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【働くあのひと case.15】夢の実現

15人目は、ファッションブランド「over print」の代表取締役兼デザイナーを務める、over printさん(通称:overさん)です。インスタグラムフォロワー数約8.9万人、「レトロ」と「ストリート」を兼ね添えたオール世代に大人気のブランドである「over print」。今回、奇跡的にその創設者であるoverさんに、インタビューすることが叶いました。素敵すぎるお洋服を作り続けるoverさん。ブランドを作ってきたその道のりに、ご注目ください。


―まずは、お仕事内容について教えてください!

自分で作ったファッションブランド「over print(オーバープリント)」の代表取締役兼アパレルデザイナーとして働いています。ブランドとして掲げているメインターゲットは18~24歳なんですけれど、外見の年齢ではなくて、「着たい!」と思ってくださる全ての方にむけてお洋服を作っています。メインターゲットをその層にしたのは、「お洋服を思いっきり楽しむぞ!」とか「おしゃれを楽しみたい!」という思いはその年齢層が一番持っているのかなと考えたからですかね。実際、僕は36歳だから、自分もターゲットからはずれていますし(笑)。若者だけに向けてお洋服を届けるというやり方はしていないんです。

立ち上げた当初から基本的に、自分ひとりで経営していくブランドと決めていたので、会社としての従業員は自分だけです(笑)。たまたま今月(※インタビュー時は10月の某日です)から株式会社に切り替えたので自分は社長になったんですけれど、社長兼、デザイナー兼、ECサイト責任者兼、卸営業兼、イベンター兼、プロモーション兼……と、全部ひとりでやっています。


―自分のブランドを立ち上げたいと思ったきっかけを教えてください。

もともと音楽が好きでギターをやっていて、バンドを組んでいたんです。ずっと、音楽で食っていくぞ!というモチベーションでした。でも、なかなか芽がでなくて、バンドを続けていくのが難しくなってしまった。バンドはチームを組まないとできないから、自分も含めお互いに納得のできる力を持つメンバーを集めるってすごく難しくて、19歳になってバンドを辞めました。

とはいえ、何かを生み出したいとか発信したい、認められたいという感情は、バンドを辞めてもずっとあったんです。そんな時に思い浮かんだのが服で。「服」の表現者になれれば、形は違うかもしれないけれど音楽みたいに、お客さんが楽しんでくれるんじゃないかと思ったんです。

実は、大学に通っている間に2年間アルバイトでショップスタッフをしていて、その時に自分のブランドを立ち上げてみたりもしたんです。大阪の有名なセレクトショップに通いまくって、毎月10万円とか服を買っていたら自然とお店の人と仲良くなって、そしたら自分のお洋服を扱ってくれるようになったんです。


―会社員時代のお話を聞かせてください。

ブランドを立ち上げる前は、12年間某アパレル会社で会社員として働いていました。
最初に所属したのは、ベビー服部門でした。アパレル業界って、レディースのお洋服が一番トレンドが変わるスピードが速くて、その次にメンズ服が並ぶ感じなんですけど、ベビー服はお子さんがいるご家族ありきのものということもあって、変化が非常に遅い。

正直、その遅い流れの中でも目新しさを提案することって簡単なのではと思っていた部分はあります。若くして担当したブランドが成功したことで調子に乗っていました。
そんな中、自分はこれでいいのかと気づけたのは、当時の会社でブランドディレクターを外された時。上層部から「お前はもうこの会社で行けるところ(所属できる場所)ないけど、何したいの?夢ってなんなの?」って聞かれました。何したいかずっと考えてはいたけれど……。質問された時にとっさに「デザイナーです」って答えたら、鼻で笑われてしまった。専門学校に通っていない新卒社員にそんな選択肢はありませんでしたので。

そこから、会社で干されながらも働いていくうちに、人のお金でやるまではいけないところがあってくすぶっていて、自分でブランドをつくりたいんだっていうことを改めて思い出して……。デザインする時に使う高価な専門ソフトを会社で使わせてもらって、退勤後に夜な夜な会社に残って勉強を始めました。本来ならば会社のデザイナーが作るであろうポップや広告物を、職種が違うのに担当して退勤後に作ったりもして。会社の場所を勝手に借りながら、デザイナーとして下積みをしましたね。

33歳になった頃、自分は中間管理職になっていた。会社の業績が悪くなり始め、かつ自分は会社の中でのキャリアアップに手詰まりを起こし始めた頃で……。そんな中、我が子が生まれました。

動くなら今だ。動かなければ溺れていく。
そんなような気持ちで次の自分を決めないと、という危機感でいっぱいでした。
でも、どうせ溺れるなら「自分のブランドをたちあげる」という夢に挑戦してみてからでもいいんじゃないかって思ったんです。そんな経緯でたちあげたのが、この「over print」です。もともとは「over」という名前でブランドをやっていました。
それは、「超える」という意味を込めて。自分にとってのコンプレックスを、みんなにとっても超えたいものを超えてほしいという想いを込めて、overにしました。

ブランドをやろうと決心してからも会社員として働いていたので、夜10時に家に帰ってきてそこからブランドの運営作業をする毎日でした。
僕、結婚してるんですけど……。最初、会社の資本金は30万円だったんですけどね、それは妻と相談して一年分の自分のお小遣いを前借りさせていただいたんです(笑)。これで失敗したら黙って働くからどうかお願いしますって頼み込んで……。ラストチャンスの気持ちで家族にも頼んだんです。

ブランドを初めてから一年経った頃、会社員として得る収入と、「over print」の収益が同じくらいになったんです。そこで改めて家族会議をやりまして。成果もでていたから家族も納得してくれて、じゃあ思い切ってブランド一本でやってみようか!と。下積みを経験しながら何かを目指す方って皆さんそうだと思うんですけれど。とにかく寝る間を惜しんで働いていましたね。気が付いたら、通路で洋服畳んだままその姿勢で寝ていたりしていて、「どんなポーズやねん!」って自分につっこんだりとか(笑)。

―実際に自分のブランドを持ってみて、どんな気持ちですか?

お客さんと直接対話できるのが一番嬉しいです。ブランドを始めてから、従業員を雇わないというポリシーは曲げないようにしているから、全部ひとりで仕事をしているんです。そこには自分なりに理由があって。

誰かとチームワークを組めば組むほど、自分が考えている景色やゴールの純度が、基本的には下がることが多くなってしまう気がしているんですよ。もちろんその概念を超える人との出会いはたくさんあって、素敵な方々がいることもわかるんですけれど。

セクションでわけていくと、すり合わせる時間が業務全体の5,6割とられたとして、実際にやってみたらうまくいかないということは珍しくはないですよね。僕はどちらかというと、ふわっとしたイメージを描き、進めながら形にしていきたいタイプなんです。変わった歩き方をしているなあって自分でもわかるので、ビジネスでは根本的に考えが合わない方が多いんです。だから、誰かと組んでの仕事はしないでいこうかなって。

前の会社だったら、お洋服を取り扱っているお店の人がいて、営業の人がいて宣伝や販促をしてくれる人がいる。何か新しいことが浮かんだ時、「これがしたい!」って自分がいったら「それではなく、これでもなく、これじゃない?」ってみんなが言いあったりしてくれて……。これは、誰がお客さんのためになることを言ってるんだろうって疑問に思ってしまってたんです。

でも、よくよくみんなの意見を聞いていると、やっぱり会社で務めている人ってどうしても会社第一のことが多くて、お客さんの意見が置き去りになることも多い。そんなときに犯人捜しをしてまたやり直してとかいうフローを踏むよりも、自分がすべて責任をもってコントロールするほうが、いいなって思ったんですよね。お客さんと直接対話してやっていけるし、失敗しても清々しいし、人のせいにすることもない。すべて自分の責任ですから。ただ、やることが多くて眠いというだけですね……(笑)。眠い……。


―これからやってみたいと思っていることや、目標などがあれば伺いたいです。

工場をつくったりだとか、次にくるブランドが歩きやすい道をつくったりしたいですね。アパレル業界の人ならよくわかるかもしれないんですけれど、よく、お洋服をつくることを「川の流れ」に例えるんですよ。綿の花からはじまって、お洋服ができあがってお店に並ぶまでを、川上から川下に例えるんです。
普通、大抵のブランドデザイナーは、自身の川中からもっと川下に行こうとするはずなんです。よりお客さんの目にふれる場所で世界観を表現したくなる。でも僕は逆で、より川上に行きたいんです。

僕、出身が大阪で、家の周りが工場に囲まれたようなところで育ったんです。自分の家の隣もおじいちゃんがひとりで経営していたシルクスクリーンのプリント工場だったんですよ。おばあちゃんも、革の縫製工場で働いていて。川下のきらびやかな場所よりも、川上の物づくりの方が落ち着くんですよね……

あとは、好きな音楽のサポ―トをしたいです。
自分がバンドをやっていた経緯もあるので!


―overさんにとって、「働く」とは何かを教えてください。

「夢の実現」です。その気持ちを長らく忘れてしまっていた時期があるからこそ、改めて思います。
アパレルって、基本お給料が低いんですよ。就職してから、それがずっとコンプレックスだった。平均年収を調べたり、世の平均に対して自分はどの立場にいるんだろうとか、役職をあげるためにはどうすればいいかとか常に考えてしまっていた。

僕、実は小学校の時に子役をやっていたんです。「劇団ひまわり/劇団四季」に属していて、『美女と野獣』というミュージカルに2年くらい出ていたんです。同時期に一緒に仕事をしていた子たちは、紅白に出たり、劇場で買ったパンフレットを見て観に行ったジブリ映画の主役の声をしていると知ったり。次第にその経験がコンプレックスになっていった。自分は子役として成功しなかったし、バンドをやめたし、唯一好きな服の仕事につけてもいまいちしっくりこないし。常になにかしらのコンプレックスがついてくる状態でした。

でも、今自分が運営している「over print」って、ファンの方ありきのブランドの歩き方をしているんですよね、知ってくださっている方しか買わないようなやり方でやっている。それでいいと思えているんです。上がったり下がったりを繰り返しているけれど、そういうものかなって。飛行機で例えると、離陸してから着陸するまでがフライトの成功なので、終わり際までちゃんとしたいなと思ってます。


―最後に!お洋服を着てくれている方にメッセージをお願いします!

二日に一回くらい感謝の言葉をインスタグラムのストーリーズで流しすぎて(笑)。それをoverできる言葉がみつからないんですけれど……。

いつもお洋服を買ってくださって、着てくださって、SNSを見に来てくれてありがとうございます。こんな得体の知れないであろうブランドに対して、興味を持ってくださって感謝しかないです。マイペースなインスタグラムをみてくれたりとか、それに反応してくれたりとか……。もう、全部見てます!(笑)。ありがとうございます、本当にそれしかないです。

これからも「over print」というブランドを、少しずつ変化させていきます。それでも、変わらないところは変わらず、楽しくてワクワクすることを届けていきたいと思っています。

あとは……
昔の自分に、
「夢、かなってるよ」って
伝えに行きたいです。



大好きで大好きで、いつも着ていた(人気すぎてなかなか買えない!)ブランドさんである「over print」。まさかこんな風にoverさんとお話できるなんて夢にも思いませんでした。お話している中でも所作にoverさんの人柄がにじみ出ていて、ますますブランドが好きになってしまいました。
お忙しい中インタビューをお引き受けくださいましてありがとうございました!これからも、お洋服を楽しみにしております。

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