趣味を仕事にするのは間違っているのか問題

ワタクシは本が好きなので出版業界を志望し、現在、編集者として仕事をしているわけだが、話がそういう方向に行くと、「好きなことはあくまで趣味として楽しみたい」と述べる人がたまにいる。

こういうのは、突き詰めれば極めてプライベートな事柄なので、あまりどうこう言うのも無粋だと思うのだが、そういうことを聞くと、私などは「ということは、この人はとくにしたくもない仕事をしているんだな」などと考えてしまう。私は、限られた時間のなかで、できるだけ“したいこと”によりたくさんの時間をかけたいと考えて生きている人間だからだ。

とはいえ、「好きなことは趣味にとどめるべき」というのは、ある意味で的を射た言葉であるとも考えられる。つまり、「趣味程度で気が済む“好き”さなら、仕事にしないほうがいい」ということだ。

https://careerpark.jp/39115

上の記事では「好きなことを仕事にした人の約5割が後悔している」と書かれているが、後悔している人々はおそらく、”病的に好き”レベルに達していない人たちなのだろう。

私は読書が病的に好きである。読みすぎると「もう本を読みたくない」という思いに捕らわれることもあるが、やはりちょっと時間がたったり、読んだことのない魅力的な本が目の前に現れたりすると、どうしようもなく読みたくなってしまうのである。これはもはや”趣味”の域を超えて、”病気”といっても差し支えない。おそらく、これくらいの”好き”なら、それを仕事にしてもいいのではないだろうか。

たとえば私は就業時間以外も本を読み、書店をウロウロしている。ビジネスとプライベートの境界線はあいまいだ。旅行などに出ても、出先に本があればほぼ無意識に手に取り、奥付などをチェックしてしまう。それでよく同伴者に怒られる。ビョーキである。

ちょっと話はわき道に外れるが、世の中には「1万時間の法則」というものがまことしやかにささやかれている。これは、たとえばピアニストやアスリートなど、プロになる人間はだいたい1万時間以上はそのことに時間を費やしているというものだ。

しかし、だからといってイヤイヤ練習すれば良いというものではないだろう。これは推測の話になるが、1万時間もの練習をする人は、きっと「病的に」それが好きなのだ。プロのピアニストはきっと、「没頭してたらいつのまにか1万時間経ってた(テヘペロ」という感覚なんじゃないかと思う。

これを逆説的に考えれば、これまでの人生で「自分はなんだかんだ、このことにこれまで1万時間を費やしてるなぁ」というものがあれば、それを仕事にすればいいといえるかもしれない。私もおそらく、これまで読書にあてた時間は1万時間を越えていると思う。ちなみに、1万時間はだいたい416.6日である。

もちろん、どれだけ考えても1万時間費やしたものが見つけられない人もいるかもしれない。そういう人はどうすればいいのか? 知らん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?