20181108_日本のデザイン1

新しい日本のデザインを考える -1-

洋服は「洋」という文字がつくとおり、ヨーロッパやアメリカなど西洋的価値観が支配している。その価値観は洋服の構造に表れている。西洋の服は、人間の身体のラインを露わにする。身体の体型を個性と捉え、そのシルエットを綺麗に出す構造。それゆえ、服の形が立体的である。しかし、人間の個性を表すものは体型だけとは限らない。身体の動作も個性として捉えることができる。

 例えば「歩く」。

 その動作一つとっても、手の振り方から歩幅まで人それぞれ。「あの人のあの仕草が好き」その言葉が証明する通り、人間は外観だけでなく、動作にも個性が表れる。着物を代表するように東洋の服は平面的である。最初から意図して作ったものなのか、それは定かではないが結果的に東洋の服は、身体の体型を個性とするのではなく、身体の動作を個性として捉えたものになっている。

 僕はこれまで何度か、パリコレクションに参加している日本ブランドの服を見るとコム デ ギャルソンの影響力の強さを感じると述べてきた。

 技巧を凝らしたディテール、難解さが絡み合ったパターン、アイデアを凝縮した意匠に富んだ素材、何層にもレイヤーするスタイリング。そのどれもが、とてもコム デ ギャルソン的。複雑性の極地が、日本のデザインとしてパリで評価されているように思える。そのデザインを否定するわけではない。伝えたいのは、日本のデザインとして別の軸のデザインを世界に提示する時期ではないかということ。

 考えてみたいと思う。「日本の新しいデザインとは何か」その問いに対する僕個人の「現在」の答えを。そこには、僕自身のデザイン的DNAと言える要素を持ち込みながら。

日本伝統の美意識に見出す

 そのためのヒントは、日本伝統の美意識の中にきっとある。今こそ日本の伝統に目を向けて見るべきではないだろうか。インターネットやSNSで世界の境界が薄れた今だからこそ、ローカルな伝統や価値観に目を向け、その中に自分が育んできた感性と適合する美意識を見つけ出し、現代的に再解釈する。それを世界のファッションの流れに乗せて発信していくべきなのではないか。

 僕が惹かれた日本伝統の美意識は、次の二つだった。

 「平面性」と「不均衡」である。

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