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【父の手を求めて④】 ―レイプ相手からの求婚―

(前回の話)

この頃同時に、私を震撼させる別の出来事があった。


ある日、バリの自宅にいた私に、東京の母からLINE電話がかかってきた。彼女に珍しく母は非常に興奮した様子で、どうしたのかと問うと、
親戚のとある叔父から手紙が届いたという。それには、「ご息女 愛子様へ」と書かれてあった。

「ご そく じょ・・・?」

90を越える古式な叔父から時々送られる手紙の文面は、いつも明治時代をも匂わせる丁重さで書かれてあったが、
私への名指しで、それにも増していつも以上にかしこまった書き出しに、若干私は訝しく思いながら、母が読み上げる手紙の文面を電話口で聞いていた。

内容は、「自分の息子の嫁になってくれないか」ということだった。

その息子というのが、私が、幼少期の記憶の中でレイプされた男性本人だったのだ。

「…… 

 する訳、ないでしょぉぉぉおおおお」   


腹の底から、思わず叫んだ。

当時住んでいた家は、大家さんが鶏を何匹か飼っていて「コッココッコ」とその鳴き声が賑やかな家だった、さらに周囲には何匹も野良犬がおり常に元気に吠えていた。その動物たちの声をそれを遥かに凌ぐ勢いで、半径100mに響き渡る日本語が、響き渡った。
庭の木々から、鳥がバタバタと飛んで行った。


眩暈がして、へなへなとその場に座り込んだ。


独身のまま50近くになり、生涯孤独に身を終えるのではないかと息子の身を案じた老父が、
少ない親族知人の未婚女性の中から頼みの綱をと、白羽の矢が立ったのが私だったらしい。
おそらく私以外に当てがなかったのだと思われる。
その息子本人が結婚を希望したのかどうかまでは手紙では定かではなかった。

とにもかくにも、私にとっては、これが自分の生涯で初めて「結婚してほしい」と申し込みを受けた相手だった。
後にも先にも、この件以外に全くない。
それが、よりにもよって、私が恐らくこの世で最も縁を断ち切りたいと思う相手から、受けるとは。
それ以外の人から、今まで付き合った人にすら、そんな風に言われたこと一度もないのに!


しばし、屈辱と、失望で混乱した。
自分への失望だった。


自分の身を振り返った。

現実は自分の意識が作り出しているといわれる。自分のこころの状態がこの事象と引き合ったことを、認めざるを得なかった。
まだ当時はこの時起こったことがつかみ切れていなかったが、今となって振り返るとわかる。
わたしの中に、確実に、当時、「手放したい」信念を、「手放すのだ」と心底決意するために、
この事柄が起こったことを。


「わたしは、この扱いを受けても当然なのだ」

「わたしにふさわしいのは、この人なのだ」

「なぜなら、この人がわたしを襲ったときに、わたしは抵抗もできず、逃げられももしなかったからだ」

「誰も、わたしを助けにきてくれる人はいなかったからだ」

「わたしは、助けられるに値する存在ではないのだ」

「わたしは、自分にふさわしい報いを受けたのだ」

「わたしは、為すすべがなかったのだ」

「わたしは、現実を変えることができないのだ」

……

こうした奥底にあった信念が、この現実となって照らし出されたようだった。

暴行を受けた時に (確実に、受けたという事実確認ができないのだが、
 その記憶が体内にあり、その身体記憶という「自分にとっての」事実をベースに話をしている)

自己を解離せざるを得ず、シャットダウンして身を守った瞬間に、わたしの中で固く凍結した部分があったのだった。
それが、救いようのない自己価値の否定と、危機を回避することのできなかった自分を責め続ける自責の念で、永久凍土としてわたしのこころの中の奥底に、想像以上に大きな体積をとって、冷たく固くそこに存在していることに、
私はわなわなと震えながら認めざるを得なかった。

薄々気づいていた。
自分の中に、「男性から愛されて幸せになるなんて、私にはとてもふさわしくない」という思いがあったことを。


友人に、とても美人で明るい華やかな女の子がいた。彼女の旦那さんは収入の良い仕事をしていて、暮らしは裕福で、彼女はいつもそのゆとりやこころの余裕を、自然体に、光を放射するように周囲に分かち合っている人だった。
彼女の家に遊びに行って、自宅で仕事をしている旦那さんと会う時、
いつも私は、なぜだか急に居心地が悪くなり、その場から一刻も早く退席したくなるのだった。
「ここにいてはいけない」、と空間から言われているようだった。
全く自然に相互に大切にし合う夫婦、愛し愛され、仲良くしている夫婦のいるその場に、
自分はふさわしくない、ここは自分のいるべき場所じゃないと、
強く思ってしまうようだった。

「ここはお前のいる場所じゃない。お前にふさわしい幸せではない」
その声は、私の内側から起こっていた。

自然に、男性から愛されて、それを受け取り、愛を返していく、
そんな幸せを、享受するに、わたしはとても値しない。

そんな信念が、身の内に深く深く固まって存在していた。

自分が男性との関係でこれまでうまくいかなかったその根本原因が、
どうも、赤ん坊から幼少期の父との関係、そして、レイプの記憶から来ているかもしれないと、
徐々に無意識からキーファクターが浮かび上がってきていた頃だった。

恐怖のありさまが少しずつ顕わになってきたタイミングで、この叔父からの手紙。

現実は、常に間違いなく、今の自分の状態を現し、本来の自分の望みをクリアにするために必要な事柄を起こし続けてくれる。

わたしは、この自分の信念を、溶かしていきたい。

そう、私が心底決意するために、この手紙は突如忽然と私の元へやってきたようだった。


「わたしには、もっと素晴らしい相手がいる。

わたしは、もっと、幸せになっていい。

幸せを受け取り、幸せを享受するに値する自分なのだ」

そうした許可を、自然に、自分に与えることができるようになりたいと思った。

いよいよその願いを、鮮烈に鮮明に発光させるために、届いた手紙だった。



この一件もあって、わたしはより少しずつ、意識的に、また無意識的に、
罰していた自分をゆるし、癒していく方向へとこころの針路を取るようになった。

その方法が具体的に分かっていた訳ではなかった。
ただ、より良い方向に、何か大きな力が自分を導いてくれている、という信頼はいつもどこかであった。

1年、2年が経った。 いつの間にか、気づくと、私は
「自分をゆるし、幸せを受け取り、豊かになっている」人達に、縁を通じて、出逢うようになった。
その人たちの放射している、柔らかい日差しのようなエネルギーに惹かれ、そして、
自分もそうなりたいと、その人達の在り方を、自らの身に写実するようになった。

「もっと、楽になっていい。幸せになっていい」

「受け取るだけなんだよ」

そう、教えてもらった。

それは、言葉や理屈や理論ではなく、
その人達の発する目に見えない優しいエネルギーによって伝えてもらったことで、間違いなく、その人たち自身がこころからその生き方を体現しているからこそ、こちらの心身にまで浸透してくる、美しい想いの粒子だった。

そうして、少しずつ、「わたしも、受け取っていい」 と、わたし自身も少しずつ満ち足りて、思えるようになっていった。

自分が幸せを受け取ることに罪悪感を手放して、
自分が幸せになることを、許可できること。

潜在意識のレベルで、そのシンプルで豊かなこころの在り方は、少しずつ私の中へ染みわたって浸透していった。

そして、おそらく私に一つの準備ができたらしい時、好きな人ができた。

(⑤に続く)


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