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命令無視が電撃戦          ーー勝利が彼らを英雄にした


みなさま電撃戦をご存知でしょうか。
そう、あのナチスドイツに勝利をもたらした軍事戦略です。
では、電撃戦が現場の独断によって成功したのはご存知でしょうか。
実は、電撃戦とはドイツにとってすら予想外の奇跡的だったのです。

 どうもミリタリーサークル
 『徒華新書』です。
 @adabanasinsyo

 サークル主の久保智樹です。
 @adabana_kubo

 「ごあいさつ」
 
でも述べさせていただきましたが、
 我々「知っているようで語れない話」
 
を語るミリタリーサークルです。

 早速、本日のミリしら
 (ミリタリー実は知らない話)です。
 英仏にも戦車や航空機があったのになぜドイツだけが電撃戦ができたのか?

 本日はそんな実は知られていない
 奇跡としての電撃戦のお話です。
 本日のお品書きです。
 


対仏電撃戦
――フランスを横断せよ

 独裁者ヒトラーとマンシュタイン将軍は同じ場所を指さしていた。

 「セダン」である。
 ドイツがナポレオン3世を捕らえた古戦場である。

 時は1939年9月1日
 第二次世界大戦が勃発した。

 ナチスドイツのヒトラー総統は
 ダンツィヒを求めて開戦した。
 英仏はナチスドイツに宣戦布告した。

 瞬く間にポーランド、デンマーク、ノルウェーがナチスにのみ込まれた。

 そしてヒトラーは次の目標を定めた。
 フランスの打倒である。
 
 ヒトラーはセダンを突破し敵を打倒することを空想していた。

 奇しくも、ドイツ軍の天才マンシュタイン将軍も同じことを構想していた。

 そこでドイツ軍の戦車の第一人者グデーリアン将軍を訪ね自らの構想を披露したところ彼から熱烈な支持を得た。

 そしてマンシュタインはヒトラーに自らの意見を進言した。
 総統は自ら思い描いていた構想が提示されたのである。
 ヒトラーはこれを推し進めた。
 
 フランス侵攻作戦。
 作戦名「黄色の場合」である。
 別名「マンシュタインプラン」。

 作戦の狙いは次の通りである。
 B軍集団がオランダベルギーのベネルクス地方に侵攻をおこない連合国軍主力を引き付ける。

 その間にA軍集団はアルデンヌの森を通り、セダンを突破しフランスを横断する。
 そして敵の全てを包囲殲滅する。


 そのために持ちうる機動戦力。
 即ち戦車と航空機をA軍集団に集中させる。
 ここに「電撃戦」戦略が誕生したのである。
 
 1940年5月10日
 ドイツはフランスに進撃した。

 西方電撃戦の始まりである。
 ドイツ軍の持つすべての
 機動戦力がフランスを襲った。

 目標はセダン!
 そしてその先の大西洋ドーバー海峡!

 フランス軍は難攻不落の大要塞マジノ線の脇を抜け、天然の要害アルデンヌの森からの奇襲を受けるなどとは思わなかった。

 英仏はドイツの陽動攻撃であるベネルクス地方を本命の攻撃だと誤認した。
 英仏は持てる全兵力をベネルクス地方に投入したのである。
 
 ドイツ軍の計画通りであった。
 本命は戦車によるA軍集団の電撃戦。
 急降下爆撃機スツーカに援護されたドイツの機甲師団はセダンを突破。
 そして無人のフランス内陸を猛烈な勢いで突き進んだ。

 この時側面を防御することすら無視してドイツは遮二無二に進んだ。

『電撃戦 グデーリアン回想記』フジ書房、1989年

 戦車と航空機による電撃戦を前にフランスに打つ手はなかった。
 ドイツは完全な勝利は目前にあった。
 
 しかし完璧な勝利とはならなかった。
 ヒトラーの介入である。
 総統は包囲が完成する直前に停止命令を出した。

 理由は戦車の損耗を嫌ったからとも、
 空軍で敵を撃滅できると信じたとも、
 完全な殲滅はイギリスとの講和に
 支障が出るからともいわれる。
 
 どちらにしろ包囲網は完成した。
 しかしその締め上げはできなかった。

 その間にイギリスは国中の船という船を集め兵士の脱出の準備をした。 
 「ダイナモ作戦」である。

 ドイツ軍は35万人を包囲しながらその悉くを取り逃がしてしまった。
 
 しかしフランス軍は取り残された。
 そして残存兵力は僅かばかりだった。
 6月14日にパリが陥落した。
 6月21日フランスは降伏した。

 ドイツは第一次世界大戦では4年かけてもフランスを倒せなかった。
 しかしヒトラーは第二次世界大戦において攻撃から2か月足らずでフランスは倒した。

 なぜか?
 人々は答えを求めた。
「そうか。電撃戦だと!」

 では電撃戦とはどのようなものだったのか。

 電撃戦とはつまるところ、戦車と航空機の集中運用である。
 その戦法の特徴は次の点にある。
 高速な戦車、砲兵の代わりに支援する空軍。
 敵の重点を回避し不必要な戦闘を避ける。
 そして敵を回り込み無力化する。
 
 と、ここまでは良く知られる話である。 
 ミリタリーに詳しい方ならご存じだったかもしれない。
 
 しかしドイツの電撃戦の成功は果たして本当に戦車と航空機の連携のおかげだったのか。
 
 お待たせしました。
 ここからが本当の
 「実は知らない話」です。

 
 電撃戦とはどうして成功したのか。
 なぜドイツは世界の軍事常識を覆すような電撃戦という大博打を打てたのか。
 
 ある人は言う。
 電撃戦は幻だと。奇跡だと。
 本日はそれを語っていく。


電撃戦は時間の奪い合い
――機略戦としての電撃戦

 
 ここまで戦車と航空機が一体となり
 立体的に戦う電撃戦の姿を描写してきた。
 
 そしてそれが奇跡だとも語った。
 一体どういうことなのだろうか。

 理論はいいから答えを知りたい。
 そういう方はこの章を読み飛ばしていいです。


 例えば葛原 和三は
 次のように電撃戦を語る。 

「戦車と航空機の組み合わせは、「面」から「体」への急激な次元の切り替えを強要し、敵をして対応不可能に陥らせたのが「電撃戦」(Blitzkrieg)であった。」

 ここまで見てきたような戦車や航空機といった「ハードウェア」に焦点を当てている。
 通説的な電撃戦像を見事に説明している。
 
 しかし考えてほしい。
 フランス軍にもイギリス軍にも、
 航空機も戦車もあったのである。
 
 電撃戦がハードウェアによるものなら
 フランスもイギリスも電撃戦を行う余地はあったはずである。

 にもかかわらず、なぜドイツだけが
 電撃戦を成功させたのか。

 
 単純にハードウェアだけで見るのなら
 フランスやイギリスの方がドイツを圧倒していたのだから尚の事、不思議である。

 この疑問に対する一つの議論がある。

 まったく別の電撃戦像を提示する軍人がいる。

 アメリカ空軍のボイド大佐である。
 彼の議論は次のものである。

 彼の講義録『A Discourse on Wining and Losing』を引用する。
 
電撃戦やゲリラ戦は国家や体制の
 あらゆるレベルで政治、経済と
 社会構造の倫理的な紐帯を弱体化さ   
 せ、粉砕するために浸透するのであ
 る。」

 この理論は従来のハードウェアに着目した電撃戦でなく「ソフトウェア」に着目した電撃戦を描いている。
 
 電撃戦は敵の構造の紐帯を弱体化させ
 粉砕することによって
 勝利を達成するとしている。

 これは何を指しているのか。

 頑張ってもう少しだけ読み進めてください。世界が変わりますから。
 
 きわめて抽象的なこの概念を具体化した理論がある。 

 ボイド大佐が影響を与えたアメリカ海兵隊のドクトリン(戦い方の教科書)である。

 アメリカ海兵隊ドクトリン『MCDP-1 WARFIGHTING』には次のようにある。

 「機略戦は、敵が対処することができない騒然とした急速に悪化する状況を作り出す迅速で集中的かつ思いもよらないさまざまな行動によって、敵の凝集力を粉砕することを探求する戦闘哲学である。」 

 ここで「機略戦」(”manuver warfare”)
という概念が登場するが、これはこれまで見てきた軽快な戦車や航空機により突破する「機動戦」(”mobile warfare”)とは全く異なる概念である。

 話がややこしいと感じた貴方。
 大丈夫、段々と具体的になります。


 機略戦とは次のような方法で行う。
① 敵のシステムへの
  浸透とそのための回避
② 物理的粉砕でなく
  調和的全体としての
  戦う能力を打ち砕く
③ バラバラとなった
  戦闘単位の破壊

 これを実行する具体的な方法は
 次の4点にある。
① 速度による主導権の確保
② 集中による敵組織混乱の最大化
③ 敵の思考に入り込み奇襲を実現
④ 不確実性に立ち向かう気性と
  対処する心の柔軟性

 さて皆さんは思われたのではないか。
 これは機動戦としての電撃戦の理論と
変わらないのではないか
と。
 
 しかし重要な差異がある。
 それは敵の心理、すなわち構造の紐帯、に対して働きかけることである。

 これこそが「ソフトウェア」としての電撃戦である。
 
 そして次の点が決定的な特徴を持つ。
 どのようにしたら敵の心理を弱体化させ粉砕するかである。
 
 同じくMCDP-1の記述である。
「敵が対処できない騒然とした状況を
 急激に作り出す(中略)
 敵が時間的優位性を獲得するよりも俊敏なテンポを作り出すという時間における機略。」

 注目してほしいのは「時間」である。
 戦闘のテンポを握るのが機略戦の本懐である。

 大丈夫です。 
 ここまでピンと来ていなくとも。 
 次からは具体例ですから。

 その為にボイドが考案した理論が「OODAループ」である。
 OODAループとは
 人間の思考パターンである。
 
 人間は状況を「観察」し、自らの価値観や知識に当てはめ「見当識」をつくり、 
行動を「決心」し、実際に「行動」する。


 この一連のプロセスは一人の兵士から   
軍の最高指揮官や国家元首まで誰もが
同じように思考するものである。
 
 重要なのは自らがOODAループに基づき
思考を回すのと同様に、敵も思考することである。

 このOODAループを高速化することが
時間における機略である。

図1

 ここからより具体的にこのOODAループが何をもたらすのかをご紹介します。

 2つの競争相手がOODAループを回すと仮定します(図1)
 片方が「高速のOODAループ」。
 もう一方が「低速のOODAループ」。

 「高速のOODAループ」が一回の思考プロセスを経て「行動」します。
 そうすると「低速のOODAループ」
は問題が生じます。(図2)

図2

 「高速のOODAループ」の行動の結果、状況が変化します。
 「低速のOODAループ」側は変化した状況を「観察」するとことから
OODAループを再度回す必要が生じます。
 
 MCDP-1の指す
「速度における主導権」を確保に成功した側はOODAループが止まらない限り永遠に主導権を確保できます。 (図3) 

図3

「高速のOODAループ」が主導的に
「行動(Action)」をした結果、
 「低速のOODAループ」は状況の変化の度にひたすら状況を「観察」し直す必要が生じる。
 それはすなわち、状況の変化を観察するのに精いっぱいで「行動」ができない状態である。

 察しの言い方はそろそろお気づきではないだろうか。

「高速のOODAループ」がドイツ軍。
「低速のOODAループ」がフランス軍。


 ドイツのフランス侵攻は実際に
部隊を包囲殲滅したわけではない。
 ドイツ軍の戦車部隊がひたすらに
状況を変化させたのである。

 フランスはセダンを突破されると対応を検討する。
 その間にドイツは次の街を攻略する。
 慌てたフランスは再度状況を
 観察し行動を検討する。
 しかしその間に次の街を落とす。

 フランス軍はドイツ軍と正面から戦って負けたのではない。
 むしろ戦う命令、つまり「決心」と「行動」ができなかったのである。
 それは「観察」が追いつかなかったからである。
 要するに戦う命令が伝達されず立ち尽くして負けたのである。

 これこそが「構造的紐帯」の粉砕である。
 電撃戦は時間における機略の結果
 「調和的全体としての戦う能力を打ち砕く」戦いとして成功を収めたのである。
 
 そして、この視点からなぜダンケルクでドイツ軍が止まったか説明ができる。

 あまりにも素早い進撃にドイツ軍の守旧派の見当識すら破壊してしまったのである。
 第一次世界大戦の塹壕戦を想定していた人々にとってあまりに素早い状況の変化だった。
 勿論ヒトラーもその一人である。

 その結果が総統命令による停止である。
 そしてイギリスは自らのOODAループを回す時間を手に入れた。
 それこそがダンケルクからの撤退である。
 


 戦車と航空機ならフランスにもイギリスにもあった。
 それどころか質的にも量的にもドイツは劣勢だった。
 にもかかわらず、なぜ電撃戦が成功したのか。

 それはハードウェアでなくソフトウェアに答えがあったという以外ない。
 そしてこれがその仕組みである。

 いわゆる「電撃戦」が戦車や航空機といったハードウェアを用いて「空間」を機動力によって支配する概念だとするならば、
 機略戦とは機動力も活用して「時間」を支配して敵のソフトウェアを粉砕する概念である。

 構造の紐帯を破壊する機略戦
 これがドイツの行ったことである。
 フランスの見当識を破壊する絶大な攻撃であった。
 しかして、しまいには総統の見当識をも破壊した。
 
 さてここで問題が生じる。
 この理論はベトナム戦争後のアメリカの戦略論である。
 当然のこととして当時のドイツは
 タイムマシンがなかったのでこの理論を知らない。
 
 この理論はあくまでも後世に
 西方電撃戦を検討した軍人の講義録がベースである。

 では、理論を知らずしてドイツ軍はどのようにこの理論を実践できたのだろうか。

 改めて語ります。
 本当の電撃戦の姿を。
 それは奇跡であり、幻である。
 なにより命令無視の物語である。


止まれない将軍。壊れた無線。
――電撃戦という幻


 「奇跡だ。
 奇跡としか言いようがない」

 セダン突破を聞いたときにヒトラーは思わず叫んだ。
 自ら一世一代の作戦を命じた司令官の叫びである。

 ヒトラーにとって、ドイツにとってセダンとは奇跡だった。

 後から歴史を知る我々はこれまで歴史的経過から電撃戦を追いかけた。
 
 しかし実際には大博打であり彼はそれに奇跡的に勝ったと感じていた。

 計画者のマンシュタイン、実行者のグデーリアン以外誰も成功するとはつゆほども思ってなかったのである。

 その証拠を示そう。

マンシュタインプラン。
この快進撃など計画されていなかったのである

 参謀総長ハルダ―は次のように言った。
「装甲部隊はムーズ渡河の最初のひと押しに参加するが、次の作戦上の総攻撃に装甲部隊をそのまま使用するわけではない。
 大兵力の歩兵部隊が活動できるだけの確固たる基盤をムーズ川の西に作ることが先決である。 
 装甲兵力を再編し、これをどのような作戦に使用するかはそのあとで考えればよい

 奇跡を信じていなかったヒトラーも
 「ムーズ渡河に成功した後の措置」については、これを自身の専管事項に入れると命じた。

 しかし我々は知っている。
 実際にドイツ軍はドーバーまで進撃したと。

 セダンを攻略しムーズ川を渡ったグデーリアン装甲軍には命令が下ったはずである。

 グデーリアンに命令したのは誰か。
 答えはグデーリアン自身である。

 彼の部隊のモットーは
 「もたもたするな、てきぱきやれ」。
 
 セダンを攻略したグデーリアンに
 副官は言った。

「『もたもたするな、てきぱきやれ』
です。」

 
 歴史はこの一言によってつくられた。
 グデーリアンはセダンの橋頭保の確保の命令即ち防衛命令を蹴り飛ばした。


 「よし、決まった!」

 5月14日14時に彼は命じた。
 
「全兵力をあげて直ちに西方に出撃し、
 シェムリ―の西四〇キロメートルの
 ルテルに向かって攻撃を敢行せよ!」

 命令無視。
 将軍は止まらない。
 グデーリアンは自ら鎖を断ち切った。
 
 セダンの奇跡を起こしたグデーリアンはこれより再び奇跡を起こす。

 グデーリアンが決断した14日。
 上部組織クライスト装甲集団は危機にあった。

 敵はフランス軍ではない。
 時代の変化についていけない将軍が敵となった。

 A軍集団司令官ルントシュテットは、クライスト装甲集団が一挙にムーズ川を渡り切ればその独立性を尊重するが、渡河が上手くいかなかった場合は集団を解体し、これを各歩兵軍のための作戦的予備に回す方針を固めた。

 確かにグデーリアン装甲軍は
 渡河に成功した。
 しかしラインハルト装甲軍は
 手間取っていた。

 クライストは命令した。
 「装甲集団の総力を挙げて
 攻撃を続行せよ!」

 ラインハルト装甲軍も
 歩兵部隊と交代すると聞かされいきり立った。
 第6装甲師団の歩兵部隊が白兵攻撃で橋頭堡をこじ開けた。

 そして第6装甲師団の師団長ケンプフも
グデーリアンと同じ道を選んだ。

 彼は橋頭堡を築くと、全ての部隊が渡り切る前に手元にある部隊をかき集めた。
 そして追撃のための支隊を編成した。    
 彼らも西方へと突進を開始した

 クライスト装甲集団そのものが
 歩兵に追いつかれまいと
 
丸ごと西に、敵地奥地に、
 逃避行を始めたのである。

 味方から逃げる。
 そのための命令無視。
 故に電撃的に走った。

 西方電撃戦を語るのに一人の将軍を忘れているとの非難が出そうである。
 誰を隠そうロンメル将軍である。


 A軍集団 第4軍 第7装甲師団 師団長。
 彼もまた西方電撃戦で名を馳せた。

 彼も遮二無二に進撃してクライスト装甲軍の北側を疾走した。
 空軍の援護もなしにムーズ川を渡り西へと猛進激を開始した。

 北からロンメルが、
 中央をケンプフが、
 南からグデーリアンが

 
 信念か、意地か、功名心か

 理由は何であれ彼らは
 一日でフランスの防衛戦を
 100キロも食い破った。

 読者の一部は疑問に思うだろう。
 これだけの進撃をしてなぜ反撃を受けないのか。

 理由は明白である。
 フランスやイギリスの兵士が後方地帯だと思い戦闘準備をしていない中に、戦車が四方八方に弾を撃ちながら突っ込んでいくのである。
 彼らは戦う準備さえしていないまま蹂躙された。
 フランスの反撃戦力の集結地点に戦車で突っ込む攻勢防御によって反撃を受けなかったのである。

 さてそろそろタイトルを回収したい。
 壊れた無線について。

 グデーリアンとロンメルは
 大変特殊な無線機を持っていた。

 それは後方からの
 停止命令が来るときは故障
 味方に対する
 前進命令は伝達できる無線である。

 彼らの無線はしかも占領地を拡大したときだけ後方と繋がった。

 ロンメルの第7装甲師団は、
 ロンメル自身が部隊の最も先頭に立ち進軍をするため、
 第4軍ですら居場所を掴めず
 「幽霊師団」と呼ばれたほどである。

 また、クライストはグデーリアンの独断専行を知りながら、
 これをうまく誤魔化しA軍集団に報告してやっていた。

 さて読者諸兄、
 これが本当の「電撃戦」である。

 電撃戦とは、
 勝利のために、
 軍集団を守るために、
 自らの名誉のために、
 命令違反をした無法者たちの
 戦争術であった。

 しかし勝利が彼らを英雄にした。
 
 ハルダ―参謀総長は西方電撃戦をこう振り返る。

 「外国ではどこでもそうらしいが、
 ドイツ人がやった新しい戦法について
 熱心に情報を集めているそうだ。

 全く無駄なことだ。
 戦争とは一瞬の体系なのだから。」

 電撃戦という戦略などなかった。
 あったのは戦車指揮官の直感だけだ。
 直感こそが電撃戦を生み出した。
 電撃戦という幻である。


おわりにかえて


 電撃戦。
 それは皆が知っている概念である。
 ドイツ軍の機動戦である。

 しかしここまでお読みいただいた方はその理解の他に「機略戦としての理解」や「現場の独断としての理解」を持っていただけたかと思う。

 これこそ我々が読者に届けたいと願っている「ミリタリー実は知らない話」である。

 実は、私にとっての初めての「ミリタリー実は知らない話」はまさににこの電撃戦でした。

 私自身が高校生のときに
『電撃戦という幻』に出会った時に感動を覚えた。と同時に恐怖にかられた。

 今当たり前に語られていることに対して別の解釈があるのではないかと。
 自分の知っていることは真に語れるほど確かなものなのかと。

 それ以来何よりも当然として語られることに対して慎重な態度を取る事にした。
 例えばヘタリア伝説や珍兵器を面白くみる一方でここで語られてない真理があるのではと常に思うようになった。

 その意味では無知への恐怖が私の執筆の気力の根源である。

  弊サークル『徒華新書』の
「ミリタリー実は知らない話」シリーズは、まさにこのような知っているミリタリー知識は本当に正しいのかという興味に立脚している。
 
 未熟ながらも我々は精一杯の誠実さで
ミリタリーに向き合うつもりである。
 
 我々の記事「ミリしら」は隔週連載にてミリタリーの実は知らない話をお届けする予定です。少しでもご興味ありましたら、noteやTwitterのフォローよろしくお願いします。

 何か一つでも実は知らない話があれば幸甚です。
 ミリしらを応援をよろしくお願いします。
 

参考文献

カール=ハインツ=フリーザー著、大木毅・安藤公一訳『電撃戦という幻 上下』中央公論新書・2003年
レン・デイトン著、喜多迅鷹訳『電撃戦』早川書房・1989年
ハインツ・グデーリアン著、本郷健訳『電撃戦』フジ書房・1989年
夕撃旅団『ドイツ電撃戦に学ぶ OODAループ「超」入門』・2018年
大木毅『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』角川新書・2019年
大木毅『戦車将軍グデーリアン 電撃戦を演出した男』角川新書・2020年


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