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最高の人生はいまここにすでにある


最高の人生を引き寄せる

巷には、「最高の人生を引き寄せる」といった願望実現を提唱しているスピリチュアルや自己啓発があふれています。

中には、コース(奇跡のコース/奇跡講座)もそういうものだと解釈されて学ばれていたりもします。

ですが、コースを学ぶ者であるならば、コースは純粋な非二元の霊性の道であるということを知っておく必要があるといえます。

純粋な非二元から見るならば、「人生」と呼んでいるものは幻想、つまり、そもそもが無なわけです。

人生が無であるならば、そこに最高も最低もありません。

無であるものに、成功も失敗もありません。

お金持ちも貧乏もありません。

ようするに、幸せも不幸もないということです。

人生そのものが無であるなら、そこに何の意味があるというのでしょう。

では、私たちは何をしているのか?

というならば、単にドラマを見ているにすぎないということです。

しかも、それはすでに終わった(撮り終えている)ドラマなわけです。

じつは、私たちはそのドラマの主人公と同一化して、目の前に展開していくそのドラマ(人生)を経験しているだけなのです。

それを私たちは「人生」と呼んでいます。

その人生で経験する形態や状況は違ったとしても、その内容は、「もっとより良き人生を、もっとより多くのお金、地位、名声、賛同を、、、」といった飽くなき欲求を追究しているドラマにしかすぎないということです。

自分の内側にいつも欠乏を感じていて、その欠乏を満たすために、あぁなりたい、こうなりたい、あぁしなきゃ、こうしなきゃ、、、といった妄想のストーリーの夢を見ているだけです。

では、それらの妄想(思考)はどこからやってきているのでしょうか?

私たちがコースの学びを通してその真実を理解するとき、私たちはそれらの妄想のストーリーを信じるのをやめる選択ができるようになっていきます。

そして、どんなに自分の欲求を満たそうとしても、この「人生」というドラマの中では、必要以上のものは持てないし、必要以下のものも持つことはないということも分かってきます。

それらすべてがすでに終わった幻想のドラマだと分かっているところから見るならば、起きることが起きているだけ、だと分かってくるわけです。

つまり、人生はすでに書かれたシナリオの通りに必要な時に必要なことが起きているだけであり、その時々で必要なものがもたらされているだけということです。

言い換えるなら、いつのときも私たちは、今必要なものが与えられているということです。

そのことに対して抗うならば、葛藤、不平不満、苦しみが生じることになります。

そのようにしてこの世界いる私たちは自分自身と、自分の人生と戦っているということです。

「今ここ」の視点からみるならば、そのことが明らかになります。

私たちはすべてを持っているにもかかわらず、そのことを忘れて、そうではない幻想(妄想のストーリー)のほうをただ信じているだけなのです。

私たちはその真実をすっかり忘れてしまっていて、この世界の夢のドラマに振り回されているわけです。

そう、この夢のドラマを信じているかぎり、どんなに成功したとしても、どんなにお金持ちになったとしても、やはり、「もっと良き人生を、もっとお金を、もっと○○が欲しい、、、」という妄想のストーリーにとらわれ続けることに変わりはないということです。

私たちはその真実を理解し(悟ら)なければならないのです。

もっと、もっと、more…more…

その思考(体系)の奴隷状態になっているかぎり、本当の平安もなければ、もちろん、本当の幸せもあり得ないということを私たちは知る(悟る)必要があるということです。


今ここに在る平安を忘れてしまった私たち

私たちは誰で、何をしているのか?

というなら、

この今も真の自己は神のひとり子として神と一体(ワンネス)の天国にいるにもかかわらず、私たちは天国の対極の夢を作り出し、その夢の中に入り込んでしまっている、ということです。

私たちにそのことを教えてくれているのが、コース(奇跡のコース/奇跡講座)だといえます。

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