見出し画像

映画『ある男』感想 拭いきれない過去が浮き彫りにする社会の悪意

 物語の面白さ、社会派作品、芸術性を複合させた傑作。映画『ある男』感想です。

 武本里枝(安藤サクラ)は、離婚後、子どもを連れて故郷の実家に戻り暮らしていたところ、移住してきた「谷口大祐」(窪田正孝)という材木会社に勤める男と親しくなり再婚する。大祐との間にも娘を授かり、連れ子である悠人(坂元愛登)と大祐の仲も良く、家族は穏やかな年月を過ごす。ところが、伐採の事故で大祐は樹の下敷きとなり命を落としてしまう。
 哀しみが癒えぬ中、一周忌の法要に、疎遠になっていた大祐の兄である谷口恭一(眞島秀和)が訪れるが、遺影を見た恭一は驚きの事実を告げる。「これ、大祐じゃないです——」
 自分を、家族を愛してくれた夫は誰だったのか。里枝は離婚の際に世話になった弁護士の城戸章良(妻夫木聡)に身元調査の依頼をする。城戸は名前もわからない、その「ある男」の人生を辿り始める…という物語。

 作家・平野啓一郎さんの同名小説を原作にして、『蜜蜂と遠雷』『Arc/アーク』で知られる石川慶監督が実写化した作品。石川監督はまたもや小説作品の映画化作品ですね。

 あらすじから見ると、いわゆるサスペンス的な物語になってはいますが、事件の真相だけを追う物語とは違い、そこに至るまでの登場人物の心理描写をドラマに仕立てたものになっています。原作の平野啓一郎さんによる文学性の部分を、石川監督が完全に理解して映像として表現している作品だと思います。
 
 冒頭の里枝と大祐の出会いからして、濃密な映像表現になっており、伝統的な日本映画特有の雰囲気で見応えあるものになっています。これだけで1作品作れそうな人間ドラマになっているんですけど、そこから亡くなった大祐が身分を偽っていた男と判明するところで、サスペンス物語に一気に切り替わる瞬間が最高にカッコいい表現になっています。この瞬間だけで、観た甲斐を得られる満足感あるものです。
 
 原作は未読ですが、聞いたところによると、もっといろんな登場人物の人間性を掘り下げるスタイルらしいですね。けれどもこの実写作品ではそこを省いて、弁護士の城戸の視点で、「谷口大祐」を名乗るある男・Xの人生を追うものになっています。
 観客は城戸の視点で物語を観ることになるわけですが、妻夫木さんは昔からこういう「受け」の演技が上手いですよね。あまり主張し過ぎることなく、言ってしまえば傍観者のような立場なんですけど、城戸が在日朝鮮人から日本に帰化したという出自があるが故に、傍観者ではいられないものになっていく姿が描かれています。
 
 里枝役の安藤サクラさんの演技も、また改めて日本の役者の中でトップクラスであることを証明するものです。冒頭の、文房具店の店番をしながら悲しみが急にこみ上げてしまう表情なんて、見た事ない芝居ですが、凄まじくリアリティあるものなんですよね。この冒頭の表情が出ただけで、作品が傑作であることを確信させる素晴らしい演技です。
 
 さらに、冒頭で退場しながらも、実質的にこの物語の主人公である「ある男」を演じた窪田正孝さんの演技も素晴らしいものでした。父親と息子の二役を演じていますが、両者がそれそれに持つ別種の不安定さをきちんと別人として表現しています。ボクサーとしての肉体美も凄いんですけど、出自により追い詰められていく繊細な青年が、自傷行為として生まれた筋肉であるということが、その肉体美を哀しいものとして映しています。
 
 物語としては群像劇部分を端折っていますが、その代わりに名のある役者を随所に出すことで、それぞれの人物輪郭をはっきりとさせる演出になっています。物語にとっては脇役なんですが、それぞれに人生があり、誰もが作品のテーマでもある「過去」を抱えた人間であるということを表現していると感じました。
 
 特に役者として凄まじさを見せつけてくれたのが、小見浦憲男を演じた柄本明さんですね。物語には、悪意ないままに先入観やカテゴライズという名の差別的暴力をまき散らす人物たちが描かれていますが(その悪意がないからこその醜悪さも)、この小見浦だけは、明確に悪意をもって城戸に差別をぶつけてきます。だからこそ、小見浦の言葉がある種の本質を捉えるものになっており、真実を知る者という役割をこの人物に負わせることで、社会に蔓延する悪意が集積したような存在に感じられるものになっています。これほど感情移入しにくい人物を演じるのは、柄本明さんの並大抵ではない表現力によるものだと思います。
 
 真相が解き明かされた後、「過ごした時間こそが本物」という、至極真っ当なメッセージで終わるかと思いきや、それをブチ壊しにして反転させるブラックな終わらせ方というのも、とても見事なものです。綺麗事で終わらせられるほど、この社会に蔓延している悪意は少なくないという厳しいメッセージに感じられました。オープニングのルネ・マグリットの絵画『複製禁止』が、ラストに繋がっていくところまで完璧だと思います。

 サスペンス的な面白さ、社会派のメッセージ、人間感情を描くドラマと、多面的な方向性を持たせた傑作だと思います。石川慶監督の凄まじさを見せつける作品です。


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?