観覧車

昼間鈍行(2)魚になれない男はトビウオを眺めるの回

2015年8月18日
9:57 フェリー 展望風呂

緊張した心持ちで展望風呂のとびらをガララと引いて中を見る。が、客はぼくひとりだけのようで安心した。ぼくは前を隠す派であるが、それはそれなりに煩わしいものではあるので、文字通り手放しで展望風呂を楽しめることに喜んだ。

暗に示されてしまった隠さない派の存在についてはここで多くを語れない。
ただ、高校時代に合宿所の風呂場で裸体を晒した当派の友人が、
"小宇宙(コスモ)"と周囲に名付けられたのを思い出すと、隠さない派の負うリスクは極めて大きいと思う次第である。

展望風呂は、ちょうど高校の合宿所を思わせるようなひと昔前のデザインをたたえている。「展望」というくらいだから浴室には大きな窓が備え付けられていて、その向こうに見える昨晩対峙した黒々とした海は、平和的な青にその色を変貌させていた。

ところでぼくは、「海の上で風呂に浸かる」というマトリョーシカ的構図を気に入っていた。水の上でわざわざ桶に水を張り、有難そうな表情で体を浸すぼくを海中の魚達が見たら、さぞ滑稽に思うに違いない。だからこそ、この喜びはぼくら人間だけのものだと思った。いや、あとは猿とカピバラ。

こうしてぼくは朝風呂という形で、気分良く2日目の朝を迎えたのである。

ロビーを通って船内の展望デッキへ向かう。昨晩の展望デッキはいわゆる甲板というやつだったので、風に吹かれながら海を眺めても良かった。しかしせっかくの風呂上がり、クーラーで涼みながら景色を眺めるのもまた夏に似つかわしいと思った。

途中、船内の運行路線図が目に入る。現在地を示す列状に並ぶ豆電球は東京から続いて和歌山のあたりまで点灯していた。

船内の展望デッキ(今後区別するために、船内デッキと呼ぶ)は学校の教室程度の広さで、床はマットが敷かれている。靴を脱がねばならなず、履いていたスニーカーを下駄箱に入れる。中にはバイソンみたいな体型をした中年男性がオレンジ色のブランケットをかけて昼寝をしており、その子供なのか、近くでぼんやりとケーキの作り方を紹介するテレビ番組を観ていた。

ぼくは窓の近くに座り込み、手に持った手帳に昨晩からのことを書き綴った。疲れると外に目を向け、薄っぺらく延々と続く日本列島に港やら道路やら、時たま遊園地(観覧車)があるのに気づいて、逐一手帳に記す。
普段陸の上にいると気がつかないが、雲というものがこれほど陸の表面近くを漂っていることに驚いていた。

船内デッキでしばらく日記を書いた後、すっかり冷房で冷えきった体をあたためたく、外の展望デッキへ出た。水気と塩分を含んだ、ぬるりとした風がぼくを撫でる。見たこともないサイズのタンカーが、たくさんのコンテナを載せたまま悠々と海上を進んでいた。ぼくにとっては特別なこの光景も、だれかにとってはただの日常なのだろう。

同世代くらいの男性が3人くらい、一眼レフで写真を撮っていた。大きなレンズは景色ではなく船体に向かっている。一目見て、その道のマニアの方だとわかった。どのジャンルにも熱狂的なファンというのはいるものだ、とぼくは感心した。同時に、そうやって何かに心底ハマれるものがある彼らを羨んだ。

19の春、大学進学を期に上京したぼくは、普段は"王様のブランチ"やら"メレンゲの気持ち"でしか観ないような東京の街がすぐ近くにあることに舞い上がっていた。意味もなく新宿や池袋を歩いたり、吉祥寺の井の頭公園あたりに点在する雑貨屋やカフェを眺めるだけでも楽しかった。「お上りさん」というやつだ。

ある日、ぼくと同じく進学で上京してきていた友人と、お上りさん二人で「秋葉原を歩いてみよう」という話になった。世界に誇る二次元・萌え文化の中心地とは一体どのような様子なのかこの目で見てみたかった、という動機ももちろんあったものの、『電車男』の山田孝之さながらのダサい風貌をした、絵に描いたような、ドラマから抜け出てきたかのようなオタクが本当に街中を往来しているのかという、一種の懐疑心があったのは否めない。
そのような存在は、現実感が、ない。

男子高というのは奇妙なもので、オタク的性質を持ち合わせた者が多く集っている。
クラスメイトに片っ端から化学元素のあだ名をつける変わり者や、普通科の高校なのにクラシックに人生を捧げ音楽大学を目指す者。無口でクールなキャラだと思ってたやつの携帯待受は「けいおん!」だし、イケメンの陸上部員君は友人と帰りに駅前のアニメイトに行く約束を取りつけいたりする。授業中の英作文で「魔法少女まどか マギカ」の感想を語り教師を唖然とさせた者がいたかと思えば、竹島問題についての主張を毛筆で書いた手紙が校舎から見つかったりする。部室のドアを開けたら、部員じゃ無い知らない誰かが般若心経を詠唱していた時はさすがに肝が冷えた。「仏説摩訶般若波羅…」じゃねえよ。

こうした魑魅魍魎とも言うべき友人たちのことをぼくは大好きだった。
それと同時に、自分もそうありたいと強く思うようになった。自分だけの世界を持って、友人との会話を楽しんだり、授業中の雑談で自由自在にクラスを笑いに湧かす彼らが羨ましかった。
まるで魚が水の中で本領を発揮するように、彼らは自分たちが活き活きとできる世界を自分の中に持っていた。地面の上じゃ跳ねることしかできないが、水の中では縦横無尽に泳ぎ回ることができる。

ぼくはといえば、中2の時に母から初体験の時の話を事細かに聞かされて度肝を抜かれた話くらいでしかクラスを笑わせたことはない。無念である。(予想外にも、それ以降ぼくの母はクラスの人気者となった。)

とにかく、ぼくの短い人生にとってオタクとは彼らのような存在であり、それが現実だった。とあれば、ぼくは自分の現実を広げるために自らの足を動かさねばならない。

一緒に行った友人ー彼はスーパーの青果部門に勤務しているため、"青果君"と呼ぶーも、慣れない東京にウキウキとしており、ぼくの「秋葉原へ行ってみよう」という誘いに二つ返事で載った。しかし、侮るなかれ我らお上りさんは、秋葉原についたは良いものの何をしたら良いかわからなくなったのである。メイド喫茶に入るのは抵抗があったし、目的のショップや観光スポット、アイドルがいたわけでもない。

ぼくはふと思いついたことを口にした。
「手練れっぽい人の後についてってみよう」

今考えれば完全にアウトであるが、何をするでもなくうろうろするよりは、迷惑にならない範囲で街に慣れた人たちの動きに従ってみようと言う趣旨だったので、何卒見逃していただきたい。

青果君はぼくの提案に目を輝かせると、目の前を歩いていたワンダフル魁みたいな中年男性に狙いを定めた。


(ワンダフル魁,増田こうすけ「ギャグマンガ日和」より)


納得の手練れ感ではあったので、青果君に賞賛の言葉を送り、それとなく身を任せる。しばらく大通りを行くと裏道に入って、ワンダフル魁氏は突如とある店舗の前に立ち止まった。

それは電球の専門店だった。大量の電球が店頭に展示されている。ワンダフル魁氏はそのまま膨大な量の電球を物色し続ける。

失礼な話ではあるが、我々は最新の萌えロードをこのワンダフル魁氏が闊歩してくれるかと密かに期待していたのだが、行く先は古き良き秋葉原電気街、その一部だったのである。

ぼくは電球を真剣に見つめる彼の姿を見て、またしても自分には縦横無尽に泳げる世界が、全身を浸せる世界が無いのだ、という事実を突きつけられたような気がした。あんな眼差しで、何かを見つめたことが今まであっただろうか。

今でもたまに、当時の自分たちの蛮行を思い出して苦笑するとともに、
やはり未だ自分は陸の上でピチピチと跳ね続けている、とかすかに焦りを覚えることがある。

13:14 徳島港

港は巨大な木材置き場も兼ねているらしく、大量の丸太と赤々と錆びた運搬用の車や重機が並んでいる。その向こうに目をやると、防波堤の上から釣り糸を垂らすおじさんたちが見え、これらの景色を包み込むように山々が周囲を囲んでいる。そのせいか、初めて見た徳島の印象は「赤と緑」だった。はからずもクリスマスカラーのようだ。

そういえば、接岸にはえらく感動した。これほどの巨体を一体どうやってコンクリートで固められた船着場へつけるのだろうと興味を持ち、徳島港へ停泊する旨の放送を船内で聞くやいなや、港側がよく見える窓の前に向かい、ぼくはその一部始終を見ていたのだ。さっきまで力強く船体を震わせていたエンジン音は突然小刻みになり、その差があまりに大きかったものだから、繊細とという言葉が頭に浮かんだ。そのままフェリーはゆっくりと、ひと昔前に流行ったアハ体験動画のように、注意しないと気づかないようなスピードで岸に近づいていった。接岸の衝撃にドキドキしながら身構えていると、いつの間にか陸から桟橋のようなものが運ばれてきて船に接続され、しばらくすると何人かの船客が荷物を持ってその橋を渡り始めた。「そりゃそうか」と心で呟く。毎度毎度岸にぶつかっていては、船も長くは持つまい。

さっきの船舶マニアたちが大きな荷物を抱えて下船しているのが見えた。北九州まで行くのかと勝手に思っていたが、何か目的があるのだろう。

やがてエンジンが止まり、船内は嘘のように静かになった。

そういえば徳島へ来る途中、海上で無数の跳ねる何かを見た。
たぶんトビウオだろう。太陽光をその鱗と羽で反射させ、キラキラと綺麗に輝いていた。水の中では飽き足らないのか、勢いよく跳ね上がると、そのまま滑るように海面を駆け抜けていた。ぼくはトビウオを初めてみた。
せっかくなので、忘れないように書きとどめておく。
(追記:調べてみたら、和歌山沖の一部地域はトビウオの名産地として知られているようだった。)

1時間ほど停泊した後、船はいつもの振動を取り戻して、陸を離れた。
ぼくはやることもなく、ただ景色を見ている。

周囲は再び海に囲まれ、船客を少なくした船は少しさびしそうに南へ向かった。

***

(観覧車を見た時、さっきまで只の景色だった陸が、生活の色を帯びた)

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