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静かだなあとぼうっとしているとき、ふと「しわぶき」という言葉が思い浮かんだ。
「しわぶき」とくれば「しわぶきひとつしない」という慣用表現が自動的に出てくる。
戦前の小説などを読めば「しわぶき」が単体で使われることもままあるが、今では「しわぶきひとつしない」としか使われないのではないか。
このように、慣用句でしか使われない言葉というのは無数にある。
すぐに例を出せないけど。
で、「しわぶき」。
くしゃみのことだっけ、咳のことだっけ、とあいまいになる。
何か自然現象で口か鼻から出るものだったと思うけどパッと思いつかない。
調べてみると「 せきをすること。また、せき。 わざとせきをすること。せきばらい」(デジタル大辞泉、小学館)らしい。
なるほど、咳払いね。

静けさの慣用句のなかでお気に入りなのは「針の落ちる音も聞こえるほど」というのがある。
これは非常に美しく、感じも出ている。
地面はふかふかの毛足の長いペルシャじゅうたんのようなものであってほしい。
そこにこそっと針が落ちる。
そんなもの、どんな静寂であっても人間の可聴域を超えている。
でも、極度に緊張していたり生死を分けるほどの極限状態になったら聞こえるのかもしれない。
実際、緊張しているときや異様な静寂に身を置いているときに「今なら針の落ちる音も聞こえるかな?」と考えることがある。
ほとんど幻聴と区別がつかないだろう。
針といえば「ラクダが針の穴を通るほど難しい」という表現も好きだ。
これは新約聖書の言葉で、「マタイ福音書 19章16-26節」や 「マルコ福音書 10章17-31節」などに出てくる。
何度も言うとはよほどイエスのお気に入りの表現なのだろう。
マタイ福音書などは「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 と強調表現として使われる。
はっきり重ねて言うなあ。
でも、例えばどうだろう。
砂漠をラクダが歩いている数十メートル手前で針を持ってかざして、ほら、針の穴を通っているよって言ってみたらどんな反応をするかしら。
イエスは一休さんと違ってトンチとか嫌いそうだし、とくに自分の教えをまぜっかえされたら普通にキレてきそう。
確かあの人、神殿の前で屋台を開いてた商人にブチ切れていろんなものを壊しまくったもんね。
けっこう短気。
だけど「ラクダが針の穴を通るほど難しい」という表現は良い。
そもそも、針というものが美しい。
華奢なのに暴力的できらきらしていて大抵のものに突き刺さる。
皮膚にも刺さる。
斜めにカットされた切先が細胞を分け入ってどんどん潜っていく。
「嘘ついたら針千本飲ます」という場合の「針を飲む」という発想も怖い。
かなり昔に読んだ手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』に、点滴の針が折れて体内を駆け巡り、針を追って体のあちこちを開けるシーンがあった。
確か心臓に達すると死んでしまうのでそれまでに捕まえなければいけない! という設定だったが、針千本飲むというとその漫画を思い出す。
血管や内臓を傷つけながら猛スピードで駆け巡る針。
胃を刺された痛さ、大腸を刺された痛さ、小腸を刺された痛さ、全部違うのだろうか。
そんな最中にしわぶきをしたら振動で一瞬で人生が終わる。


ウォっっっッッッほぉぉんん。

了。

【本日のスコーピオンズ】

2曲目「It All Depends
デビューアルバム『恐怖の蠍団 - Lonesome Crow -』(1972)より
ギターソロがいかにも70年代ロックという感じでいい。ロックを知らないくせに「いかにも」とはなんだ、と言われるかもしれないが実はSteely Danだけは聴くのである。Steely Danがロックかどうかという議論は置いておいて少なくとも70年代に発表された初期のアルバムはロックだった。
それにしても歌詞がすごい。「Yeah!  Takes my dinner Drinks my beer Spends my money But I don′t care She's my love She′s my dear Love is here I was there」という中学生でもわかる親切設計。助かる。

感想は以上です。

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