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いつか見た風景 76

「反復と共振」


 私の日常の物語は私の脳が選択し構成したものらしい。時に過剰な演出を加えながらも。本当だろうか。全ては私の脳が勝手に仕組んだミステリーのようだ。

                スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


「反復は力なり…って何考えてたのよ?」「だからピアノは家具なんじゃよ」


 一週間が過ぎるのは早い。何もしなくても早い。何かに没頭してたりすると更に早い。それなのに今日のこの1日のなんと長いことか。そんな事を飽きもせず繰り返し考えていたりする毎日。反復だ、反復だな。そうか、今の私はパターン化された思考を反復させる日常を生きているのか。身体や精神の無謀な旋律の動きを努めて最小限に抑えているのは、テリー・ライリーやスティーブ・ライヒが挑んだ60年代のミニマル・ミュージックに似てなくもない。

 そこには何か隠れた理由があるに違いない。医者からのアドバイスだけではきっとないはずだ。日常生活を妨げない音楽、意識的に聞かれる事のない音楽を作りたかったなんて豪語したエリック・サティの「家具の音楽」をリビングで流しながら私は私の反復について考えていた。アンビエントや環境音楽のマイスターだったブライアン・イーノが最も影響を受けたなんて言うものだから、うっかりレコードに針を落としてしまったんだよ。

 それにしても思ったより騒々しいなこの曲は。「県知事の私室の壁紙」なんて突飛な副題のついたこの楽章はやっぱり何かの陰謀めいたものを感じてしまう。ル・カレの熱狂的な愛読家の私には正直不向きな音楽とタイトルかも知れないなと余計な事に脳が反応している。そう言えばミニマルとかアンビエントとか言われるこの環境至上主義の系譜は、時を経てとっくに私の日常生活を包囲しているのだ。マンションのエレベーターの中に、複合型の商業施設の至る所に、トイレの中にも、病院や空港の待合室にも。大小様々なモニターから流れる謎の環境映像や音楽と共に、きっと謎のメッセージが私の体の中に入り込んでいるのだ。

 いいんだよそのままで、何も考えなくても、静かに時を待つんだ、ほら美しいだろう、反復だよ反復、宇宙も大地も深海も、この大いなる反復の繰り返し、いいんだよそのままで、何も考えなくても、静かに時を待つんだよ、もう直ぐ君の順番が来るからさ、慌てなくたっていいんだよ。



 イーノの MUSIC FOR AIRPORT は実際にNYのラガーディア空港で流れていたらしい。初めての海外旅行で搭乗手続きに何か不備がないか落ち着かない旅行客や、嫌味な上司に出がけに言われた一言を引きずっているビジネスマンを多少なりとも癒していたのだろうか。

 そうした日常生活を妨げず意識的に聞かれる事のないはずの音楽が、その後に一人歩きして、変容し、増殖し、肥大化していたとしても不思議ではない。コンセプトはメッセージとなり、ブランディングされ、商品に落とし込まれる。広告になって我々の目の前に現れる頃には、大量に消費されて行く運命を誰も止める事は出来ない。そんな有様を一体誰か予測しただろうか。日常生活に強く影響を及ぼして意識する事自体に価値が生まれるなんて。

 老いを恐れる事はない。環境に負荷をかけてはならない。シンプルにミニマルに生きよう。そうしようと思えば思うほど、私自身がそうでない事を思い知らされる。日々恐れがあり、周囲に負荷をかけ、思考はどんどんシンプルから遠ざかる。ただ一つ、その繰り返し、反復だけが私の身の回りに取り憑いている。


「反復と共振、何かが生まれそうな気がする」


 サティは一つの音楽がBGM化され、消費されていく姿を見ていられなかったらしいんだ。だったら逆に初めから、ちゃんと聞かなくてもいい曲を作ろうと「家具の音楽」を作曲したんだって。つまりちゃんと聞いてもらうためにちゃんと聞かなくてもいい曲を作ったんだよ。だけどさ、皮肉な事にちゃんと聞いて欲しかったサティの代表作はどんどんBGMにされちゃったけどね。

 サティは彼の周りの仲間たちに言っていたそうなんだ。「家具の音楽がない家には入ってはならない」とか「眠る時は家具の音楽をかけなければならない」ってさ。だからさ、せめて今夜はリビングて「家具の音楽」を聴きながら眠りに着こうって思ってさ。さっきから私はじっと待っているんだよ。私の反復が彼の音楽と共振して、深夜にとんでもない物語を生み出すんじゃないかって、密かに期待してたりするからさ。



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