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滋味溢れる

「まる たけ えびすに おし おいけ」

「あね さん ろっかく たこ にしき」

何のことでっしゃろ?

京都市内の街並みは「碁盤の目」とよく例えられる。

南北と東西の通りが直交している様子がまさしく碁盤の目のように見えるんですよね。

この街づくりを「条坊制」って言うらしく、ずっと昔に平安京が建設される時に中国の都市計画に倣って造られたそうだ。

天皇や平安貴族、藤原氏が活躍する都ですよね。(ちょっと触れてみたかっただけです)

そして各通りにはたいてい名称がつけられている。

その通りの名称を当てはめて、歌詞に組み込み「わらべ歌」にしたのが上記の一節だ。

「東西の通りの歌(東西)」と、「寺御幸(南北の通り)」の歌とあり名前を当てはめたその歌は興味深いものである。

ちなみに冒頭に書いた歌は東西の通りを歌ったもので、「まる」は丸太町通、「たけ」は竹屋町通、「えびす」は夷川通といった感じだ。

実に面白い。

寺御幸の歌も少し触れてみると…

「てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい」

っといった感じで歌われており「てら」は寺町通、「ごこ」は御幸町通、「ふや」は麩屋町通といった感じである。

歌詞のほんの一部しかふれていないので悪しからず。

歌に表れている東西と南北の通り名を覚えていると、市内の中心部(全部じゃないけど)の住所を聞いた時に何となくあの辺だなと予測がつくようになる。

便利ですよね。

覚えてませんけど('ω')

そして、京都市内の住所に出てくる「上る」「下る」という表記。

碁盤の目の通りを行き来しやすくしたもので、天皇の住まいである御所の方に向かうことを「上る」、南へ向かうことを「下る」という。

ちなみに御所より北(上)に位置する住所でも、北へ向かうのは「上る」で南へ向かうのは「下る」となる。

奥が深いですね。

それが「千年の都」たる所以か。

ナンチャッテ。

碁盤の目を基調として、直交した通りが住所の呼び名になる市内中心部の住所。

「イノダコーヒー」。

きっと喫茶店好きの方や、コーヒー好きの方には馴染みのある名前ではなかろうか。

創業昭和15年(1940年)で、昭和22年(1947年)にコーヒーショップが開業し、以来京都市内に東京や広島にも支店をもつ老舗のコーヒーショップだ。

現在改築工事中の三条支店の前を通るたびに、営業されていた当時の店内の様子や、そこで働いている従業員の方の姿を思い出し、コーヒー好きの自分は一度で良いからここでコーヒーを飲んでみたいと思ってはいたが、その願望はまだ叶ってない。

三条支店(リニューアル中)の付近に本店もあり、街の風景に味わい深く溶け込んでいる。

そのうち立ち寄ってみよう。

ちなみに二つのお店の住所を調べると、本店は「堺町通り三条下る…」で、三条支店は「三条通り堺町東入る…」である。(省略してます)

名前から分かる通り東西の「三条」と、南北の「堺町」が交わっていて直交している場所と想像がつく。

高田渡さん。

日本のフォーク・ソング黎明期から2000年代初頭にかけて活躍されたフォーク・シンガー。

1969年に京都に活動拠点を移し、そこで知り合った妻と東京三鷹に活動拠点を移す1971年まで京都で生活をされていた。

1971年に発表されたアルバム「ごあいさつ」に収録されたナンバーで「コーヒーブルース」という曲がある。

三条へ行かなくちゃ
三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね

コーヒーブルース 歌詞一節

「コーヒーブルース」で歌われている住所や、そのコーヒーショップの名からも分かるようにまさしく「イノダコーヒー」のことを指していることが分かる。

きっと高田さんが京都に住んでいた時にイノダコーヒー店に行ったことがあり、その時の体験を歌として綴ったものなのだろうと思われる。

コーヒー屋さんで働くあの娘に会いに…

フィンガー・ピッキングで繰り出されるギターの味わい深い音色と、高田さんの良い感じに力が抜けた声が、「一杯のコーヒー」にも似た滋味深さを感じさせる。

曲は素朴で、今実際に目の前の日常を切り取っているかのような…。

その歌声とギター奏法が「生活の一部」感を演出しているのかもしれない。

曲を聴いているとそんなことを感じる。

味わい深いギター音。

高田渡さんがそのギター奏法などで影響を受けたとされる人物がいて、その一人とされるブルース・マンがいる。

ミシシッピ・ジョン・ハート

ミシシッピ・ジョン・ハート 画像引用元:Wikipediaより

1893年ミシシッピ州生まれ。

幼き頃に遊びながらジョンの兄弟達と共に音楽を楽しんでいる中で、真剣に取り組むようになったそうだ。

1928年に一度オーケィ・レコードで13曲レコーディングを行うが、折からの世界大恐慌の影響もありレコードは売れなかった。

ジョン・ハートはそれから故郷に戻り、農夫として暮らしつつも、仲間や家族達との憩いの時に演奏したりして音楽を続けていた。

時は流れ1960年代。

ルーツ・ミュージックに焦点をあてた「フォーク・ソング・リヴァイバル」ムーブメントが起こる中、ブルース研究家のトム・ホプキンズが1928年に録音したミシシッピ・ジョン・ハートの演奏を耳にし心を打たれ、ジョン・ハートを再発見し、そこから表舞台に戻ることになる。

ブルース・ソングのみならず、コミュニティに根差した伝承歌や、地方の流行り歌や流行歌を歌っていた(ソング・スターとも言う)ジョン・ハート。

その味わい深い声や、人柄がにじみ出るような雰囲気は楽曲を聴いていて伝わってくる。

何よりもそのギターの音。

フィンガー・ピッキングで柔らかい音を奏で、ラグ・タイムなどに見られる低音部の音が動いていく複雑で味わい深い音色は、声の雰囲気もあいまって滋味深さを醸し出している。

ちなみにジョン・ハートの奏法はボブ・ディランなどにも影響を与えたと言われる。

きっとパーティーや家族の集まりなどでつま弾かれたジョン・ハートの演奏は、人々の心を和ませるものだっただろうと想像できる。

農業を終え、日の暮れ行くカントリーな景観に何かピッタリな気もする。

そしてコーヒーの時間にも寄り添ってくれるような懐かしくもあり、味わい深い演奏だ。

ミシシッピ・ジョン・ハートが1965年にピート・シーガーのTV ショーに出演し、演奏をしている動画。

曲は「ユー・ガット・トゥ・ウォーク・ザット・ロンサム・ヴァレー」というアメリカのトラディショナル・ソング。

開拓者の中で歌い継がれてきた歌だと言われる。

その演奏の味わい深さと、当時70歳を超えていたジョン・ハートの円熟味を感じさせる佇まい。

人生を長く歩んできた人の音楽には、コクや深みに滋味溢れるものを感じさせる。

良い音楽だ。

たまには仕事終わりの電車の中で、頭のクール・ダウンも兼ねて聴いてみるのも良いかもしれない。

記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!





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