虚

昼間鈍行(4)巌流島と安心のバリゾーゴンの回

2015年8月19日
5:45 新門司港(北九州)

新門司に着く旨の船内放送が聞こえて慌てて飛び起きた。時計は朝5時過ぎを指している。寝ぼけたまま窓の外見ると、空はまだうっすらと紺色がかっていて夏だというのに寒そうだった。

人ひとりいない新門司港で船を降りると、フェリー会社の手配でJR門司駅までのタクシーが用意されていた。港の周囲には鉄道が一切通っていない為、最寄りの門司駅まで車で移動しなければならない。ちなみに徒歩だと1時間半かかる上に山道となるから、フェリー会社のタクシー手配は良心的というべきだろう。

何人かの船客と同じタクシーに詰め込まれ港を出発した。出てすぐに現れた山道を15分くらい走った後、ひらけて街に出た。閑散とした門司駅前に停車され、乗客は思い思いに散っていく。東京であれば、電車の時間までに喫茶店などでコーヒーなど啜るところであるが、この時間の門司には開いているところなどなく、朝靄の中で街はその身をじっとさせている。

数分歩けば関門海峡を目にすることができた。今まで答案用紙に書いてきた単なる解答だったものが、ぼくの眼前で生きもののようにうねっていた。

海は波を絶えず岸に押し出し、幾重にも重なるその波の向こうには見たことのない大きさのタンカーが何隻も往来している。海の先には黒ずんだ新日鉄の八幡製鉄所や九州電力の火力発電所が何本もの煙突から煙を出し、大自然とのコントラストからその禍々しさを際立たせていた。静止しているものは一切なく常に動き続けている印象を放ち、海上交通の要所として今もまだ現役であるとの威光を誇らしげに示しているようだった。月並みな言葉であるが、「百聞は一見に如かず」とはまさしくこの事を言うのだろう。百冊の問題集はホンモノの一見に敵わない。

右手に小さな島が見えた。
あの"巌流島"だった。

ご存知、宮本武蔵と佐々木小次郎、決戦の地である。17世紀の剣豪同士の大喧嘩が、その後の江戸時代後期から現代に至るまで様々な作品の題材として民衆に愛されることとなったのはとても興味深い。人というのは何であれ勝敗というものを好むようで、W杯中の渋谷で大勢の人間たちがサムライジャパンの勝利にエッホエッホしているのなど見れば、巌流島の闘いを題材にした人形浄瑠璃を手に汗握りしめて観ていた江戸の人たちなんかも容易に想像できるというものだ。

勝負といえば、ぼくの通っていた高校には変わった行事があった。
それは"定期戦"と呼ばれている。

群馬にはいわゆる進学校に位置付けられる高校がいくつかあるが、その中でも双璧をなすのは、県庁所在地たる前橋市にある"前橋高校"と県下最大の商業都市たる高崎市にある"高崎高校"の2校である。両校とも100年以上の歴史を誇る伝統校なのだが、その中でも60余年と古い歴史を持つそのイベントが、この"定期戦"だ。

要は読んで字のごとく
年に1度、両校で力比べをし県下に君臨する覇者を決める。

かつては利根川を挟んで罵詈雑言の中小石など投げ合ったなどと校内ではまことしやかに噂されていたりするが、当然のごとく現代の定期戦は勝敗を決するのにスポーツを用いる。が、男子校同士が母校の威信を賭けて勝負するのだから、状況は容易に想像できよう。

やはりどうしたってバリゾーゴンなのである。

基本路線としては、前橋高校の生徒は白い体育着と土地の名産品を揶揄して"白豚"、高崎高校の生徒は高校に裏山(標高227m)があるという野性味から"山猿"と互いに罵りあうというもの。そこから如何に技巧を凝らして敵を煽るかという一点に偏差値70の脳みそが全力で無駄にフル稼働する。

戦国時代の武士たちが背負っていた旗さながら、定期戦においても両校とも思い思いの旗を持参する。風にたなびくいくつもの旗があちこちで散見されるのはまさしく戦国の世ともいうべき様子だが、前橋側の旗に書いてあるのは「県庁所在地」の文字。高崎側に目をやると「県庁を返せ」の旗。その後ろには「ヤマダ(ヤマダ電機本社)はもらった」の旗が見え、前橋側には「ヤマダを返せ」の旗。

もはや高校など関係なく、隣り合う二都市の間に漂う不穏な政治経済的煽りを面白がってこれでもかとぶっ放すのである。


髪型も不穏だった。"V"(victory:勝利)の形に髪の毛を残して他は全剃りする者、サッカーボールの模様にする者、モヒカンにする者、半分だけ5厘坊主にする者など、挙げれば枚挙にいとまがない。

特に定期戦の実行委員は戦意高揚の為に髪型をいじることが大半だったので、髪を刈らない奴は戦犯のごとき扱いを受ける。ちなみに先述の半分だけ5厘坊主とは実行委員をやっていたぼくのことだ。

そんななか、当日になっても一切髪に変換の無いメンバーがいた。
彼らは実行委員の中でもより中心的なメンバー、"強化委員"と呼ばれている。本来であれば、今にも「汚物は消毒だ〜!!」などと今にも言いそうな外見でもおかしく無いが、昨日と変わらない平和的な髪型をしている。

開会式で我々の強化委員たちによるマイクパフォーマンスの出番がきたものの、彼らー数名の強化委員たちーは、約900人の白豚陣営の前に横一文字で並び、直立不動のまま胸を張って一切動かない。

それを見て待ってましたとばかりに前橋の強化委員たちが頭で顔を真っ赤にしながら山猿陣営に対して暴言を浴びせる。山猿の強化委員たちがじっとただ立っているのを見て、がっかりだと言わんばかりに侮蔑の言葉を投げる。


彼らの罵倒が最高潮に達した時



わずか数名の強化委員達は「押忍」と叫んで、深く頭を下げた。



下げた頭のてっぺんには
綺麗な、一切毛の無い円。



空気を撼わす歓声。



"聖ザビエル"の称号。



その斬新な発想と引き換えに社会的な死を選んだ若き数名の有志に前橋陣営は称賛を送ってくれたのだった。まさに聖人。




普段、日常的に前橋高校と高崎高校は勉学において互いを意識している。ライバル校として、模試や入試の結果でしのぎを削っている。お互いが拮抗しあいながら、その実力を共に認め合い尊敬していた。

こうやって根底に敬意があるからこそ、その土台の上で安心して戯れることができるのだとぼくは高校の3年間で学んだ。定期戦が60年以上に渡って開催され続けているのは、互いに対する敬意が60年に渡って息づいていることを証明している。

そういう土台の上で交わされる勝負こそ、ぼくらを熱くさせてくれる。

勝負に勝って泣いたのは、後にも先にもこの時だけであった。

7:06 門司駅

歩いて門司駅まで戻り、東京まで帰るための青春18切符を購入した。
これより、5日以内に東京まで戻らなければならない、という時間的制約が生まれた。

朝から何も食べていなかったが、まだ店が開く時間でも無いため、ファミリーマートでツナおにぎりを勝って食べた。せっかく北九州まで来たというのに、東京でも手に入るツナおにぎりを買って食べるのは少々寂しい気もしたが、全国どこでも同じものが食べられるという驚異的な事実に気づきすぐに満足した。

この時間くらいから一斉にセミが鳴き始めた。さっきまで妙に静かに感じた理由はこのためだろう。

駅の向こう側に高い山が見える。戸ノ上山(とのうえさん)と言うとのこと。

しばらく門司駅のホームで電車を待っていると、クリーム色の車体にブルーのラインを走らせたJR九州の電車がやってきた。ぼくは下関に向かうため、それに乗り込むと、今見てきたものを記すために手帳を開いた。

***

(友人が先輩にだまされてこんな頭にされた。怖かった。)

_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_ > 読んでいただきありがとうございます <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄