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昭和レトロと現実と

「昭和レトロが好き」
「昭和は今より人々が幸せだったんじゃない?」
「勢いあったよね、昭和の頃は」
などの、懐古趣味? 昭和美化? な言葉を時どき目にする。

こういう文脈で語られる「昭和」は、戦前・戦中・戦後すぐではなく、
昭和40年代以降、東京オリンピックや高度経済成長期の「昭和」だ。

「三丁目の夕日」で描かれていたような、
人情があり、頑張って働けば未来が拓けた、そんなイメージの「昭和」。

そのイメージはあながち間違いではないけれど、ごくごく一部の、明るい一面だけの話。

東京の都会では「三丁目の夕日」な世界があったのかもしれないけれど、
地方じゃ農業か小商、役場勤めが一般人の職業で、教師や医者はエリートみたいな感じで、今で言う「サラリーマン」は多数派ではなかった。
町にはドブ川が普通にあった。ドブ川は文字通りのドブ川で、家庭の排水が処理されないままダイレクトに流されていたし、婆さんが立ちションするとか、幼児に排尿させる風景なんかも珍しくはなかった。

衛生観念が今と全く違う。
今では滅多に見かけない銀蝿が、家庭でも店先でも飛び回り食品に集っていたし、ドラム缶でゴミを焼いてたりもした。
野良犬も野良猫もいた。
まだまだ水洗トイレも普及してなくて、公衆トイレはかなり悲惨だった。

そして社会は、決して優しくなかったと思う。
目に見える形で格差があった。差別もあった。
福祉なんてないも同然くらいに、まるで充実していない。
そこまで社会にゆとりがなく、成熟もしていなかったのでしょう。

「人権」という言葉が一般にも使われるようになったのは、大阪万博の後ぐらい、社会に経済的なゆとりが出てき始めた頃からではないだろうか。
母親たちが「ウーマンリブ」という言葉を、揶揄するような感じで使っていたのを覚えている。

そしてその後しばらくして、「人権」ってお金になるんだと気づいた人たちが登場したんですよね。
というか、お金になる仕組みを作った人と、それに乗っかる人が現れたというか。

子供だったから大人の事情なんてわからない。
詳しいこともわからない。
ただ、「人権」を声高に叫ぶ人たちへの不信感は、この頃に培われました。


「昭和レトロ」の善きイメージ、
花柄プリントの家電や、足踏みミシン、
クリームソーダ、ミニスカートのワンピース、
カセットテープやアナログレコード、
それらのオシャレっぽさは、とってもわかる。
レトロなデザインはとっても可愛いから。

でも社会に対しては、うーんって感じだし、
人々が今より幸せだったかというと、これもうーんだ。
選択肢がなかったから、こんなもんでしょ、と余計なことを考えずに生きていられたという点では、幸せだったのかもしれない。
ゆーても当時も見栄の張合いやらなんやらあったし、妬み嫉みもあったし、
いろいろ周囲からの圧もあったし、今とあまり変わらないんじゃないかな。

「三丁目の夕日」のような人情は、過干渉でもあったわけで。

ところで私は「三丁目の夕日」と「オリンピックの身代金」セットをおすすめしたい(笑)

「オリンピックの身代金」は奥田英朗の小説です。
田舎の農家の生まれでありながら、優秀な頭脳のため大学進学、上京した男。
彼にとっては優秀な大学生であることは、コンプレックスというか、罪悪感というか、決して喜ばしいものではなく、彼の心を屈折させ事件を起こさせる、そんなお話です。
「三丁目」が陽なら「オリンピック」は陰。
どちらも昭和レトロだよ(笑)



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