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目の見えない白鳥さんとアート鑑賞しました

「目の見えない白鳥さんと楽しむアート鑑賞会」(主催 atelier Beyond)に参加してきました。鑑賞したのは新国立美術館の「DOMANI 明日展」。
一般に人がアート鑑賞で一つの作品の前てとどまる時間は数秒から十数秒程度だと以前聞いたことがあります。下記の本にも語られていますが、盲目のアート鑑賞家白鳥建二さんとのアート鑑賞は数点に絞って、作品の前に10分15分と留まり、みたまま、感じたままをアウトプットしていくというスタイルです。とても贅沢。

鑑賞しながら話に花が咲いていい!

ある参加者「こんなに話しながら鑑賞するって(うるさいので)普通は、ダメですよね」
白鳥さん「(きっぱり&穏やかに)いいんだよ」
たまに、「お静かにお願いします」と学芸員の方が注意される場面にアート鑑賞中に遭遇するので、この会話がとても印象に残っています。

説明や解釈を外す

鑑賞したアウトプットに、作者が誰で、どういう作風で、どういう意図で制作されたかという説明は必要ない。
匂いのワークショップと一緒だな、とあらためて実感しました。
これが何の香りか考え探ろうとしない、自分がこれをどう感じるか、どんなイメージが湧くかだけを大切に、するのが匂いのワークショップです。

余白

先に通じますが「これはこういう意味、こういうもの」ということが明確になるほど、白鳥さんにとっては、それは良い作品、面白い作品から遠ざかるのだそう。
これも香りと同じで、認知感覚というのか「これって豪華な希少なローズのエッセンスです、気持ちを明るくします」と先に”説明”した途端に、豪華なのか、希少なのか、気分を明るくするなのか、それらの複合なのか、香りに対する感覚を誘導されてしまう。
※逆に言うと、最初にいかにも、「こういうもの」と言い切って誘導する香りのテックもあります。

余白がある作品が楽しい。互いの余白を互いに尊重して、感心をもって、一期一会のアウトプット、対話を楽しむ。そのことで、また自己理解が深まる。理解の深まった自己の世界を抱きしめて。
そういう思いを新たにした時間でした。

白鳥さんがアート鑑賞を始めた経緯や、美術館とのやりとりなども本に詳細があり、丁寧に突き抜けていく感じを私は羨ましく思っています。

香り、アート、余白、その思い、呼吸。


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