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「おいしい」って、「愛しさ」だ

人前で食事をするのが苦手だ。
お腹も空いているし、結局食欲には勝てないから食べるのだけれども、なんだか緊張してしまって、上手にご飯が食べられなくなる。
こぼしたらどうしようとか、食べ方汚いって思われたらどうしようとか。
食べている自分に対して、恐怖心が消えない。
別にそんなにわたしが食べている様子を観察している人なんていないのだろうけれど。
人前で食事をするというのは、わたしにとってハードルがかなり高い。

この原因は、自分でもわかっている。
昔、いじめられていた時に、何をされるのにも笑われていた時代があった。笑われたくないから、笑われないように行動するのに、緊張して失敗して笑われる。それの繰り返し。

給食の時、食べているわたしを見てあの人たちが楽しんでいたのをわたしは知っている。
気づいてても、気づかないふりをしてパンをちぎってた。ふやけておいしくない、じめじめしたそれは、スポンジみたいな味がした。
今でも消えない苦いあの日々。あの人たちがどこで誰と生きているかなんてわたしにはみじんも関係ないのだけれど。
人を笑って楽しんでいた彼女らが、今どんな顔で笑うのかは気になる。
笑顔には、生き様が出る。

あの食事の時間には、愛がなかった。

冷たくて、冷めていて、過ぎ去るのを待つだけの。もしかしたら、刑務所にいるのとさほど変わらない気分だったかもしれない。
揚げパンは、お気に入りの給食のメニューだったけれど、口が汚れて笑われてしまうのが怖くてうまく食べれなかった。
今ならもう少し、気にせず食べれるのだろうか。まだちょっと、自信はない。
冷たくて寂しくて孤独なあの時間に、「おいしい」は存在しなかった。おいしいは、どこに隠れていたんだろうか。

わたしは、緊張するといくら飲んでも酔っ払わないザルになる。
仕事の飲み会とか、初めましての人との時間において、酒は一切わたしに勝てない。これでもかという理性が、わたしを支えてくれる。
反対に、気を許している人の前だとコロッと酔う。いやいやまだ一杯も飲んでないやんけ!と言われてしまうくらいには、あっさり酔って楽しくなっちゃうのなんのその。
翌日、やっべ何話したっけ!なんて一人で反省会することが多い。
気を許すと、酔っ払っちまうぜ。あれはなんなんだろうか。

心の底から「おいしい」と言えたのは、大人になってからだった。

それは突然やってきて、あれ、わたし普通にご飯食べてるな、普通にお酒飲んでるな、しかもちょっと酔ってるな。そんな風に実感したのは、ある日突然のことだった。
それは、心も許していて信頼もしている相手とご飯を食べている時だった。
今まで緊張して逃げるようにお酒ばっかり飲んで、酔いもしないのに次の日二日酔いになっていたというのに。
その人と一緒に食べたラーメンも、安い缶チューハイも、全部心を満たしてくれた。

その時気付く。
愛のある場所では、「おいしい」は素直なんだと。素直な心には、素直な美味しさが染み渡るのだと。気付くまでに、20年近くかかった。
自覚した「おいしい」は、幸せだった。
ちょっとずつわかるようになって、今ではだいぶ慣れてしまうくらいには、人前でもご飯は死なないでくれている。

緊張しながらご飯を食べると。
幸せの象徴である「おいしい」という感情は、上手に出せなくなる。
ご飯はおいしいはずなのに、お腹も満たされるはずなのに。
心のそこからの、本当のおいしいという感情がわきでてこない。どこかでセーブされてしまって、ご飯のおいしさを噛み締めることができなくなってしまう。

食事もお酒も同じことで。
心と体はつながっているのだと思う。
心が満たされていない場では、身体は美味しさには気づいてくれない。
どんなに高級食材を使っても、五つ星シェフの特性フルコースでも。
そこに愛がなければ、美味しさはないのかもしれない。大切なあの人や、愛しいあの子の前でなら、美味しさは逃げも隠れもしないんだ。
寂しさや苦しさ、惨めさの前では、おいしいは光ってくれない。「ここだ!」というときにこそ、最高の形で目の前に現れてくれるのだ。

わたしにとって、「この人とご飯に行きたい」は、告白みたいなものだ。
飲みに行こうよは言えるけど、ご飯に行こうよ、なんて。
バレないけれど、もうその人のことが大好きな証拠だ。心を許している相手でないと、ご飯のワードは出ない。
心の底から「おいしい」って思いながら食べるご飯は、そしてとなりに大切な誰かがいるとしたら。それは何にも勝る「ごちそう」なんだって思うんです。

いつかもし結婚したら。
どんなに忙しくても、大好きな人と朝ごはんだけは一緒に食べたいって思う。
いつかもし子供ができたら。
どんなに忙しくても、お弁当を作って手で渡したい。
「おいしいね」って言いながら、家族で白米とお味噌汁をほおばりたい。
そこにはきっと、愛があるから大丈夫なんだって思える。
心と体を繋げるのもご飯だけど、自分と相手を繋ぐのもご飯で、そこに愛があればちゃんと「おいしい」って思えるのだ。

大切なあの人と、「おいしい」時間を。
愛のある食事ができれば、それ以上の幸せはないのだと、そんな風に思うのです。

ちょっとお腹が空きました。

#エッセイ #食事 #ご飯 #料理

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