見出し画像

いつか見た風景 53

「行方不明の恋」


 忘れたくても忘れられない。そんな恋の物語を私は一体いくつ持っていたんだろうか。過去に囚われず前を向けなんてセリフは今の私には無用の長物。何しろ囚われたくても殆どの過去が行方不明になっているからさ。思い出したいけど思い出せない。そんな恋の物語ばかりなんだよ。

                スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス




 はじめに言葉があった。「いい天気ですね」「お散歩ですか」「ここ空いてますよ」…いや違うな。「待ち人来たらずですね」「どこかでお茶でも」「近くにいい店ありましてね」…これじゃただのナンパだな。「はじめまして」「それでご趣味は」「私も映画は大好きで」「えっホラーですか?」…いやいやお見合いをした記憶は全くないな。「すみません急に飛び出してちゃって」「お怪我はないですか」「良かったらお送りしますよ」「ご自宅まで」…ん? 交通事故でも起こしたのかな私が。

 恋の始まりって奴は一体どこからやって来るんだっけ。日常の他愛もない出来事の中に潜んでいたりするのは分かっているけど、コレが始まりかなって瞬間をちゃんと覚えてられないからちっとも先に進まないんだよ。昔は違ったんだろうけどさ、その昔の大事な恋の一つも覚えてないのは何とも情けないじゃないか。今さら焦る事でもないけど、このまま何もしないで放っておくのも何だか勿体ないなって思うんだよ。だってそうだろう、私の気がつかないうちに新たな恋が始まっていたりしたらさ、それにそもそもお相手にだって失礼じゃないか。

 



「面白い方ですね」「初対面じゃない気がして」「こんなに笑ったの久しぶりだから」「前世とかで知り合いだったかも知れないですよね」…そう言って彼女は笑っている。あれ、私が言ったのかな? いやいや、思った事を直ぐに口に出してしまうほど私は愚かではない。しかし同時に私は思った事をいつまでも口に出来ないほど臆病者でもないはずだ。大事なのはタイミングという奴だから、私は頭に浮かんだ言葉を忘れてしまわないようにノートに書きつけた。あなたの優しい微笑みは私の大事な懐かしさに繋がっていると。

 彼女は毎週金曜日にやって来る。化粧気はなくラフな服装で、大概はGパンにパーカーで大きなトートバッグを肩から下げてやって来る。玄関のピンポンは彼女が押すと何だか子供が遊んでいるようなはしゃいだ音がする。タイミング悪く私がトイレに入っていたりしても、彼女は合鍵を持っているから私が慌てる事はない。そうだ、彼女は私の家の鍵を持っている。いつから持っているんだろう。誰から預かったんだろうか。私が渡したのかな。そうか、そうだな、きっとそうに違いない。

 彼女が用意した昼飯(スーパーの弁当が多いけど時々彼女のお手製にもありつけたりする)を私が食べ始めると、決まって彼女は私の横に座り、何か書類に書き入れて、お茶を飲みながらゆっくり私に話しかけて来る。時に長年連れ添った女房のように。時に初々しいつき合い初めの少女のように。時に思いがけないプロポーズに戸惑う年頃の女性のように。どんな彼女も不思議と私の心を少しだけ揺さぶって行く。

「それで、ウチのスタッフが言うにはやっぱり結構あるんですよ、プロポーズって言うか、突然告白されちゃうんですって。困っちゃうでしょ、そう言うのはやっぱり、仕事だけど私たち、でも正直中には放っておけないって言うか、気になる人もいるんですよね。えっ、ワタシですか? ワタシはまだないですよ、そういうのは全然、ええっ、練習ですか? 今ここで?」



 果たして私は彼女の気になる人になっているんだろうか。相性は悪くはないはずだ。何しろ毎週金曜日のこの時間の幸福感は彼女も当然共有しているはずだからね。問題は毎回の会話の内容を私が正確には覚えてないと言う点だ。確か先週はかなり確信に近い話しに及んでいたはずなんだけど。何がって、ほら、アレに決まってるじゃないか、2人の将来についてだよ。私と彼女の、2人のこれからについて、これからって何だ? 

 先走って独りよがりの結論に飛びつくのはやめよう。そんな歳でもないし、何だか先を急いで焦っているみたいでみっともないじゃないか。それに私のような老人に焦るような事など何一つないばずだからさ。明日お迎えが来たってどうと言う事はないんだよ。とっくに覚悟は出来てるからさ。そんな事より大事なのは今この瞬間なんだよ。こうして好きな時間を好きに生きるって言うか、それが例え妄想みたいな絵空事だったとしてもね。

 そうだ、それだよ。次の金曜日に彼女と一緒にやってみるかな。たった今私が思いついた「妄想ゲーム」をさ。連想ゲームの進化版だよ。相手の妄想にどれだけ上手に付き合えるかっていう。更に想像を超えて来た相手の妄想に臆せずにどれだけ上回って自分の妄想を繰り広げられるかって。これなら私も自信があるからね。そう簡単には負けないと思うんだよ。彼女もなかなか手強そうだから、結構いい勝負になると思うんだよ。それに何だか行方不明の恋を探すには持ってこいなんじゃないかな、こういうゲームはさ。



https://instagram.com/drk.publishers/


 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?