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復縁のコツは依存という自立/『神様のボート』について。

 江國香織の『神様のボート』。
 私の復縁における、聖典について話したい。

 ざっくりあらすじを紹介すると、大昔に別れた愛する人と再会するために、引越しを繰り返す葉子と、それに付き合わされ続ける娘を描く、親娘の話。

 葉子は作品の中で、過去の男性に対して強烈に依存している。それも、生きているのか、死んでいるのか分からない人に、「いつか会える」「会えなければならない」と思いながら、10年以上生きている。

 娘の都合さえも顧みずに各地を渡り歩くさまは、傍目から見れば「一人の男のために人生を棒に振っている」ということになるだろう。ところが、葉子はそんな声には耳を傾けない。
 どこか、あるいは誰かに所属して彼と再会する可能性を失うくらいなら、男性と交わした再会の約束だけを頼りに、どこにも根差さない生活を選ぶ。

 復縁という戦場では、「相手に期待しない」とよく言われるもの。葉子の場合は男性と交わした約束を信じ続けているのだから、それは期待であり依存なのかもしれない。

 でも、その約束を10年以上ものあいだ信じ続けるという葉子の選択は、もはや期待どころか希望でしかない。
 初めは男性への期待から始まった葉子の選択は、希望へと変わり、最終的に「自らがそれを選んだ」という意志へと変化している。言い換えれば、自分の選択と、それを選択した自分の意志に強く依存しているということにならないか。

 いつか人生が終わるその日まで彼に会えなかったとしても、葉子は「あんな男のせいで人生を棒に振った」とか、「時間を無駄にした」とか、そんなことは考えないのだろう。それを選んだのは自分だからと、納得しながらその時を迎えるに違いない。自分の選択に対する依存は、自立でさえあるのだと思う。

 私がこれを読んだ時期は、復縁を目指してやれることを全てやり尽くした頃。あとは会うしかないだろうという状況だけど、予定が立つ気配もない。
 いつも通りに彼発信の連絡を待ち、返事をする日々。連絡の頻度は月に1回。このまま何となくの元カノ元カレで人生を終えるのか、と久しぶりに不安になっていた私は、この葉子の生き方に勇気をもらった。

 自分の感情が、彼や自分自身の負担になっていたのなら、そして今、また同じ方向に進むのなら、依存の方向を変えてしまえばいい。
 今この瞬間が満たされないことに不安を感じて別れることになったのなら、今度は遥か未来の可能性を信じたい。

 恋愛のこととなると、「依存」や「期待」はとにかく断ち切らなければならないもののように語られる。とは言うものの、そもそも復縁を望むような恋愛をしてしまう私は、「依存するな」、「期待するな」と言われても、きっと間違いなく依存も期待もする。

 いっそ「依存しない」「期待しない」と言う選択を諦めて、自分の「好きと言う気持ち」に依存し、自分の意志に期待するしかないのではないか。

 「彼が私のことをもう一度好きになってくれる保証はどこにもないけど、いつかそうなったら嬉しい。それに、私はもういちど愛されるに足る存在であるはず」。
 この状態は、彼に期待してないし、依存もしていない。期待する先は私の中に眠っているはずの魅力であり、依存する先は自分の選択そのものだけ。

 この感覚を手にした時、全ては一つの単純な問題へまとまっていく。この人は、私が好きでいることに適うほど魅力的か。私の選択は、私が依存するに足るものか。

 自分の意志や希望に依存することは、自己満足を呼び、自己満足は自分に対する期待を生む。それは心に積もった感情を振り払うような大きな転換。
 不安を取り払った凪いだ心でいる時、選ぶ相手が彼であるなら、もうそうするしかないのだろう。自分に対する期待と自分の意志によって立つ想いは、愛と呼べるものかもしれない。

 会えなくても、宙ぶらりんでも、きっといつか。気持ちが軽くなったと同時に、彼に対する気持ちを確かめることのできた一冊です。

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