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ウィーンの本屋(シェイクスピアブックセラーズ)

コロナも収束に終わりつつあるし、私の博士課程も終わりに近づいているので、そろそろウィーンの街を探索し始めてみようと思う。京都に住んでいるときにも思ったが、観光地に住んでいると「いつでも行けるや」と思って意外と色んな場所を訪れないまま土地を去ることになったりする。

ウィーンの街並みは美しくただ歩いて建築物を見ているだけでも楽しい。文化的な催しもたくさんあり、オペラ・コンサート・映画・美術館など質の高い芸術を気軽に楽しむことができるのも、この街に住んでいる特権だろう。

なんとなく文化的な街には必ず変わった本屋があるという印象を持っている。昨今はわざわざ本屋に行かずともネットで本は買えるし、そもそも情報の入手も本に限らず色んな媒体があるから、本自体を購入する人も減っているだろう。それでも残る本屋というのは本を買ったり情報を仕入れる以上の価値があるように思う。

今回訪れたのはウィーンの第一区にある英語専門の本屋『シェイクスピアブックセラーズ』。

ホームページにも記載されているように、

"Let yourself be found by a book"

という独特な標語を掲げた面白い場所である。日本語にどう訳すのがうまいのか、『一冊の本に自分を見つけ出させる』というのがそのままに近いが、『一冊の本から自分を見つけよう』という感覚だろうか(誰か翻訳の上手な人教えてください)。しかし本来「私」が本を選ぶというのが本を買う行為だと思うが、むしろ「本」が私を選ぶという逆の関係性になっているところがこの本屋の哲学のように感じる。

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入ってみると、ものすごく狭い。おそらく十人もいればかなり窮屈に感じるだろう。そして本、本、本。本しか売っていないわけではないが、しかし九割ぐらいは本である。こういうお洒落な本屋に行くと雑貨も一緒に売っていたりするが、この本屋はあくまで本屋、本が商品だということをひしひしと感じる。

本は文学をはじめとして、学問分野の領域(物理、生物、心理学など)や生活(料理やガーデニング)、芸術、SFなどのカテゴリーごとに固められて入るものの、アルファベット順や著者順に並んでいるわけでもない。かと言ってランダムなのか本屋が意図した流れがあるのかわからないが、検索性だけでみるとかなり低く見づらいようになっている。

しかしそのおかげでその気になれば数時間、この本の知識の中に埋もれてしまうような没入感のある空間である。英語の本ばかりなので、私のようにドイツ語が読めない外国人にもありがたい店である。

この日は最近失恋した友人のために詩の本を買った。

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ラッピングなどしてくれるのか分からない(狭すぎてラッピングする場所はなさそうだったが)。シンプルだが個性のあるオリジナルのペーパーバッグに入れて渡されるのでちょっとしたプレゼントにもぴったりだと思う。中をみるとオリジナルの栞付き。

英語の本なので多くはイギリスから取り寄せたものが多く、ポンドからユーロに換算されている。なのでここで買うとネットで直接取り寄せるより値段が少し高い。それがレビューにも書かれているが、しかしこういう本屋の価値は安く本が買えるからではなく、この店に入り店の中をグルグル回ってやっと本に辿り着く、その過程全てにあるような気がする。

本屋に限らず、最近は検索性が高いものが選ばれるようなシステムばかりになり、それは統計情報に基づいてどんどん精度が上がるから、何かモノと出会う際にも「ハズレ」ということは少なくなっているだろう。進んでハズレを引きたいとは思わないが、しかしハズレがあるからアタリの喜びがあるように思うし、そういう振れ幅がどんどん少なくなるのは、ありがたいようななんとなくつまらないような気がする。個人的にはシェイクスピアブックセラーズのようなよく分からない未知の可能性を感じるお店がある世界であって欲しいなと思う。