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第11回 南国土佐を後にして(1959 日活)

 さて、映画会社のカラーを紹介するシリーズのトリを飾るのは日活より『南国土佐を後にして』です。

 小林旭演じる"ダイスの眼"こと譲司が刑務所から出てカタギになろうとして上手く行かず、結局博打の世界に舞い戻って行く様をペギー葉山の同名のヒット曲に乗せて送るいわゆる歌謡映画です。

 いい男が出て殺すというのが当時の日活映画だったわけですが、いい男なので旭は女にも男にもモテモテです。いきおいBL的要素を内包したものになります。

 昭和30年代の高知市の風景を記録した映画であり、私事ながら高知県出身の私にとってはとても印象深い映画です

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真面目に解説

日活らしさ

 それは即ちオサレさです。裕ちゃんや旭が任侠道の希薄なチンピラを相手に華麗に浅丘ルリ子あたりを蓮っ葉な中原早苗の邪魔もありつつ守る、まあそういう内容の映画がメインでした。

 しかし、チンピラ寄りの人種はこの日活映画にしびれました。硬派が惚れるのが健さんで、軟派が惚れるのが裕ちゃんや旭だったと言い換えてもいいでしょう。

 今作は当たりを取り、斎藤武市監督は今作で完成されたをフォーマットを元に日活らしさの典型と言うべき『渡り鳥シリーズ』を作り、いわゆる日活アクションと呼ばれる作品群の原点を成します。

 ともすれば、今作は日活らしさを決定付けた映画であり記念碑的作品なのです。このややもすると気取り過ぎてバタ臭い日活らしさは今は味と取ることができますが、やがて時代に取り残され、追い詰められた日活はロマンポルノへと舵を切って逆転ホームランを決めるのです。

歌謡映画というジャンル

 当時はこの手の歌をフィーチャーした映画は歌謡映画と言われて一ジャンルを確立していました。ヒット曲を映画にするもの、映画の主題歌を売り出していくもの、内容も歌詞をなぞっていくものから、今作のような半分名義貸しのような作品まで千差万別でした。

 歌謡映画ですので要所要所に、ややもすれば不自然でわざとらしくペギー葉山が出没しては歌います。

 刑務所に慰問に来たペギー葉山の歌に感銘して譲司はカタギになる決意をするわけですが、この根本からしておかしいのです。

 ギャラなどないも同然、レコードを買おうにも物理的に不可能な客しかいない刑務所に大物歌手がバックバンドまで連れて慰問などする事は普通ないのです。よほどの大親分が入っていればその限りではありませんが。例えば、山守組の若頭とか。

 そして就職活動に難航する譲司とペギー葉山は思いがけず再開し、ペギー葉山は譲司に飯をおごって一万円恵んでくれます。こんな気前と記憶力のいいひとが世間にどれだけいますか?

 最後のサイコロ勝負でもクラブ歌手として歌い始め、譲司をかく乱します。今時クラブ歌手など居る店はざらにはありませんが、当時クラブ歌手はドサ回りの代名詞でした。よほどの大物が来店していたに違いません。山守組の組長と若頭とか。

 譲司がどこへともなく去っていくラストシーンでも『南国土佐を後にして』は流れます。そこらの物陰でペギー葉山が歌っていたとしてももはや驚きません。

懐かしの土佐の町

 ストーリー上舞台が高知である必要さえなく、高知からさっさと東京へ舞台も戻ってしまいますが、高知のお年寄り見せたら涙を流して喜ぶような昔の高知の風景が余すことなく記録されています。

 名勝の島を爆破してまで通したのに今やなき高知港のフェリー、イキりだす前の古式に則った生演奏のよさこい祭り、下に川ができる前のはりまや橋、跡地がパチンコ屋になるというので大騒ぎになった土電会館。

 その他高知大丸、関西汽船、鰹節の大熊と、地元企業も露骨にアピールされます。街並みに映し出される店にも今でも残っているものが散見されます。

 しかし、そんな日本で最も田舎臭くて日本らしい高知の町のムードさえ打ち消すバタ臭さ、オサレさこそが日活の持ち味なのです。土佐弁については最初から捨ててかかっていますが、そういう投げやりな思い切りも日活らしさです。

日活ヤクザ

 日活映画のヤクザは上は組長から下はチンピラまで、東映のヤクザとは違った毛色を持っています。

 例えば川谷拓三や室田日出男には一本筋の通ったヤクザになろうとして失敗した感が漂いますが。日活のヤクザは最初っから任侠道なんてものは頭にないチンピラと言う風です。今風に言えば半グレ的な所があります。

 今作の悪役は内田良平演じる北村。親の借金をカタに譲司の婚約者の浅丘ルリ子演じる春江を自分の物にしようとする小物です。こんな話が同業者に知れたらみっともないと馬鹿にされると思います。

 譲司は賭場の喧嘩で相手をビール瓶で殴って臭い飯を食う羽目になったわけですが、再就職は難航します。前科があるというので会社員は出来るはずもなく、北村の子分はこれ幸いと嫌がらせをします。

 酒屋や魚屋の配達をすればヤクザが自転車をひっくり返し、港湾労働に身を投じようとしたら殴る蹴るのリンチです。陰湿にも程があります。

 一方譲司の腕に惚れこんで付け回す会津(二本柳寛)とベレー(西村晃)のコンビは別段悪いことをしている風はないですが、チャラい格好をしてクラブでカジノを経営しています。このセンスに当時の若者はしびれたのです。

きれいな信雄

 金子信雄と言えば、料理を作っている時はともかく、スクリーンの中ではナチス並の絶対悪です。画面に現れた瞬間スケベな悪党であると確信して間違いがないのです。

 しかし、今作の金子信雄は金持ちのスケベ社長ですが、珍しく良い人でした。浜子への下心があったとはいえ譲司の前科を承知で一旦は自分の会社に雇い入れるのです。

 そうして譲司の最後のサイコロ勝負の相手となるわけですが、潔く負けます。山守があんな潔く負けを認めるはずはないでしょう。珍しいものが見れる映画です。

わりゃあ黙っとれ

 今作のメインヒロインは事実上は中原早苗演じる麻子です。わがままで酒飲みで短気で手段を択ばない、実に土佐の女らしい人物像です。減点は兄貴の手前酒を飲まないという点だけです。本物の土佐の女は兄貴のおごりで一緒に飲みます。

 存在感がなく、単なる綺麗なお人形という感がある譲司の本命の春江を演じる浅丘ルリ子、島耕作に出てくる女のような便利な舞台装置に終始する南田洋子演じる麻子の姉のはま子、いずれも土佐の女の実態とは大きくかけ離れています。

 それに比べて麻子はというと譲司をものにするために手段を選ばず暴走してストーリーをコントロールします。譲司がはま子と親しげになったり、春江の話になったりすると露骨に不貞腐れるのも全ては嫉妬心に他なりません。

 しまいには就職活動に苦しむ譲司を見かねてコネと色気を武器にはま子が用意した就職話を、譲司ははま子のヒモだと金子信雄に密告してぶち壊します。これには会津とベレーもびっくりです。

 譲司やはま子の幸福や名誉を全く無視した暴挙です。自分のヒモになってくれればいいくらいに思っています。しかし、男の事になると相手を殺すのも辞さないのが土佐の女の本当の姿なのです。宮尾登美子作品は決してオーバーではありません。

 しかし、こんな7勝7敗の朝潮の如き押しの一手にも譲司は翻意しません。土佐の男なら据え膳は仲居からひったくって手掴みで食うくらいのものですが、春江の事しか譲司の頭にはないのです。

 麻子はわざわざ東京に譲司に会いに来た春江に聞くに堪えない恨み言を投げつけ、はま子にも嫉妬心をむき出しにしつつ泣き言を言います。恐ろしいわがまま娘、さすがはオメコ芸者(by 山城新伍)です。

 最後は春江の父が残した借金を返済するべく金子信雄とのサイコロ勝負に自分の身体を賭けると言って乗っかりますが、譲司は春江の借金を返す金だけ取って「あんたの身体を貰っても仕方ねえ」とつれない一言を残して去っていきます。

 元はと言えば二人は幼馴染であり、大きくなったら譲司と結婚するなどと言っていた麻子にあんまりな物言いです。しかし、同情の余地は見出せません。高知県の離婚率が高い理由がお分かりいただけたでしょうか?

オサレダイス

 譲司が凄腕のサイコロの使い手なのがストーリーの肝です。あだ名が「ダイスの眼」です。このセンスこそが日活なのです。

 しかもサイコロと言ってもお馴染み丁半博打ではなく、ファイブダイスです。ヤクザの何%がルールを知っているでしょうか?このセンスこそが日活なのです。

 見どころは小林旭のダイス捌きです。5つのサイコロをテーブルに並べ、壺で掬い取って縦に積み上げてしまうのです。これはノースタントで、小林旭にこんな隠し芸です。そりゃあひばりも惚れます。

若き日の黄門様

 水戸光圀の若い頃は不良だったというのは今では広く知られる話です。最もポピュラーな黄門様となった西村晃は今作で実にチンピラを上手く演じています。

 この人は本物の特攻隊の生き残りなので、兄が特攻で死んだ譲司が主人公のこの映画には色々思うところがあったと思うのですが、気持ち悪い爬虫類的な演技が見事です。

 考えて見ればあの人の黄門様はファンキーでちょい悪なところがありました。本当にうまい役者とはああいう人の事を言うのかもしれません。

BL的に解説

土佐と衆道

 そもそも土佐は薩摩と並んで衆道のメッカと言うべき土地でした。ノンケは変態視され、仲間内に居ると知れたらそれは仲間内全体の恥とされ、そいつの家に押しかけて皆で男の素晴らしさを教え込むという風習がありました。

 維新まで土佐には遊郭がなく、初めて遊郭が作られるときは何かの冗談かと思われたそうです。つまり、幕末の土佐の志士は全員ホモであったと考えて間違いがないのです。福岡の竜馬信者は根拠もなく否定していますが、それが現実なのです

 しかも譲司は兄が特攻隊に行くような軍国少年であり、刑務所に入っていたのです。そして亡き兄の面影を譲司に見るはま子に指一本触れず、なりふり構わない麻子の誘惑を拒絶し、せっかく買い戻した春江も置いてどこかへ消えていくのです。

 そう、全ての行動は土佐の男のDNAの一言で説明が付くのです。そんなホモ野郎ばかりの土地なので、土佐の女はああも手段を選ばないのかもしれません。

譲司×北村

 北村が春江に固執したのもこの線から読み解くと真相が見えてきます。

 譲司はその筋では名の知られた凄腕の博徒で男の中の男である一方、北村は卑怯な田舎親分に過ぎません。二人には男としての器量にあまりに差があるのです。

 北村は譲司に嫉妬していたとしたら、春江に異常な執着を見せたのも納得できます。間接ホモセックスです。浅丘ルリ子はコンドームほどの存在でしかないのです。

会津&ベレー×譲司

 今作の大トロはここです。会津はベレーともども譲司が好き過ぎます。どう考えても損得勘定を超えた何かが介在しています。

 出所した譲司を札束持参でウキウキしながら出迎える二人でしたが、譲司はカタギになって田舎に帰ると譲りません。

 そこでベレーは露骨に狼狽えるのですが、会津は「奴は必ず戻ってくる」と余裕です。「前科者は何処まで言っても前科からは逃げられない」という理屈ですが、この自信は半端ではありません。一度男に目覚めたらもう後戻りはできないというのは本当の話です。

 そして高知に帰って北村の子分たちに嫌がらせを受け、危うく指を落とされそうになった所へ「譲司のお守り神様」と称して西部劇の騎兵隊のごとく二人さっそうと駆けつけて北村たちを撃退します。

 ここでベレーはイカれていますが銃の扱いが上手い所を見せるのがポイントです。股間の銃もさぞお上手なのでしょう。「当分陰ながら見守らせてもらうぜ」とストーカー宣言をかましてその場は去っていきます。ここまで来ても無理に連れて行かないのがポイントです。

 東京へ向かってもベレーのストーカーは続き、「可愛そうに、兄貴の奴譲司に恋い焦がれて」などと全盛期の藤川並の剛速球の伝言を届けたりしちゃいます。

 そうして金子信雄の会社を首になり、やけになって麻子と踊る譲司を2階席で眺めつつ、「仲間に戻ってくるのはそう遅くねえ」と会津はほくそ笑むのですが、譲司にべったりの麻子を見てベレーの方は「見ちゃいられねえ」と嫌な顔です。男のジェラシー以外の何物でもありません。

 やがて春江の借金を返すためにサイコロを手にする決意をする譲司。会津は無茶苦茶嬉しそうです。ベレーはベレーで「まるで恋人」「兄貴はもう譲司にぞっこん」などと囃し立てます。マイトガイを二人して前から後ろから発破かける気満々です。

 結局譲司は金子信雄との大勝負に勝ち、麻子を拒絶し、北村たちを殴り倒して去っていきます。しかし、会津は追いかけません。

 譲司は堅気の職業に就くことは叶わず、最終的には会津達の元へ戻って来ることでしょう。つまり、全ては会津の計算であり、プレイなのです。サイコロだけにこれが本当の思う壺です。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します。

『日本侠客伝』(1964 東映)(★★★)(東映らしさ)
『兵隊やくざ』(1965 大映)(★★★)(大映らしさ)
『エレキの若大将』(1967 東宝)(★★★)(東宝らしさ)
『拝啓天皇陛下様』(1963 松竹)(★★★)(松竹らしさ)
『地獄』(1960 新東宝) (★★★)(新東宝らしさ)

『東京流れ者』(1966 日活)(★★★★★)(日活アクションのある種の完成形)
『零戦黒雲一家』(1962 日活) (★★★★)(日活アクションの変化球)
『河内のオッサンの唄』(1976 東映) (★★)(斎藤武市監督作品)

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