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70年代、流行った洋楽。15

当時、FM放送の開局を追うようにはじまった『ポップス・ベスト10』などの番組で毎日のように聴いていた洋楽。自然とおぼえて口ずさんだりしていました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけではなく、半世紀も前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

70年代にはこんなことがありました。


スーパースター/カーペンターズ
Superstar/Carpenters(1971年)

 スーパースターにあこがれる少女。よくある話のようですが、この曲のシチュエーションはもっと深い訳ありです。
 あの頃がなつかしい、恋人よわが胸に戻ってほしい。しかしそれは、はかない夢のようなこと。かつてはあの人のそばで聞いたギターの音は、今はラジオでしかきけない。あの人がかなでるあのギターの忘れがたい、あの音色は、もう、遠すぎる。なぜならあの人はいま、スーパースターなのだから。
 哀しみを宿した美しいメロディー、編曲も素晴らしくてこの曲を唯一無二のものに生まれかわらせましたね。

リチャード・カーペンターは、妹カレンのイメージに合うよう、歌詞の一部を書き直していたのだ。レオン・ラッセルの原曲は、もっと赤裸々な表現だった。そう、「いる」ではなく「寝る」だったのである。
歌詞を一部書き直してまでも、取り上げたい。レオン・ラッセルの曲は、そこまでリチャードの心を揺さぶったのだろう。そしてリチャードの魔法で、この歌は、カレンの世界で、見事に生まれ変わり、輝いたのである。

TAP the POP


そよ風の誘惑/オリビア・ニュートン・ジョン
Have You Never Been Mellow/Olivia Newton John(1975年)

 オリビアのレコードを買って、よく聴きました。彼女のはじけるような美しさと可憐な歌声のとりこになった僕でした。
 でも、彼女の家系は学者などそうそうたるものということを知った僕。特に、マックス・ボルンの名前はつとに有名ですから。たぶん彼女のおつむの出来もさぞ素晴らしかろうと思って、そのギャップにすこし不思議な気がしていました。歌手デビューにさぞや、家族からの反対もあったのではないかと想像していました。
 そよ風のように、優しく穏やかで人を癒すそんな彼女の歌声。この後もず続々とヒット曲を放っていく彼女から、目と耳が離せませんでした。

イングランド・ケンブリッジ生まれ。母方の祖父はアインシュタインとも親しかったドイツ出身のユダヤ系でノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、ウェールズ人の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授であった。母方の曾祖母の父は法学者のルドルフ・フォン・イェーリングである。
5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。14歳の頃から学友とバンドを組んで、バーなどで歌い始めた。1965年、出演したオーディション番組で優勝。その懸賞で英国に戻り、1966年にデビューした。

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ローズ・ガーデン/リン・アンダーソン
Rose Garden/Lynn Anderson (1970年)

 当時よく耳にしたこの曲。カントリータッチの軽快なリズムに乗せてうたうリンの歌声が甘くまた素晴らしくて、いまも聴いた当時の新鮮な感動がよみがえるようです。日本では、この曲ぐらいしかヒットしなかったのが、不思議な気がします。

最終的に全米3位、カントリーチャートでは第1位を記録、同名のアルバムもゴールド・ディスクを獲得, イギリスでも3位を記録、リン・アンダーソンの最大のヒットとなり1971年度カントリー部門で最優秀女性歌唱賞を受賞した。……リンは1990年までにカントリーチャートで60曲を超すヒットをだし、ポップチャートにも10曲がチャート・インするなどポップ・カントリー・シンガーとして活躍した。

ウィキペディア

 南 沙織のデビュー曲「17才」とこの曲は関連があるそうです。そういわれれば、確かに似た感じがしますね。それにしても、シンシアは可愛いです。

当然、日本でもこの曲はヒットしました。そして天才・筒美京平もこの曲をイメージして、作ったのがボクの青春のアイドル南沙織Cynthiaさんが歌って大ヒットした「17才」だったのです。正直、よく似ています(笑)

思い出のポップス


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