剣持HDMI問題の真相。ADHDへの「配慮」とは?具体的な証拠などによる検証以前の話として

今回の件における具体的発言がどういう意味を持つ、何が本当で何がデマなのか、どの解釈が妥当なのかといったことについての検証は別でやっているので気になる方はそちらを参照してください。

それとは別の問題として、事実の検証以前に今回のADHDに関した剣持の発言がそれだけで問題だと断定している人は、
ADHDは普通ではなく、普通でないことはネガティブな意味を持つ
という勝手な価値観を無自覚に前提して判断を行っているのではないか?という疑念がある。その人たちこそ、まず自身についてのその可能性と向き合うべきなのではないだろうか。
X上のあちこちに見られる剣持批判の発言で、まるで根拠のように扱われている、自身が感じた驚き・困惑・不快という内面的現象は本来その人たち自身が持っている差別感情に起因するものでしかない場合もある。

どの言葉が、さらに言えばどんな表現が誰にショックを与えているのかなどということは、そもそもその表現自体を見ただけでは分からないし、厳密に考えればありとあらゆる表現が他者の内面にネガティブな感情や感覚を引き起こしうる。言葉に限らず何らかの象徴は、それを目にした時に自分自身のネガティブな記憶や、もしくは今迄に目にした世間に流通するそうした個人の記憶についての語りを我々に思い起こさせるからだ。

たとえば何かの突起物を見て、
これはペニスの暗喩だ!公の場でこんなものを女性にみせて傷つける気か!
などと誰かが言い出したらおかしいでしょ、という話で、もし本当にその人物が何らかの突起物を見るとペニスを想起する人だったとしても、それはその人物の価値観・信念の体系・記憶がそうさせたのであって他人が持っている何らかの意識によって引き起こされたのではない。

私自身について言えば、BL表現を見ると未だにある種の困惑・驚き・焦りのような感情を持ってしまう。でもそれを理由にして、
「作者は、BLには配慮が無い!誰か(世の中の男性?)にショックを与えて傷つけている!攻撃だ!」
などとと非難したりはしない。

https://twitter.com/voeej3zX52kms6c/status/1697956911780598105

また、私は学生時代に暴行を受けていたので、制服だった学ランを目にしたりするとそれだけで息苦しくなって体が硬直するのだが、それを理由にして学生服を取り締まれ、学ランの表現を止めろ、などとも言わない。

誰かに何かを想起させるある物品などによって、その人物が実際に過去に傷つけられていたとしても、それはその人の個人的な体験に基づくものだ。それを思い出してショックを感じたとしても、現実の被害の責任はその人を実際に傷つけた当事者に対して請求されるべきことだろう。ネガティブな感覚が発生させるある印象についても、その印象と結びつく過去の実際の体験における現実の加害者に請求されるべきだ。
(私的な領域については話が変わって来る可能性があるが、少なくとも公的な領域における何らかの表現については、以上のように言って差し支えないはずだ。)

演技指導の名門・アクターズスタジオで教えられるメソッド演技には次のような技法がある。ざっくり言うと以下のようになるだろう。
ある俳優が主人公を演じ、娘を殺害した犯罪者相手に怒りをむき出しにするシーン。我々観客は主人公が娘を殺されて怒っていると感じる。
ところがこの技法によって俳優が実際に行っているのは単に自分の日常生活で感じた怒り、例えば今朝の渋滞でクラクションを鳴らしてきたタクシーの運転手に対して抱いた感情を思い出して、それを再現しているだけだったりするのだ。
こういう原因の取り違えを頻繁に起こすのが私たちの感情や感覚だ。
だからそれを絶対視している人は改めた方がよい。ちなみに多くの人が自らの感覚や感情を確かなものだと考えてしまう理由は以下の引用に書いたような理由からでしかない。

https://twitter.com/voeej3zX52kms6c/status/1698009847575576675

例えていうなら、剣持のシルエットを見て、その輪郭が黒い怪物ーそれはあなた自身の影なのだがーと同じ形に見えたからと言って剣持を叩くのはお門違いだと言うことだ。
HDMIという言い替えで、自分たちの中に隠蔽されていたADHDへ差別意識を自覚させられただけなのに、それを勝手に発言者の内面に投影して
「差別感情を持っている」
「相手をバカにしている」
と騒ぐのは、自分の醜さを知って鏡に文句を言っているようなものだろう。

そして、この手の炎上が差別用語などを巡るポリコレと言われるジャンルの様相を取ってしばしば現れるのは、人々にとって自分たちの罪悪感をごまかすために都合がよいからだろう。ポリコレ概念に当てはめれば単に自分が感じただけの個人的な印象を、公の場での「配慮の対象」に格上げすることができる。
そしてそれを指摘する側に立ちさえすれば他人に責任を押し付けて自分の中の醜い部分を自覚せずに済む。

https://twitter.com/voeej3zX52kms6c/status/1697889086374388039
訂正:×耳障りの言い→耳障りの良い

次の引用と同じ感想を私も持っているが、ただ、今回「ズラした」のは剣持本人ではなく、「剣持には悪意がある」と勝手に決め付けた人たちとそれを信じて触れ回った人たちであり、彼らによって今回の事件を通して、これまでは蔑称と言う定義すら一切なかった、ただの言い替えでしかない、つまり未だ「良い、悪い」の価値判断が含まれなかった言葉「HDMI」が、相手をバカにするという意味にまでズラされたということだ。
その「ズラし」によって、元々ADHD自体にネガティブな印象がレッテル貼りされている社会の状態はそのまま保存され、また同時に、人々がそのネガティブな印象をそのまま受容しているという構造も隠蔽されてしまった。
端的にこれはADHDを巡る差別の状態がより悪化したことを意味する。

https://twitter.com/facet31/status/1695276552777531655


「私はそれを聞いて驚いた、不快に感じた」
という聞き手が感じる快・不快、気持ちの問題を根拠した何らかの倫理的判断は、自らの感情・感覚を分析せずに済ませて行われるため、自分自身が持つ差別意識に対して無批判な状態が維持されることになり、今述べた「ズラし」によって問題をこじらせて現実の差別意識の解消をより困難にするだけでなく、具体的に次のような事態さえ引き起こす。

https://twitter.com/kokoronomedia/status/1695234658395705543

この様な偽善・欺瞞の別の現れ方としては、差別表現として過剰に避けられるものが出る一方で別の「無配慮」についてはそのまま放置されて問題にすらならないというものがあり、次の訴えが示すような理不尽や矛盾が積み重なっていくことにもなる。

https://twitter.com/kti256045735866/status/1695099168006811863

その結果、我々の善悪の判断はいたずらに混乱させられ、本来即物的には扱えないはずの倫理や正義といった、自由な言論によって解釈や意味を扱って整え、共有可能な形にしていくはずのこの社会の中の重要な要素を、それについて一貫性をもって合理的に考えることが不可能な、まるでカルトの教義のような代物に変質させてしまうことになる。

差別表現等へのクレームを言い立てて取り締まろうとするというと、女性への差別を問題にして表現規制を要求するようなフェミニズムが真っ先に思い出されると思うが、あれも本来の性質からは全く違うスタイルに歪められてしまったという経緯を持つ。今回の件で行われているような「無自覚なままの己の内面への自己弁護」のために、いわゆる「ポリコレ棒」を使うと想定外の事態に陥り、碌なことにならないという事例だ。

https://twitter.com/voeej3zX52kms6c/status/1695039185210782109


剣持への糾弾も、もしそれが通ったとしても、剣持のアンチ以外、誰にとっても不毛な結果しかもたらさないだろう。いったいこの配慮によって具体的に何か良い目に合う人がいるのだろうか?
剣持を糾弾する人々によって今回直接の「被害者」とされている卯月コウすらも、正式な診断を受けていないわけで、彼にADHDの非当事者という可能性が常に付きまとう以上、今後は「おだやかHD」や「ドジっ子」という表現を用いて何らかの話をすること自体を封印しなくてはならなくなるだろう。
そのことからも分かるように、こうした「不謹慎や配慮を言い立てて表現を規制しようとする申し立て」は、許容すれば際限なく拡大し、全く非合理的で意味不明な結果を導くことになる。

具体例として、先に上げたインチキフェミニズム(クレーマー)の例が日本ではどういう「配慮」を求める結果に至ったのかをお見せする。このイラストの撤去、もしくはキャラクターの衣装の変更(スカート丈の変更、へそチラの禁止など)がその「配慮」の指す内容である。

https://twitter.com/hitoshinka/status/1694961848628769167

だが本来「配慮」されるべき女性に対する性的搾取とはそんなことではなく、左の画像(国連が定める規定)で色がついている部分の次の記述が示すような現実的問題のことであろう。
性的サービスとの引き換えによる援助物資の提供、また性的サービスをしなければ援助を停止するという脅迫行為、買春、強姦、買春を目的とする人身売買等」(当該文書より青色部分の全体を抜粋。ちなみに問題のイラストは女性の手による作品である。)

剣持の発言を糾弾している人々はこうしたフェミニストを名乗るクレーマーのような意味不明な規制を要求する人々と、その手法、動機において同じ手合いだと言うことができる。

おそらく彼らを動かしている直接の要因としては、にじさんじ内で剣持と並んでリスナーのヘイトを集めていた「嫌われ者」である群道美鈴に対する「デッドボール」発言を発端とする炎上からの引退騒動、という「成果」があるのだろう。そこでアンチと呼ばれるmob(暴徒)たちは成功体験を得て、ポリコレネタは自分たちの嫌いなVtuberを攻撃し、彼・彼女らに引退するかアンチの要求に従って支配を受け入れるのか、という2択を突き付けることを可能にする「魔法の杖」であることに気づいたのだろう。

にじさんじの運営会社(えにから)は愚かなことにわざわざ群道の言動について、誤解を招く表現だったという謝罪・釈明レベルでとどめずに、彼女がVtuberとして配信を開始して以来「複数回に渡り不適切な言動を行っており、都度当社から注意を行っていた」という表現を使ってまでタレントを逆に糾弾した。

https://twitter.com/nijisanji_app/status/1638848081113522176
引用文中の「ライバー」とは、にじさんじにおけるVtuberの呼称。

何故タレントを守るのが仕事のはずの運営会社がこのようなタレント本人をさらに追い込むような不必要な発言を炎上の際に行ったのかは謎だが、うがった見方をすれば、「実況パワフルプロ野球」(コナミ)という野球に関するコンテンツ(ビデオゲーム)とタイアップして企画を持つじさんじの運営(えにから)側が、野球をする子供たちへの「配慮」が足りないとしてコナミ側との間で問題になることを恐れて保身を図って責任を彼女個人に押し付けたと見做すことも出来る。

とにかくその結果、以前からアンチによってつつかれ続けていた群道の「物議をかもした」とされる発言が、実際にも全てアウトだったのだ、という解釈を可能にしてしまった。
つまり暴徒たちは彼らの感覚・感情のみによる判断に、公式のお墨付きを与えられた状態になったということだ。結局しばらくの後、群道美鈴は引退することになる。

この手法でなら嫌いなライバーを追い込んだり支配下に置くことができる!」と実感した一部のクレーマー気質のリスナーたちが、前々から気に入らなかった剣持に対しても同じ手法を行使しようとしているとしても驚くにはあたらないだろう。
であるならば柳の下の二匹目のドジョウを狙うモンスタークレーマーに対して甘い顔をして更なる成功体験を味わわせることは悪手と言える。

基本的に本人たちの成功体験が少ないからなのか、一度覚えた方法にひらすら固執するのがこの手の人々の特徴であるため、おそらく今後もなにかにつけて攻撃が行われる風潮は継続されると考えた方が良いと思う。
実際、直近の児童虐待・性犯罪としてのジャニーズ問題のニュースによる社会的注目度の向上を利用して、ロリコン、ペドフィリアなどを取り上げ、それを理由にして「ポリコレ」の名の下に何人かのVtuberへの糾弾を始めているようなXアカウントも見かけた。
群道の件を見て分る通り、この手の問題に対しては運営もあまりアテにはできない以上、ファンの側で可能な限り理論的に武装して、難癖にはいつでも対処できるようにしておくべきかも知れない。

いずれにせよ、今回の騒動は以前から剣持にヘイトを向けていた一部のリスナーが撒いたデマに、ADHDという「異質性」を物事の価値付けの低さと勝手に同一視している人々が、自分自身の「私は清く正しい心の持ち主で差別意識など持っていない」というアイデンティティを守るために「自分がショックを受けたのは剣持が悪意を以て発言し、それを感じ取ったからだ」と責任を表現の側に転嫁したことによって発生したネットのボヤ騒ぎである可能性が非常に高いと言わざるを得ない。
このような自分自身が清らかであると勝手に前提している人たちが振り回す感情論は、同じく「教義を信じている自分たちは清らかである」と信じて頑なに反社会的性質を認めようとせず、カルト教団の正当性を疑おうとしない旧・統一教会の信者たちと同じ精神性だと言って良いだろう。



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