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70年代、流行った洋楽。〈フランス・ギャル〉

当時、FM放送の開局を追うようにはじまった『ポップス・ベスト10』などの番組で毎日のように聴いていた洋楽。自然とおぼえて口ずさんだりしていました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけではなく、半世紀も前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

70年代にはこんなことがありました。

 この時代のフランスの女性歌手でいえば、シルヴィ・バルタン、ヴィッキーなどを思い浮かべます。でも、この人も外せません。
 舌足らずな感じの歌唱と、可愛い容姿も相まって人気でした。日本語でもよく歌っていました。

夢みるシャンソン人形/フランス・ギャル
Poupee de Cire Poupee de Son/France Gall (1965年)

 彼女といえば、この曲を思い浮かべます。日本でも大ヒットしました。フランス語に続いて、日本語で歌ったレコードも出ました。
 作曲のセルジュ・ゲンスブールと一緒の映像で、彼女が日本語の人形のことを「に・ん・ぎ・よ●●●●」に近い発音をして、なぜかその音をとても面白がっているシーンがありました。なぜでしょ。

フランス・ギャル(France Gall, 本名:イザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ・ギャル(Isabelle Geneviève Marie Anne Gall)、1947年10月9日 - 2018年1月7日はフランスの歌手である。初期の代表曲には「夢見るシャンソン人形」(この曲で第10回ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝)がある。

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 このビデオは、上のフランス語の収録時のものでしょうけど、バックの日本語の歌唱を聴くと、やっぱり「に・ん・ぎ・よ」って歌ってますよね。ごあいきょうです。彼女のことですから「ご・あ・い・き・よ」といきましょう。
 ところで日本語の収録時には、彼女自身このビデオを見ながらタイミングを合わしたのでしょうか。ピタッとあっています。
 岩谷時子さんの訳詞だったんですね。


天使のためいき/フランス・ギャル
Nous Ne Sommes Pas des Anges/France Gall(1966年)

『天使のためいき』これも彼女の歌唱の魅力にあふれた私のとても好きな曲です。直訳すると「私たちは天使ではない」となりそうですが、邦題の「天使のためいき」とはよく考えましたね。
 余談です。上のジャケットのような「シングルレコード」は、A面とB面計2曲入りでこの時代、1枚400円前後でしたか。LPレコードならかるく2,000円はしましたから、物価からするとレコードって高かったです。小遣いを使うときもよっぽど考えて買いましたし、粗末には扱えませんでしたね。

1965年にイタリアで行われた第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストにルクセンブルク代表として出場し、父親の知人であったセルジュ・ゲンスブール提供の「Poupée de cire, Poupée de son(夢見るシャンソン人形)」を歌い優勝した。同曲は日本語盤も発売され、1966年6月に来日公演。

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すてきな王子様/フランス・ギャル
Un Prince Charmant/France Gall(1965年)

 これぞ、童話の世界。素敵な王子様が現れて……。フランス・ギャルの世界!ええもんですなあ。たまりまへんなあ。


アニーとボンボン/フランス・ギャル
Les Sucettes/France Gall(1966年)

 こちらも可愛さ満点の曲です。それにしても彼女になんて似合っていることでしょう。この曲も随分と流行りました。

 1970年前後に、フィリップスを離れ、レコード会社を複数移籍していたそうです。そのためか、日本でのプロモーションが活発さを欠いたのかもしれません。私の印象も薄れていきました。
しかし、本国では活発に音楽活動を続けて、人気も博していたようです。

1970年代に入り作曲家のミッシェル・ベルジェ(英語版、フランス語版)と知り合い、彼のプロデュースのもと本格的な歌手として再スタートを切り絶大な支持を得る。1976年にベルジェと結婚。その後長女・ポーリーヌ (1978年11月14日 - 1997年12月18日)と長男ラファエル(英語版、フランス語版)(1981年4月2日 - )の2児を授かった。


〈そんな彼女の70年代の魅力を今回、新発見しました〉


恋のカメレオン/フランス・ギャル
Caméléon, caméléon/France Gall(1971)

なんとも、変わった曲名ですが、とっても楽しい曲でした!
23、24歳ころで、さすがに大人っぽさを加えています。


Mon Aéroplane/France Gall(1971)

 曲名のフランス語を訳すと「私の飛行機」
 歌詞の内容はわかりませんが、楽しい曲調でいい感じですね。
ファッションセンスにも目をひかれます。
化粧品のCMに起用されたり、料理関係の記事が雑誌にのったんですね。

フランス・ギャルは、1947年にフランスのパリ12区で生まれた。父は作詞家のロベール・ギャル。母はセシル・ベルティエ(パリ木の十字架少年合唱団の共同設立者として知られるポール・ベルティエの娘)。1963年に、フィリップスより「Ne Sois Pas Si Bête(恋のお返し)」でデビュー。


Kommst du zu mir?/France Gall (1972)
 

 曲名のドイツ語を訳すと「あなたは私のところに来ますか?」
 彼女が歌うと、ドイツ語の硬さが解けてま~るくなって聞こえます。


残念なことに、2018年に70歳で彼女は亡くなってしました。
 フランス・ギャルさん 楽しい音楽をたくさんありがとうございました。


※ARIKA さんの画像をお借りしました。


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