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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 終章

 書くことは記憶を固定することだと、いつかどこかで聞きました。おそらく奥様の書かれたこの文章で見知ったものだったのでしょう。それともそれ以前にインターネットか何かで読んだのかもしれません。あるいはテレビで見たものだったかも……。どこで得た情報か正確には思い出せませんが……ともかくその言葉はいつからか私のなかに入り込み、深く根付いているのでございます。そして近ごろ、とみにその言葉を思い出すことが多くなりました。あのお二人の記憶がそうさせたのか、それとももうすぐ人生の幕を閉じようという年齢にさしかかってきた私にとって、やり残したことはないかと思い返したとき、これはやっておかなければならないことなのではないかと思われることだったのかもしれません。

 時代はすっかり様変わりしてしまって、もはやあるじと使用人という間柄は存在すらしない世の中となりました。ですから私のあの方たちに対する想いというものを、完全に理解してくれる人などもういないでしょう。けれど私の想いは別として、表さなければならないと感じています。あの方たちの、表に出すことができなかったそれぞれの想いを、この私が代わりに表すことで、あの方たちのように生きた人々もいたのだということを、できるだけ大勢の人に伝えること、それこそが私に残された最後の使命、あの方たちに対する最後のお勤めだと強く感じるのです。

 時代は変わります。時は流れ、どんな偉大な王朝でさえ、滅び消えてゆきます。あの家にしてもそうでした。あの豪奢で華麗だった一族は、裕人ひろと坊ちゃまの引退後、急激に崩壊し、家族はおろか親戚一同も、てんでにバラバラになってしまっていまでは誰ひとり消息もつかめない有り様。広大な屋敷は競売に掛けられ、また別の大金持ちに買い取られてしまいました。私はお暇をいただき、もっと私にふさわしいこの質素なアパートに越しましたが、奥様から預かっていたものだけは大切にたずさえてまいりました。奥様が亡くなられてから何十年もの年月が過ぎ、そのあいだずっと私はこれらをどうすればいいか考えておりました。
 ああもう幾度目でしょうか、この手書きの手記と4通の手紙を取り出してこの腕に抱くのは……。
 ある日ついに、これらのものを処分するなどということはとうていできそうもないと気づいたとき、私は思い立ったのでございます。奥様の手記と柊二しゅうじ坊ちゃんの手紙を、私が自らの手によって書き起こすことを。私はそうすることによって、お二人の心の軌跡を正確に辿ることができるような気がするのでございます。そうしてお二人の物語を、私の記憶のなかにも固定しておきたいと願ったのです。

 シャルトリューズ修道院では、年に2回〝観想〟Contemplationと呼ばれる期間のあいだに修道士たちが家族からの訪問を受けることのできる機会があるということを知りました。私はインターネットを通じて、柊二坊ちゃんと面会することが可能かどうか問い合わせてみました。私は正式な家族ではないので、適正な審査と確認が必要になるとの返答がありました。申し込みをし、手続きが完了するのに数か月を要しましたが、ありがたいことに、最終的に訪問を許されました。あとで聞くと、柊二坊ちゃんが私を家族相当であると認めて下さったのだそうでした。
 それから私は、フランスに飛びました。老体に加え、人生で初めての海外旅行でしたので不安でしたが、何とか無事にグルノーブル近くのシャルトリューズ山まで辿り着くことができました。〝観想〟の期間はすでに始まっており、私が到着したとき、修道院内にある家族訪問のための部屋では数組の家族と修道士たちがそれぞれなごやかな団欒だんらんの時を過ごしていました。
 ほどなくして私は柊二坊ちゃんと面会を果たすことができました。白い修道着に身を包んだ坊ちゃんが修道院の廊下を歩いてこちらに向かってきたときの姿を、私は忘れることはできません。数十年の年月を経てそれなりにお歳を召した坊ちゃんの目は、以前私が知っていた目とはまったく違って見えました。その目はどこまでも平穏で、満足し、静かな美しい光に満ちあふれていたのです。
 私は挨拶を済ませると、奥様がお亡くなりになったことを告げました。坊ちゃんは、少し心を動かされたようでしたが、すぐに微笑まれ、胸の前で十字を切り、目を閉じて奥様のために短い聖句のようなものを唱えられたようでした。次いであの家のいまの状態についてもご報告申し上げたのですが、奥様のために聖句を唱えられたときのまま、目を閉じて何もおっしゃいませんでした。
 そして、その場で私が奥様の書かれた手記と、かつて坊ちゃんがこの地から送られた4通の手紙を取り出して見せたときも、変わらずその目には泉から湧き出す水のような美しい光がたたえられていました。坊ちゃんは、懐かしそうに手紙を開いて読み返されたり、奥様の手記を真剣なお顔で読みふけったりしておられましたが、やがて顔を上げ、私に向かってひと言だけ、
「ありがとう」
 と日本語でおっしゃられました。
 そして、私の願い――重い体を引きずってこの地までやってきた私の目的――、これらを私の手で書き起こすということについて許可をお願いしたとき、坊ちゃんは変わらずたおやかに微笑まれて、いいですよと言って下さったのです。それだけでなく、それを公表することについてもお許しくださいました。
「真野さんも、お体に気をつけて。幸せで長生きして下さい。僕は今日から毎日あなたのために祈りを捧げます」
 訪問の最後に坊ちゃんはこうおっしゃって下さいました。そのお言葉の優しさに、私は思わず涙が込み上げてしまいました。坊ちゃんの表情は荘厳で、もう揺るぎない修道士の風格さえ現れているようだったのです。
 坊ちゃんは、そのころにはきっとすでに、神の御光に触れていらっしゃったのでしょう。修道院を出るとき、カトリックでもなくキリスト教徒ですらない私自身も神の光に包まれたような心地がしましたから。

 日本に戻り、坊ちゃんの手紙と奥様の手記を何度も何度も読み込んで、自分の体に浸透させてしまってから、私はここにそれらを書き起こしました。この物語ができるだけ多くの方々の目に触れ、少しでも記憶に残ってくれたら、私は勤めを果たせたと言えるでしょう。

 奥様と坊ちゃんの記憶のために、私も祈りをささげます。

 終

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