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ぬるま湯

大学院まで来て学生を6年もやっていると、「ぬるいなあ」と思う奴が結構いる。
ちなみに悪口ではない。お湯を触った時に熱いかぬるいか判断する時の「ぬるい」であって、ただの主観である。人によっては熱いのかもしれない。

一番ぬるさを感じるのはやはりアルバイトでだろうか。
私は自分で沖縄に行くことを選び、自分で大学院まで進んだ。
当然そこには「生活」と「学費」という問題がつきまとうわけで、大して豊かでもない家庭に生まれ育った私はとにかく大量にバイトをしていた。
仕送りなどここ数年一切もらっていない。
毎年扶養ギリギリまで稼いでいる。余裕がある年は非課税ギリギリまで稼ぐ。(その方が市や国の補助金などを受けることができる)
当然、それだけでは学費を払えないので奨学金を借りている。
ここで辛いのは「どんなに忙しくてもバイトを休むことはできない」という点で、課題が忙しかろうか就活が忙しかろうが、私はアルバイトを一切休んだことはない。休むときは絶対にどこかのシフトと交代してもらう。
なぜなら「休んだら生きていけないから」である。
休んだ分の給料がなければ、生活費、学費を払うことができず、私の「生」の根幹がそこで途絶えるのだ。そうなった場合、課題も就職もあったもんじゃない。1ヶ月半袋麺と食パンだけで生きたこともある。
なので私はこの6年間、院試の受験勉強中も卒論執筆中も、就活中も修論執筆中も、なんなら引越前日まで延々と働き続けて生きてきた。

だが、同じ大学生とアルバイトをしていると、彼らはこう言う。
「就活に集中したいので2ヶ月シフト入れません」
「卒論が忙しいのでバイト辞めます」
そもそも週一でしかシフト入っていない奴が、「休み取りにくいからバイト辞める」と言ってきた時は驚いた。
どうやら彼らにとってアルバイトとは「遊ぶ金」欲しさや「履歴書に書ける」という程度のものであって、そこに全く「生活」は関係ないらしい。
このことに気づいたとき、「不公平」だと思った。
同じ選択をしたのに、ここまで差が出るのかと思った。
実は、涙が出るほど悔しかったりもした。
明日の面接の準備もできないくらいシフトに入り、バイトが終わって深夜まで論文を書いて、また朝からバイトをしている私の一方で、
有り余るほどの時間とお金を持って勝負している奴らがいる。
結果的にそんな「ぬるい奴ら」の方が、成功していく世の中である。
私にできることは、そんな奴らを羨望と怒りの眼差しで見つめながら、
「ぬりい」と呟くくことらいだ。

だがそれをぬるいと思える自分には、少し満足している。

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