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いつか見た風景 90

「化石化する日常」


「月のお下がり」と呼ばれる化石があるんだ。正体は既に絶滅したビカリアと呼ばれる大昔の巻貝の化石なんだけど、なぜか江戸時代の人々はコイツの事を「月のお下がり」って、つまりさ、お月様のウンチって呼んでたんだよ。

                 スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス



「化石化する太古の記憶たちよ、お前たちの狙いは分かっとるんだよ」


 見ようによっちゃ可愛いソフトアイスにも見えるけど、何でよりによって月のウンチだったんだろうね。江戸時代に奇石収集家の木内石亭が書いた「雲根志」には2000種を超える鉱物や化石、奇石や石器の類のコレクションが紹介されているんだけど、そこに月のウンチって書いてあるんだって。石亭は江戸中期の医師で本草学者の田村藍水(たむららんすい)の門下生で、あのエレキテルで有名な平賀源内とは同門だったんだってさ。

 他にもぶっ飛んだ解説は幾つもあって、アンモナイトの化石は「石蛇」と名付けられ石になった蛇だと思ってたらしいよ。巨大ザメの歯には「天狗爪石」と表記されているから、まんま天狗の爪って事だろうね。発見した時は飛び上がって喜んだんじゃないかな。でもこれは、何も頭のおかしな男の戯言じゃないんだ。洋の東西を問わず昔から人間たちは偶然拾ったり発掘したりした化石や奇石から様々な伝説や神話を生み出して来たからね。何しろアンモナイトはどこぞの国でも蛇が石に変身したって思われていて、立派な魔除けのアクセサリーとして使われていたって言うからさ。

 頭部が大ワシで胴体は立派な翼の生えたライオンの怪物グリフォンは知ってるかな? ギリシャ神話にも登場するけど、グリフォンはそもそも太古の恐竜プロトケラトプスで、その化石を発見した当時の人が想像力をちょと都合よく別方向に曲げちゃった結果の産物なんだって。炭素年代測定だって当時はないからね。神話の中でグリフォンは神々の車を引いたり、王様のために黄金を守ったりしていたらしいから、その後も守護神扱いで中世や近代になっても様々な国や組織の紋章として度々登場していったんだ。ちょっと前の映画のハリー・ポッターの中で主人公が所属する寮の名前や紋章にも登場していたよね。ほらほら、あのグリフィンドールって、そう言う事よ。

 

「君の想像は君の想像力を超えるかな?」


 ついさっきリビングのソファの前の私の研究調査のための特注テーブル(双方向に引き出しが幾つもついていて未整理の私的収集物が収まって、四隅は楕円にカットされ転倒時の安全対策も施されている)の上で見つけたんだよ。化石化したお月様のウンチをね。私のコレクションにそんなのあったかな。そうだとしても何だってテーブルの上に出ているんだ? 誰かが私にメッセージでも残したんだとは思うんだけど、思い当たる感じは全くないよ。だからってこのまま放っておけないからさ、何とか真相を探らないとね。

 取り敢えず他に何か異変が無いか、もしかしたらどこかに別のメッセージが隠れているんじゃないかって思ったんだ。だから急いでテーブルの上に引き出しを一つ一つ順番に出して中身を確認して行った。絵葉書や記念切手、入場券にパンフレットやスティッカー、そうだ、この引き出しは美術館や博物館を巡った時の記念のアレか…で、こっちの引き出しは、あれれ、何だコレは、小さなハサミにカッターやピンセット、綿棒に針金にドライバーまで入ってるな。セロハンやビニールや和紙の小分け袋にコットン、ああそうだ、そうだった、収集した写真や小物を加工したり専用のアルバムやケースに整理したり、時には修復にも使う道具たちだよ。別段変わったところは無さそうだな。

 3番目の引き出しをテーブルの上に出した時だった。大英博物館をそのままひっくり返したような貴重なミニチュアたちが子供部屋のガラクタ箱の中身のように互いに絡まって好き勝手な方向を向いていた。エジプトの青いカバ像にゲイヤー・アンダーソンの猫、アッシリアのライオン像にシュメールのニンフルサグ神殿のパネルに牡山羊の像、それから、えーと、ロゼッタストーンの超ミニチュアに、ペルシアの銀製のリュトンもか。後は何だか得体の知れないモノだけど、引き出しの底にはアニのパピルス「死者の書」のテーブルマットが半分に折られて敷いてある。

 彼らは私のリビングの飾り棚の陳列オーディションに落選した者たちか、それとも私が何か特別の秘密の儀式でも執り行うためにこの引き出しの中でじっとその時を待っていたのか。正解が思いつかない。彼らと私との間の秘密の関係が何かあったはずだとは思うけど、今は全く思い出せない。

 そういう場合の解決策は通常一つだと決まっていた。彼らと私との間の秘密の関係を新たに構築すればいい。新たな伝説、新たな神話の始まりの瞬間に、私は身震いした。深く深呼吸をして、脳内の意識を集中させ、今この瞬間に成さねばならない大事を思った。新たな歴史が始まるかも知れないなと、ガラクタの中から銀製のリュトンを手に取った。かつてペルシアの遊牧騎馬民族が動物の角を用いて作った酒杯だ。持ち手にはグリフォン風の上半身が付いている。


「お前たちは私に何をさせようってのかな?」


 さあ、新たな神話を構築して、秘密の儀式が済んだなら、ここにワインでも注ぎ入れ、お前たちと祝福の杯でも交わそうか。そうだそうだ、その前にちょっとトイレに行っておこうかな。さっきから頭を使い過ぎて脳みそに負荷がかかっていたからね。連動して大腸の方にも何だか刺激が伝わったみたいなんだよ。何しろ腸はさ、第二の脳だって言われてるくらい敏感で賢いから。

 だからさ、つまり「月のお下がり」がさっきから私の中からお出ましになりたいってメッセージを感知したみたいなんだよ。早くトイレに行かないと、その辺にちょびっと転がって化石化でもしたら大変じゃないか。

 ロンドン北部のブルームズベリー。閑静な通りを進んでいくとギリシャ神殿風の巨大な建物が出現する。入り口には切符売り場もない。ドネーションと書かれた大きな器に私は500円玉を投げ入れた。先史から近代に至る800万点以上のコレクションが私を待っていた。エジプト、シュメール、アッシリア。人類の至宝を目前に、それらが織りなす屈指の物語を横目に、かつて私が必死になって小走りに大英博物館のトイレを探し回った記憶が蘇って来た。



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