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『金井美恵子自選短篇集 砂の粒/孤独な場所で』感想

『金井美恵子自選短篇集 砂の粒/孤独な場所で』はそれこそ、自分にとっての、本を読むことの理由そのものだ。この一冊がそのまま、自分が本を読むことの理由そのものとなる。この本を語ることがすなわち、読むことを語ることであり、読む快楽を語ることだ。
生きているとしか言いようのない体験なのだ、それは。生きているというよりほかのない、痛切な体験、痛切さを伴う体験。欠如を、喪失の記憶を。失いつづける痛みを。不在であること、不在をめぐりつづける繰り返しを生きることの孤独を。永遠に辿りつくことのなさ、し終えてしまうことのない試みの無際限さを。ありふれた情景の、ありふれた、けれど息苦しいまでに唯一であるかのような切実さを物語る細部。あらゆる光、あらゆる色彩、あらゆるあわい、あらゆる境界、当然であり必然的な、あらゆる唐突さ…。肉体的な、極めて肉体的な感覚、肉体に感じる、快不快のすべてを。自分は読むことで、生きたのだ。読むことによって、確かに生きたのだ。
既視感。繰り返しの同一性ではなく、ずれ。繰り返すたびに、分かれて行くような。確かに知っていると、確かに生きたことがあると確信したまま、無数と化して行くこと。波及するのだ言葉は。言葉は引き起こす。にじみ出て、浸透する、浸透しあう。混ざり合うことの曖昧さと不確かさと、連続する細部の、胸の締め付けられるような、なまなましい触覚。引き出される。否応なしに引き出されてしまうといつも思う。いくつもの記憶を、情景を、感覚を。その言葉の緻密さと強靭さに。自他の区別さえ、境界さえ見失って、絡まり合って、分かち難く結び付いてしまって、一緒くたなってしまう。快楽なのだそれは。快楽としかいいようのないもの。金井美恵子を読むことで生きたそれは。読むことの喜びそのものであるそれは。

ひどくおかしなことを言うようだけれども、自分は金井美恵子の小説は、だんだんと毛のたくさん生えた生き物のようになって行く、と思う。ふさふさとした毛深い、みっしりと毛の密生する身体を持つ哺乳動物。〈水蜜桃の成分で出来ている哺乳動物〉…密やかな息づかいとにおい、柔らかく温かな手触り。親密な鼓動。毛並みにそって触れること、ざらざらした部分と骨の感触。滑らかに波打つように動作する肉体の優美さ。充足の眠り、〈胸が切なくなるような甘美な熟睡〉はそれこそ、ふさふさとした毛のものだけのものだ。そのような眠りが書かれることになると共に、金井美恵子の小説はだんだんと毛深く、ふさふさとした生き物のようになって行く、と思う。みっしりと毛深い哺乳動物の呼吸する親密な肉体としての金井美恵子の小説。
例えば猫の、〈「充足」そのものが柔らかな毛皮に包まれ、あたたかい呼吸に息づいて、このうえない熱心さで睡眠を遂行している〉、といったような甘やかな眠り、その水蜜桃のような熟睡のなかに存在する、金井美恵子の本。それは同時にその小説が〈繊維的〉という言葉で語られるようになることでもあるなと。繊維的な強靭さと緻密さのイメージをもって語られること。記憶と言葉によるコラージュ、実在するものと不在のものが、イメージと記憶が、或いは書かれた言葉と言葉によって引き出された記憶が、繊維的に絡まり合う。

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