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髪を切れない理由 ーあるトラウマの話ー

* ~タイトル画像はイメージです 本人ではありません~

――突然だが、私はもう何年も髪の毛を長く伸ばしている。

試みにメジャーを使って計ってみたところ、肩から下の長さだけで軽く50cmはあった。毛先は腰をとうに通り越して、お尻にまで届いている。

途中、何度か毛先を切りそろえる程度のケアはしつつも、ロングストレートの髪型を続けて、間違いなくもう10年以上になる。

それには特に大きな理由はないのだけれど、それにしても「ただ何となく」というのでもなく、「この髪型が強烈に気に入っているからだ」などという主張があるわけでもない。

……それではなぜ、漫然とこの髪型を続けているのか。その答えは一つ。

美容室に行くのがコワい」からだ。

20代や30代の頃は、私とてごく普通に、世の女性たちと同じように美容室に行っていた。通う頻度としては、半年か1年に1度。
頻繁に行く人は2~3ヶ月に1回通うというのも聞いたことがあるので普通よりも少ない、ということになるのだろうが。

それでもまだ、当時は前髪をカットしたりパーマをかけたりカラーリングを楽しんだりしていたものだ。パーマやカラーの待ち時間の間に普段読まないファッション雑誌を読むのもいい気分転換だった。

美容師さんとの会話ははっきり言って苦手な方で、ドラマ『いちばんすきな花』で松下洸平演じる椿さんが「続けて2回同じ美容室に行けない」と言っていたのに激しく同意したものだった。

それでも、行けば行ったで美容師さんとの会話も決してできないというわけではなく、何とか頑張ってこなしていた。
美容師さんという人たちは接客のプロで、あちらから適切な話題を振って上手に盛り上げてくれるものだからどうでも会話は成立するのである。

ではなぜ、「美容室に行くのがコワい」のか。

まず第一に、私は人一倍〝髪質〟が悪い。
日本人に多いと言われる「硬い」、「太い」、「多い」の三重苦を見事にクリアしている。それに加えてクセッ毛であり、全体的に極端にまとまりにくい。ボリュームが出すぎるため長く伸ばすことによって重みを得て、ようやく人並みに落ち着かせることが出来ている。三重苦ならぬ、言わば〝多重苦〟だ。

この髪質のせいで、幾度苦労し、そして劣等感を味わったことか……。

小学生のころに、クラスで友達が友達の髪の毛を編んで遊んでいたことがある。不用意にも「私も編んで」などと言ってしまったところ、その友達はひと言
「いやよ~。あんたなんか、、、、、、
と言った。
そうか。そう言われるだろうな。予想はついていたことではあったが、そのとき初めて私は「自分の髪は人が編みたがらないタイプの髪なんだ」ということを思い知ったのである。
その台詞を言った友達は、普段からとても優しくて友達思いの女の子だった。だから彼女に悪気はなく、それはつい反射的に漏れ出てしまった本音、、だったのだろうと思われた。
だがそれだけに、それはガツンとくる体験だった。

その他にも、大学生の時にショートヘアにパーマをかけて失敗してしまった経験もある。その時の美容師さんはとてもフレンドリーでいい人だったのだが、私の髪質のせいでずいぶん世話をかけてしまった。
つまり、こうだ。普通の(せめて普通の!)髪質の人ならば何ということはなく完了するであろうパーマスタイルが、私の場合どうしてもうまくキマらないのだ。ロットを外してスタイリングしていく過程で、どうにも収拾がつかなくなってしまった彼女は、ハサミを駆使して何とか綺麗なシルエットを出そうと苦心した。私も客として機嫌を損ねることなく、彼女がフィニッシュするのをニコニコと根気強く待った。
――しまいには午後8時を回っていたと思うのだが、えらく遅い時間になって、とうとう美容師が諦めるというような恰好で、私たちは手を打った。イメージ通りの仕上げに出来なかったことで、彼女は申し訳なさそうな顔をしたが、私は申し訳ないのはこっちだという気でいた。自分の髪質のせいで閉店時間も遅くなり、迷惑をかけてしまったと思った。
次の日、大学に行くと、私の新しい髪型を見た教室の男子が開口一番、私と同じ部活の男子に向かって言い放った。
「お前、教育がなっとらんぞ」
……無論、私の髪質が全て悪いのだ、私の髪質のせいなのだ、私の髪質では誰にどんな文句を言う権利も無いのだということは承知している。
でも、今でもその時のことは忘れられない。

――あとは、大学の卒業式の日――そのころはまた別の美容室に通っていたのだが――、憧れのはかま姿で卒業式を迎えることにした私は、その美容室で袴に似合う髪型に結ってもらった。
そのときも美容師さんは、私の髪を結うのに四苦八苦していた。着物とは違って袴用の髪型であるからハーフアップだし簡単な結い方でOKなはずなのだが、私の髪の弾力が強すぎるらしく、ことごとくピンを弾いてしまうらしいのだ。
結果、より強力な太いピンを使うとか何かして、何とか形になるようには結ってもらえた。
その美容師さんとは、なぜかいつも話が弾み、とても仲良くしてもらっていた。彼女はそのことについて特に何を言うでもなかったのだけれど、そういった心労をかけてしまったという気まずさから、私はもう二度とその美容室に足を運べないと思った。
そういう別れ方は哀しかったけれど、卒業して郷里に帰ることは、ちょうどいい機会だった。

カナダに住んでいたころ、カナダ人と日本人のハーフの綺麗な女の子がいたのだが、彼女が長く伸ばした私の髪を見て、珍しがって「髪の毛を編んであげる」と言ってくれたことがある。
半分外国人の彼女は、私の多重苦の髪の事情をあまりよくわかっていなかったのだろう、気軽な感じで後ろから私の髪に手をかけ、少しずつ編み込みにしていこうとした。
が、しばらくすると、背後から彼女の困惑の息遣いが聞こえてきた。ん……? ん……? ふぅ~……といっている。
私には最初からわかっていたのだが、「やれるんならやってみな」ぐらいの感覚で、彼女のチャレンジ精神を尊重したのだった。
だが、案の定彼女は、登山で言えば三合目付近で早くも息切れを起こしてしまった。何しろ私の髪は硬すぎて、編み手のいうことを一切聞かず、編み込みには全く向いていなかったのだ。
結局彼女はあっさりと諦め、私はそれを至極当然のこととして受け止めていた。

……こういった数々の〝ジャブ〟を受けて過ごしてきたわけなのだが、ある日とうとう〝ノックアウト〟の瞬間が訪れた。

あれは忘れもしない、30代のころに通っていた美容室だ。
職場の先輩が「あそこ結構いいよ」と言って勧めてくれた美容室で、もう数回通っていた。
私は担当の美容師というのをつけず、毎回アトランダムに当たる美容師さんに施術を任せていた。
その日当たったのは20代前半くらいの、ショートカットの女の子だった。まだその美容室に入って間もないような、ピチピチの新人さんだったが、実はもうすでに彼女に施術してもらうのは2回目か3回目だった。
シャンプー台から移動してきた私の濡れた髪を触った途端、彼女はこう言った。
「わあ、また伸びましたね」
言いながら、毛束を持って、重たそうにブンブン上下させる。
「すぐ伸びるからねー……」
開き直った声色で、私は返事をした。髪質のことはとうに諦めている。はいごめんね、私の髪は多いよ、すぐ伸びるよ、重たいよ……と。
「ほんっと多い……、……なかなか乾かない……」
美容師はドライヤーの風を当てながら、相変わらず毛束を握ってブンブン動かしつつ、呆れたように呟きつづけていた。
おそらく若くて経験不足の彼女には、私の髪は〝許容範囲外〟の異物だったのだろう。こんなに多くて重たくて乾かない髪は、扱いづらいと思ったのだろう。

――でも、それを本人に向かって声に出して言うか――?

その時心の中で、私はこう呟いていた。

――あのねえ、あなたはこの髪を今日の今触るだけでそんな風に文句言ってるけど、私はこの髪を毎日乾かしてるんだよ、そしてこれからもこの髪と一生つきあっていかなきゃいけないんだよ。

私だって好き好んでこんな髪に生まれてきたわけじゃないんだよ。この気持ちわかる――?

呟きながら、徐々に悔しさと怒りが込み上げてきた。

それは、施術が進むにつれてどんどんどんどん増していって、思わずそのまま椅子から立ち上がって彼女を罵倒し、料金も払わずに店を飛び出してやろうかとまで思うほどになった。
でも、そこは職場の先輩が紹介してくれた店だったため、ただそれだけのために、私は煮えたぎる気持ちをぐっとこらえた。後で先輩が店に行った時に何か言われたら気まずくなるからだ。
でももしその店が先輩の紹介でなかったならば、私は間違いなく心の内を実行に移していただろうと思う。
結局、施術が終わって会計の時に、その店の店長にものも言わず店を後にすることで、かろうじて抗議の意を示した。そしてそれ以来、その店に行くことはなかった。

数か月後、店に足を向けない私のもとに、その美容師の手書きの葉書が送られてきた。美容室がよくやっていた、しばらく来店のない客に宛てて出すリマインダーの葉書だ。
私はそれをスルーした。絶対にあの店には二度と行かない。そう決めていた。

あの若い美容師の女の子を罰したいとか謝罪させたいとか思っているわけではないが、私が店に行かなくなったことで、彼女があの時客がどんな気持ちになるような接客をしたのか、少しでも振り返って何か気づいていてくれたらいいと思う。


それでも、髪の毛のことで誰かに良いことを言ってもらえた経験は、実は2度ほどある。

1度は、仕事で栃木県に滞在していた時に行った美容室でのこと。初めて施術をしてもらったその男性美容師は、私の髪を触りながら「水含み、、、がいいんですね。とってもいい髪質ですよ……」と褒めてくれた。
そんなことを言ってもらえたのは人生で初めてのことだったので、感極まった私は、今もその言葉を大事に胸に抱えている。

2度目は、地元に新しく出来たカフェでのこと。やや冷房が効き過ぎていたのだが、上着を持っていなかった私は束ねていた髪のゴムをはずして長い髪を背中に垂らした。私の毛量では、そうすると背中が温まって上着の代わりのような役割を果たせるのだ。
すると、メニューを持って近づいてきたそこの店員さんが、突然こう言った。「髪が綺麗~! 私もねえ、昔は腰まで伸ばしてたんですけど、歳を取るとね……、50を過ぎると〝栄養〟がに行かなくなるって言われて、もうバサバサになっちゃうもんだから、悲しかったけど切ったんですよ~……」
「切らないで、伸ばし続けて下さいね……」と言った彼女は、他県から移住してきたという。背の高いスラッとした都会的な美人で、前職はデパートでアパレル系の仕事をしていたそうだった。女性相手の接客のプロだったからお世辞が上手いのだろう、と一瞬ひねくれたことを思ったが、よく考えたら固定料金を支払うだけのカフェのお客さんにわざわざお世辞を言う必要はないだろう。それに彼女の言葉には感動すらこもっていて、本気で言ってくれているのが伝わってきた。
何度も思い出すたびに、あんな綺麗な人から髪の毛を褒めてもらえたという事実は、柔らかで温かい光を私の心に灯してくれるようになった。

――だが、しかし。だ。

あの時あの若い美容師から受けた〝ノックアウト〟は、どういうわけか20年以上経った今でも繰り返しフラッシュバックのように記憶の中に去来する。忘れようと努め、しばらくは忘れられたと思っていても、何かの折に髪の毛や美容室の話題になる時など、どうしても思い出してしまう。

多分、この時の経験が一番のトラウマになって、美容室に行くことに苦手意識が芽生えてしまったのだと思う。
令和の美容師さんに、あの子のようなことをする人はまずいないだろうとは思うのだけれど。
でも、それを別にしても、この髪質のせいで美容師さんに少しでも負担をかけてしまうことを考えただけで気後きおくれを感じてしまうのだ。
コロナ禍の間の非接触推進は、美容室に行かないことの良い言い訳になって、正直心安かった。


自分の髪質について悩んでいるなどということを、私は普段おくびにも出さない。
人前ではまったく何ごともないかのように平気な顔をしている。そんな時の私は、普段より返って更に涼し気な顔でさえある。

でも、「美容室に行かない」というスタンスは、続ければ続けるほどその裏に根深く潜む闇が浮き彫りになってくる気がする。やはり、そろそろ髪を切りに行かなければならないのだろう。
そういう気が起こって、1年に1回ほど毛先を揃えるとか単に数十cm短くするとかいうヘアカットをする。美容師さんの負担を考えると、大きなスタイル変更には踏み切れない。

美容系アプリでキャンペーンをやっている美容室などを探して、エイヤッと気合を入れて行ってみる。そしてだいたい、1回こっきりで次はまた違う美容室に行くようになる。
そんな〝美容室ジプシー〟状態を、ここ数年続けている。

平気な顔をして美容室に行く日、その時、私はある程度傲慢ごうまんな気持ちで、美容師さんに迷惑をかけることを承知の上で、面の皮を厚くして臨むほかないのである。


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