朝野フォカッチャ

詩とかコラムとか言ったらいいけれど、いわば長めの独り言。いつも心にある「何か」を、どう…

朝野フォカッチャ

詩とかコラムとか言ったらいいけれど、いわば長めの独り言。いつも心にある「何か」を、どうすれば昇華できるか模索中。今年の目標は、1日ひとつ、いいことをすること。そしたら、今日も1日生きてた意味があったような気がするの。

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丁寧な朝ごはん作りをやめた。

すぼら且つ神経質なわたしがすることではなかった。この相反する性格が同居し、それ加えて過去のダイエットの負の遺産「カロリー計算症候群」が混在するのだから、向いているわけがない。味噌汁1杯までカロリー計算していた癖はなかなか抜けず、適量なのに食べすぎた、お昼はサラダだけ、反動でおやつたんまり、そして罪悪感。なんて今でもやっている。いつも食に囚われている。苦しい。 おしゃれカフェのモーニングみたいな、インスタで見たキラキラ朝ごはんを作れば、朝から心が満たされて、ごきげんな1日が過

    • インスタのタグ付け沼

      インスタのストーリーのタグ付け。あれはいけない。自己承認欲求を、ろ過して固めてようなものだと思う。毎秒冷めていく料理を、上から右から、全盛期のアイドル撮影のように写真を撮る。帰りの電車で「行ったよ!」「美味しかったよ!」って、せっせっとタグ付けする。反応を今か今かと待つ。メンションされると喜んで、反応がなかったらちょっとイラっとする。 精神衛生上よろしくないなと薄々感じてはいた。でも、フォロワーの人がストーリーでコメントやスタンプをもらっていると、自分だけ置いて行かれたよう

      • 猫の額ほどのコミュニティのなかで。2

        私は、この街を飛び出した。つい先日、片手で測れる田舎町のコミュニティが突然嫌になったところ。とこの人が知り合って、あの人とこの人もつなががっていく。狭い、狭すぎる‼!誰と誰が知り合おうと、私に何か言える立場ではないのは分かっている。それでも、ヒトコマずつ広げてった輪が、急速に狭まって、わたしをギュッと囲い込む。 私にはこの街以外の外の世界にもコミュニティがあるんだぞ!って知りたかった。電車を乗り継いで、県境を越える。何度か行った珈琲をいれてくれる人のところへ。決して「友達」

        • 猫の額ほどのコミュニティのなかで。

          私と誰かがつながって、誰かと誰かがつながる。そうやって広がっていくはずのコミュニティが、その点と点が結ばれることで、どんどんわたしを覆い囲っていく。ひととひとの繋がりがほしい、そう望んだはずなのに、その狭い狭いコミュニティに囲われて、この街は私にとって生きにくい街になってしまった。 あ、こないだ知り合ったあの人と、あの人がつながった。あ、今日食べたお店のごはんを、あの人も食べてた。ああ、狭い。狭すぎるよ、この街のコミュニティ! 都会のど真ん中に通勤していた若い頃、広い世界で

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        丁寧な朝ごはん作りをやめた。

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          フリーランスなのに突然お弁当を作り始めたはなし。

          私には、悩みがあって、寝る前「明日のごはん何にしようか?」と考え始めると、もう思考が止まらなくなって、寝られなってしまうこと。布団に入った途端、スイッチが入って、栄養バランス、ご飯の量、おやつを食べるからご飯を減らして、パンが続いているから麺はダメ、夜はお肉料理だから昼は軽め、でもチャーハンも食べたいし、でも…という感じ。明日決めればいいのに、とは分かっちゃいるけど、止められない。頭がおかしいんじゃないかと本気で思っている。 どうにかこの現象を止めたい。そしたら昨日の夜中3

          フリーランスなのに突然お弁当を作り始めたはなし。

          たんたかたん、と生きる。

          認められたいとか、友達が欲しいとか、没頭する何かがほしいとか。もう、そういうのいいんじゃないの。今日、いま、この瞬間に意味を持とうとしなくたって、1日1日が淡々と過ぎてったってさあ。例えば、今日だったら、お昼に食べたえびアボカドサンドが美味しかったとか、そんなんで。 今とか、時代とか、あまり語りたくないけど、今は全てのことに意味を求めすぎてる。ほんの少しのこと、カフェで飲んだ珈琲、青い空にまで、意味を与えようとする。 疲れていた。そんな世の中にも、我も我もと流されていく自

          たんたかたん、と生きる。

          だれとも競わない人生

          一人で働くという事は、とても「ラク」だと思う。 責任も成果もすべて私のもの。誰にも渡さないの。 昔からいつも誰かに気を遣って、「1番」を譲って生きていたなと思う。 陰ながらした努力も、すべて自ら無駄にしてさあ。 だから、もう誰にも邪魔されず、わたし、この身だけで生きる。 願わくば、このまま一生こうして生きて(=働いて)いきたいから、今は背伸びせず、いただいた仕事を粛々と120%で還していく。 結局は、それしかできることはない。

          だれとも競わない人生

          だれか抱きしめてほしい

          それは、肉体的にではなくて、そんなじゃなくて。病気のこと、家族以外に言わずここまできた。飲んでも飲んでもやってくる食前後の薬。一向に回復しない体。闇しか見えていない未来。 両親以外に、私を心配してくれるひとはいない。励ましたり、寄り添ったり、診察終わりコーヒー1杯差し出してくれたり、そんな人はいない。退院後に出会った人たちには、何も言わずにいるけど、自分から誘っておいてキャンセルせざるを得なくなったり、お店にまた来ますと言いながらいけないままだったりする。そしてどんどん足が

          だれか抱きしめてほしい

          病院帰りにエレベーター

          4月19日(木)杖ついてのんびり歩く人を追い抜いて、エレベーターに乗り込む。ドアを開けて待つ。「何階ですか?」と聞く、だけじゃなく「ゆっくりでいいですよ。」と付け足した。心の隅で思いながら口に出さなかったことを、素直に言えた。なんだか病院帰りは優しくなれる。

          病院帰りにエレベーター

          こんなわたしでも、ひとの背中を押した

          髪切るのやめて、誰かに会いたいなあって思って、珈琲屋さんのことを思い出す。オーブン前にまったり珈琲をいただく。全開にした入り口からは、朝の肌寒さが嘘のように春の空気が入ってくる。ああ、日曜だなあ。入学式か、スーツ姿の家族がちらっとこちらを見ては、通り過ぎていく。6部咲きの桜があまりきれいじゃなくてよかった。

          こんなわたしでも、ひとの背中を押した