知っているくらいポピュラーです。始まりは、1975年からだそうで、最初の経緯は以下のとおりです。

クロード・モルガン作曲で、オリジナルはビンボー・ジェットが演奏した『嘆きのビンボー』。
1970年代後半からの来日公演では、観客の手拍子をバックにオーケストラ・メンバーを紹介してフィナーレを飾る定番ナンバーとしても演奏された。
1975年頃に松旭斎すみえが使用して以降、現在も手品のバックミュージックとしても知られている。

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薔薇色のメヌエット
Minuetto(1975年)

 ロココな曲調で、わたしには「パリのモーツァルト」風に聞こえる、粋で洒落た音楽。まるで、モーツァルトがチェンバロを弾きながら、得意のジョークを周りのひと達に、ひとくさり。そんなユーモラスな、一場面を想像して、大好きな一曲です。
 ウィーンのモーツァルトの自宅での、仲間うちでのうちとけた集まりもさぞや楽しかったことでしょう。モーツァルトが鍵盤を弾いて誰かが歌ったり、踊り出したりする、そんなうれしい時間を思い描いたりたりもします。 

モーリアの自作曲。1975年に発表されたアルバム『巴里にひとり/リリー・マルレーン ポール・モーリア』(FDX-175)では『ミニュエット』と表記されていたが、シングルカット(SFL-2054)を機に邦題が改められた。1988年に新録音されたバージョンがTBS系テレビドラマ『女の言い分』のテーマ曲に使用され、CDシングル(PHDR-138)として発売されたほか、1994年にも新たにレコーディングされている。

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こんな楽しい動画も!
ネットで見つけた、ほほえましい家族演奏です。


 ポール・モーリアさんは、今から16年前に亡くなりましたが、その音楽を聴く私たちに、今でも、音楽を通じてたくさんの喜びを与えて下さいます。ありがとうございました。

2006年10月末、フランス南部ペルピニャンの別荘に滞在中、体調不良を訴え検査入院したところ、急性白血病であることが判明。同年11月3日午前1時、急性白血病による心不全のためペルピニャンの病院で逝去。81歳没。6日に荼毘に付された。モーリア死去の報道に伴い、同11月6日のJFN系FMラジオ番組『JET STREAM』や同12月17日放送のTBS系ラジオ番組『バックグラウンド・ミュージック』などで追悼特別番組が放送された。

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※Klaviatur さんの画像をお借りしました。

☆「70年代、流行った洋楽。」にお付き合いいただき、ありがとうございました。



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