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離婚旅行 いん ITALIA  その5 終わり

7日目 傷心のローマ最終日


7日目  とうとうイタリア最終日
1週間もイタリアにいると 単純な私はもうずっとここに
住んでみたくなるほど イタリアの空気が気に入っていた。
朝から ボンジョルノ~の挨拶で行きかう活気ある街中
そして天気も本来の調子を取り戻したようで 
からっと晴れた空の下のテラスで飲むコーヒーが
うまい!どこで飲んでも 
コーヒーは基本的にあまり好んで飲まない
が 香りもうまい!
そして コーヒーを待っている間眺めるおじさん達の笑顔が素敵だ! 
その辺ぶらぶらしてるだけなのに楽しそうだ。 
 
 それに反して隣の夫は傷心・憔悴している、くたびれている
出るのはため息、精気というものがない。
 朝から愚痴と体調悪いばっかりで ゾンビがかろうじて服着てる。
「早く空港にいきたい、俺だけ空港いって待ってようかな?
でもこういうとき大抵また悪いことが起きて
タクシーでボラれたりするんだよ
もう怖いな~イタリア。特にローマ 嫌い、離れたい
こんなはずじゃなかったのに。」

直接空港にいくには早すぎるので
トレビの泉とコロッセオだけ見に行こうと説得した。

お、トレビの泉か!
と 少し期待してついてきた夫だったが
見事に全面工事中、本来の風景は全く見れず
写真の垂れ幕がかかっており
それに向かって
「一生ローマに来なくてすみますように」
と コインを投げていた。

次にコロッセオ
やっぱりここでも 物売りに大歓迎される
古代ローマ人が一緒に写真撮ろうと近づいてきた。
値段を聞くと40ユーロ! と シレっという
高いよ 高すぎる いやいや そんなんじゃ払えない 
というと、急に値段にゼロがなくなり。
2€でもいいという。 
ほんとだね? 2€しかもってないからね

そこで遠巻きに見ていた夫を呼び寄せ
おとさん!こっちこっち  はいパシャ !! はい 笑って!もう1枚

はい、お代を払おうと硬貨を探すも 私は持ってなく
夫が 5€紙幣をだすと 
いや、足りない 20€だという
お会計20ユーロだと?
違う違う、あんた2ユーロって言ったやん、
2人分にしても4ユーロプラスサービスで5ユーロで十分 高いぜ!
5ユーロ渡したからもうおしまいね、と私が立ち去ろうとするのに
ちょっと口喧嘩に参加したくなって便乗した夫が
おつり1€くれ~チェンジ ワンユーロ!
と粘ってる
槍と盾を持ったローマ人と かばんななめがけ大和民族の 
1ユーロめぐっての戦い、勃発!
決着つくところまで見届けたかったが、
色々と面倒くさいし、空港の集合時間に遅れたくないので
おとさんいくよ、と引きずり剥がして終了。

この辺りで本当に夫のパワーゲージは赤信号 
 荷物をまとめ、カウンターに預け、やっと口を開いてリラックスしたのは
レオナルドダ・ヴィンチ空港のイタリアンレストラン
やっと安心して飯食える、最初から俺はここのレストランだけでよかった!!
イタリアは俺を拒否する、俺はフランス向きだ
イタリア語が全然判らなかったし、こんなに英語が通じないとは思わなかった。道も分かりにくい、信号もないし町の空気も悪い etc.グダグダグダ


やっぱりパスタより蕎麦がいい


帰途 飛行機内夫はほとんど寝たきり、機内食も少し手を付ける程度
やっと到着した成田でもグッタリ  
ナントカ会員だけが入れる空港ラウンジでも ソファに
座っていというより 溶けたチーズみたいにぐにゃぐにゃな姿勢で
飲み物のグラス持ったまま目を閉じて…寝てる

ラウンジが退屈で
私がそばでも食べようとすると
俺も行く!と心ここにあらずの様子でついてきて
かき揚げ蕎麦頼んだのに もう食べれないとかき揚げ残す。
じゃ最初から かけそばにしなよ
私の頼んだきつねそばに追加した温泉卵と蕎麦湯をすすめる優しい私 。
イタリアで学んだ慈悲の精神よ
恵まれないものには分け与えよ

夫曰く
イタリアンはしばらく食べたくない
胃がもたれる コーヒーは美味しいが店員が遅い
しゃべりすぎだ
イタリアは全然 俺には合わなかった。
やっぱり北がいい。南のヨーロッパは危ない人が多すぎで
疲れる。
俺にはあわない

イタリア旅に全く期待値ゼロで臨んだが
世界史のホンモノに触れる現地学習とか 
言い値言ったもん勝ちの街角オークション、物売りとの値段交渉とか
ボンジョルノ言うだけでイケメン店員さんのフリースマイルもらえる特典とか
ネオンカラー+柄物 の展示会のようなどギツイタリアンファッション観賞とか
体験できて 旅行行く前より元気100倍になった気がする。

また何度でもいきたいイタリアン、今度は別の地域にも行きたいな
トレビの泉効果はさて叶うのか?
アディリベルチー!!
とイタリアのいい思い出だけ残った私と
イタリアのイの字も聞きたくなくなった夫

旅行一か月後で別居

さてさて 
日常に戻った私達夫婦だったが
夫の精神的平衡が少し崩れていった。
それまでも 家庭内別居状態だったが
夫は少し鬱気味になり 口から出る言葉は
ネガティブなことばかりになっていった。

そんな夫と一緒の空気を吸うのに耐え切れず
2週間後
私は家庭裁判所に離婚の申し立てを申請に行き、
最終的に
それぞれの好きなように生活するために別居生活を始めた。

離婚に至る経過は
また次回!



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