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2ホテルの仕事に慣れるまでのこと

前回で、全て順風満帆に事が進んでいったように書いてしまいましたが、ちょっといい事ばかり書き過ぎました。そんな何事もとんとん拍子に進んだわけではありません。最初の慣れるまでの1、2ヶ月は地獄のように大変でギブアップ寸前でした。それも書いておこうと思います。

まず、前任のヘッドシェフが3ヶ月前に辞められており、スーシェフのポジションで働いていた子も私の勤務開始の3日前に辞めてしまいました。更に一番年長で働いていたスタッフの子に家族の不幸があり、その子も1ヶ月の長期休暇を取り始めたところでした。
というわけで、特に引き継ぎもないまま、3人の穴を埋めながらという、過酷なスタートを切るハメになりました。スケジュールは定休日の月曜休みのみで、大体短かくても一日12時間労働でした。VIPパーティーや200人、300人の大きなパーティーが入る時は、朝5時から夜11時まで18時間ぶっ通しで働くなんて事もめずらしいことではありませんでした。
休みの日に急に呼び出され、特別オーダーが入っていたのを忘れていたので、申し訳ないが出勤して作ってくれないかと、突然呼び出されるなんて事もありました。
目まぐるしい毎日のなか、クリスマス、ニューイヤー、バレンタインの各シーズンにはスペシャルコースを作り、その都度、急に試食会をすると言われるのは当たり前でした。
オーダーしたものが他のフロアに行ってしまって行方不明とか、食材が急に消えたりだとか、予測しないようなトラブルが起こるのが日常茶飯事でした。

私自身がこんな大きなホテルでの勤務は初めてでしたので、オーダー作業すら一苦労なものでした。全てコンピューターで商品番号で入力、7階のオフィスから前日の午前11時までにしなければいけませんでした。
普通のレストランだったら、業者の人に前日の夜までに、テキストか電話で1分で済むのに、こんな忙しいランチ前の仕込み時間に、わざわざ72階から7階まで降りていって、長い渡り廊下を通ってオフィスまで行くのは苦痛で仕方ありませんでした。さっとオーダーしてさっと戻ろうと思っていたのに、エグゼクティブシェフジョニエルに呼び止められたりなんかして、どうでもよい長話をされてしまった日には、なんてツイてないんだとがっかりしました。10分待ってもなかなかこないエレベーターにくそう〜時間がもったいない、この時間があればあれもこれもできるのにと毎回イライラしていました。特にルームクリーニングのスタッフと鉢合わせになってしまったりすると各階でストップし、私の仕事などどうでもいいかのように、スローに開いたり閉まったりするエレベーターのドアにすら、もっと早く動けよバカヤローとブチギレそうでした。

オーダーもそうですがスケジュール作成やタイムカードチェック、新メニュー、スペシャルメニュー、原価表なども全部コンピューターでホテル専用に自分のアカウントを作ってやらなければいけませんでした。コンピューターに不慣れな私はアカウントを作るのも四苦八苦な状態で、エンジニアの方を呼んでは助けてもらい、できたと思ったらエラーが発生して全然開けない、終われない、どうすりゃいいんだというのを何度も繰り返しました。

またホテルの労働者のユニオンのルールを覚えるのも大変でした。スタッフが8時間以上働く場合は、仕事開始から5時間以内に30分の休憩を取らせなければペナルティが課せられるなどの、色々細かいルールがありました。訴えられないように労働規定やハラスメントについての講習会も何度も参加しなければならず、なんせ寝不足の過酷なスケジュールの中、英語でめんどくさいルールの講習は眠気に勝てず、ヒューマンリソースの人が真剣にお話しされているなか、勝手におやすみなさいしてしまい、大丈夫かと起こされていました。

メニューも前任の方のもので実際ソースなどのレシピが不明なものもあり、メニュー変更したいと上に申し出ると、まだしばらくは駄目だだと言われ、そのくせ原価を20%におさえろだの、人件費がかかりすぎだの、スタッフの一人が30分休憩のところを29分しかとっていなかっただの、そういった事は逐一言ってくるのでした。

今まで休みの日は旦那と公園でテニスをしたりバスケットボールを楽しんでいたのですが、もうそんな余力は残っておらず、週に一度の休み疲れでぐったりで1日寝て終わるという、今までの活発な私の姿はどこにもなく、疲れ切った老婆の気持ちでした。

お給料は年俸7万ドルで、今までのシェフ人生の中では最高でした。でもこれ労働条件日本より酷くない?アメリカのブラック企業かやー。実際最初のひと月めの労働時間は半端なく、時給で計算したら$12程で当時のロサンゼルスの最低賃金の下回る勢いでした。
このままでは到底体がもたん、他の部署のシェフはこんな働いてないのに、なんで私だけこんな目に遭っているんだ、NOと言えない日本人の悪い癖がここアメリカに来てまでこんなにも響くのか、これが続いたら過労死するかもしれんと思いました。

上から長時間働けと言われたわけでは決してありません。でも人が足りていなく、絶対に回らないのです。スタッフ全員オーバータイムで働いていました。ただ彼らは時給ですので、オーバータイムがしっかりもらえます。彼らの時給$24でしたので、オーバータイムは1.5倍の$36も稼いでいました。私はサラリーなのでオーバータイムはつきません。上からは今は異常事態で、スタッフが入れば週2で休めるようになる。こんなに働いてほしいとは思っていないのだと言われました。私も一刻も早くスタッフを入れてくれるように度々お願いしていました。
体には全身にアレルギー発疹が出だしました。これが続いたら体が持たないので辞める事も考え、1週間で75〜78時間くらい働いているので、余分にPTO(有給休暇)を貰えないかとHRにEメールしたら、ジョニエルに呼び出され余分にPTOは出ないと言われました。

まさに疲労困憊の状態でしたが72階から見る景色だけは毎日素晴らしく、美しい夕焼けに心を癒やされていました。私が一番心奪われたのは、早朝4時5時の景色でした。もちろんそんな時間から夜遅くまでなど、絶対に働きたくはないのですが、まだ人が動き出す前の少し静けさを帯びた、街がうっすらと明かりを帯びてくるのを見るとなんとも言えない気持ちになりました。それを全面ガラス張りの窓から見ながら、とりあえず3ヶ月だけ頑張ってみよう、無理だったら辞めればいいや、仕事なんていくらでもあると思って心を落ち着けていました。

そんなこんなで最初の1、2ヶ月は限界の域に達するギリギリの状態で、いつ飛んでもおかしくない状況でした。知り合いがこんなに働いていたら、もう辞めたらいいよとアドバイスしていたと思います。
そうして2、3ヶ月経った頃、やっと新しいスタッフも入り、新スーシェフもポジション入りし、ロングバケーションを取っていた子も戻ってきました。ホテルの仕組みやユニオンのルールにも慣れ、コンピューター入力にもできるようになり、スーシェフもオーダーができるようになりました。私も徐々に週に2回の休みが取れるようになり、勤務時間も1日10時間くらいになり、一気に楽になってきました。徐々に周りの信頼も得て、これならやっていけそうだという環境になってきました。

なんとか山を乗り越えた、よく持ちこたえたものだと思います。

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