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ゴールデン街のこと

 8年程前、新宿のゴールデン街に頻繁通っていた時期がある。当時、私は東京に住んでいて平日は東京で派遣社員として働き週末はラジオ番組出演のため新潟に帰るという生活を送っていた。そんな東京砂漠で読書を通じて親しくなった女の子がいて彼女が夜アルバイトをしていたのがゴールデン街にあるAという店だったのだ。

 古くて狭いその店(ゴールデン街はそんな店ばかりだけど)の木の扉を開けるとゴールデンな洗礼が待っている。まず最初に目に飛び込んでくるのは数種類の大人のオモチャ。不健全極まりない光景なんだろうけれど、「新潟の下半身」と呼ばれ堂々とイロモノ街道を突っ走ってきた私をナメないでほしい。動揺なんて微塵もない。そんな私も、酔ったママが服を脱ぎ、乳放り出してカラオケを歌っていたりそれを当たり前のようにいつものことと気にしないお客さんたちには面喰らった。 

 客層も実にバラエティ豊か。有名なAV監督やSM小説家、画家や大学教授もいた。圧倒的に多かったのが小説家の卵、何を隠そう店のママも小説を出版していた。そんなところも妙に居心地が良かった所以かもしれない。普通ならギョッとするような空間なのかもしれないが、あの頃の私にとってはとんでもなく安全な場所にいるかのような安らぎがあった。

 仕事も恋愛もぐちゃぐちゃだっだ私は当然生活もぐちゃぐちゃだった。出したものを片付けるとか、使った皿を洗うとか、体調が悪かったら医者に行くとか、人として至って普通のことが自分からとんでもなく遠くにあるように思えていた。

 そんな混沌を彼らは必要以上に心配するでもなくさらりと聞いてくれた。まるで「蛇口をひねると水が出るんですよ」って話を聞いているのかと思うレベルで。ゴールデン街に流れる厭世的な、それでいて刹那な明るさがとても好きだった。

 それがある日プツンと途切れた。私が突然脳の病気で倒れたからだ。「あと15分発見が遅れたら死んでたねー」と医師が言うくらい結構大きな病気で、入院、手術、リハビリを余儀なくされた。故郷、新潟の病院の方が安心だとの判断で途中で新潟に強制送還の運びとなる。

 東京のマンションを引き払い迎えに来た母とともに新潟に帰る日。東京駅で泣いた。私は声をあげて子どものように泣いた。母は周りの好奇の目に困り果てていた。

 「また遊びに来ればいいじゃない、友達と会えなくなるのがそんなに悲しいの?」

 そうじゃない、私はゴールデン街のあの店に行けなくなることが悲しいんだ。出会いと別れが短いスパンで繰り返される街で不自然に行方知れずになる人も多いだろう。私が消えたとて特別な感傷を持つ人はない。わかっていても悲しかった。もうすぐ東京は桜が満開になる。久々に行ってみようかな。多分、さらりと「おかえり」と迎えてくれるだろうな。


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