後悔先に立つ

後悔先に立たず

すでに終わったことを、いくら後で悔やんでも取り返しがつかないということ。
故事ことわざ辞典より(http://kotowaza-allguide.com/ko/koukaisakinitatazu.html

「後から後悔したって遅いよ。」
いろんな人から、いろんな場面で言われることがある。
後悔なんて、みんなしたくない。後からこうしていれば良かった、なんて思うことは一度だって少ない方がいい。でもそのときはあんなことになるなんて、こんなことになるなんて思ってもいないから事前には気をつけられなかったりする。

例えば今日、会社から帰る途中に野良犬に噛まれ、運悪く狂犬病に感染して命を落とす、かも。

例えば、お盆休みに飛行機に乗る。
運悪くその飛行機がハイジャックに遭い、墜落する、かも。

私たちの想像力は無限で、一つの些事にどんな顛末だってこじつけられる。

いったい誰がその結末を想像して事前に注意を払うだろう。
「あのとき違う道から帰っていれば...」
「飛行機の便をずらしていれば...」
そんな感情は、きっと湧いてくる。でも結果を知らずにその時に戻ったってきっと同じ選択をする。そんなことになるなんて思いもしないから。予見可能性が低い結果に対しては後悔したって仕方がなくて、ある種どうしようもない不運なのだ。

予見できる未来にこそ、なんでそんなことにも気付かなかったのか、思い至らなかったのかって後悔する。

予見可能性が高い後悔ってなんだろうか。

石に布団は着せられぬ

墓石に布団をかけてもむだである。親の生きているうちに孝行をしておかなければ、その死後に後悔をしてもまにあわない。孝行をしたいときには親はなし。
(三省堂大辞林より)

今私は地方にある母方の実家からこの記事を書いている。半年ぶりの帰省である。

両親は60代。母はまだまだピンピンしているが、白髪は増え体は小さくなった。父は少し腎臓が良くない、と医師に言われているそうだ。

「就学・就職で家を出たら、親にあと何回会えるのか、考えてごらんなさい」

これは大学の時分に英語の先生が言っていた言葉だ。

当時、なるほど、確かにと得心した。盆と正月に帰省するとして年に2回。当時50代半ばほどだった両親が90歳まで生きるとして、あと70回ほど。100回もない。そう、わかってはいた。ただそれがどんな意味であるのかよくわかっていなかった。70回という数字は確かに少ないかもな、と思ったが、同時に「まあそんなもんかな」と思っていた。

最近は、友人に子どもが産まれている。私自身はまだ未婚の身で子どももいないが、友人たちの子を心底かわいく思うし、その溺愛ぶりもよく分かる。そんな折に、ふと頭をよぎった。70回という数字は親にとっても、あと何回子どもの顔を見られるか、という数字なのか。

先生がきっかけの言葉をくれてから10年の時が経った。今ではその70回が50回に減っている。ここしばらくは年に1回帰省するかしないか、というスタンスであった私にとって、友人が親になっていくことがきっかけの一つになって今回の帰省に至った。

突然だが両親は離婚している。

熟年離婚であった。先ほどの英語の先生の授業を受けている頃。20歳そこそこのときのことであった。
大してショックは受けなかったし、ああそうか、とどこか他人事だった。
「あと70回会う親戚」くらいに思っていたのかもしれない。

離婚に際して、事情は省くが母方の戸籍に入った。そうして、元々父親が好きではなかったこと、父が再婚したことも相まって疎遠になっていった。

そんな父に最後に会ったのは5年前。祖母の葬儀のときだった。そのときでさえ、3年ぶりだとかそんな話だった。
きっと、父のなかでの私は大学生で止まっている。良くても、新入社員に毛が生えたフレッシュマンだったあの頃の私で止まっているはずだ。酒を酌み交わしたこともない。

自分に息子がいたらどうだろう。

成人したら酒を注いでやりたい。元気でやっているか。勉強や仕事はどうだ。どんな志や目標を持っているんだ。たくさん話をしたい。そしてほんの少しだけの尊敬を持って私の話を聞いて欲しい。わがままだろうか。

そんなことを考えて、明後日、5年ぶりに父に会う約束をした。
残念ながらドクターストップがかかっているそうで、酒を酌み交わすことはできないが、たくさん話をしようと思う。10年前には持てなかった、尊敬の気持ちも少しばかり持って行こう。

後悔の後ろに立ったもの

前回の記事でも少し触れたが、数か月前に失恋をした。

くどい、女々しいと思わないで欲しい。それくらい自分の考え方に一石を投じた出来事だった。たくさんの後悔をした。

「なぜあのときこんなことをしたのか」

悔いは絶えないが、そのなかで"同じ"失敗をしない、したくないと思った。

勿論、全く同じ場面は今後訪れないだろう。失敗を抽象化して、いくつかの反省に至った。

それが「後悔先に立たず」であり、「石に布団は着せられぬ」であった。
後悔は、今後の人生でもきっとする。きっとするからこそ、同じ失敗をしないために、学んでいかなくちゃいけない。大切な人を失ってから後悔しても遅いのだ。

正直に言って、今はそれほど両親に会いたい、親孝行をしたいと心から思えていないかもしれない。 ただ、きっと思う。20年後に、30年後に。もしかしたら数年後に。
なんでもっと会っておかなかったのか。尊敬していると伝えなかったのか。
あなたの子に生まれて良かったと伝えなかったのか、って。

だから、少しの気恥ずかしさを飲み込んで、残り50回を愛おしみながら「ただいま」って言おう。

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