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蟻の社会とAI:自然界の驚異的な情報処理能力

 近年の自然言語処理(NLP)や大規模言語モデル(LLM)の進化に伴い、情報工学者、脳科学者、哲学者などの学説を検証すると、このまま技術革新が進めば、(1) AIは人間より賢くなる、(2) AIが人間よりも賢くなることはあり得ない、(3) どうなるかは分からないの3つに大別することができます。

 それを踏まえ、(4)『賢い』とは何かの定義が明確でないという考え方も存在しますが、読者の皆様は、AIの進化についてどのように考えますか?

 筆者が期待している読者からの反応は、『世界中の優秀な科学者が議論しても分からない話を、一般人に問うんじゃない!』というツッコミですが、読者自身が『人間は本当に賢いのか?』と自問してみると、この手の議論が楽しめるかもしれません。

『天才と凡人の差』について考えるのも興味深いテーマです。多くの人は、天才とは凡人とは異次元の賢さを持った存在だと考えているでしょう。我々が理解できることを話したり、考えたりしている人は、所詮凡人であり、筆者の定義する天才の条件には該当しません。

 数学界の超難題として知られている『ABC予想』は、ジョゼフ・オスターリ博士とデイヴィッド・マッサー教授が1985年に提唱した数学の予想であり、予想した二人の名前を取って『オスターリ・マッサー予想』とも呼ばれます。
 
『ABC予想』が数学的に証明されると『ABC定理』と呼ばれるようになりますが、京都大学の望月新一教授が書いた論文の査読には7年半かかりました。この場合、ABC予想を提唱したオスターリとマッサー、そしてその問題に独自のアプローチで証明を試みた望月教授の三名は天才と考えられます。一方で、ABC予想自体が間違っていると証明されたら、三名とも馬鹿と言えるかもしれません。『馬鹿と天才は紙一重』と言われる所以です。

 世界中の数学者が集まっても、証明することも、否定することも困難なこの問題は、一般の数学者の理解を超えているので、これこそが天才の世界だと言えるでしょう。

 ところが、天才と凡人の差は、猿と人間の知能の差よりもはるかに小さいのではないでしょうか? このことからも、人間の賢さに対する先入観や偏見がどれほど大きいかが伺えます。

 筆者は情報工学者としての立場から、昆虫、特に蟻や蜂の能力には驚きます。例えば、体長わずか1ミリ程度の蟻でも、その小さな体で数々の複雑なタスクを同時にこなしています。

 食物の消化や吸収、脚の動きの制御、蟻酸の微細な違いをもとにしたコロニーの識別、食物の探索とその運搬、さらにはコロニー内の衛生管理や女王蟻のケア、そして卵や幼虫の管理まで、これらの行動は蟻たちのシンプルながらも複雑に組み込まれた社会の中でスムーズに行われています。
 
 1~2ミリサイズの蟻ロボットは既に開発されていますが、まだ、生物の蟻の能力には遠く及びません。1ミリの三桁下のサイズのマイクロロボットや、そのさらに三桁下のナノロボットの開発も進められており、この分野の先端技術はAIの先端分野に匹敵する興味深さがあります。

 コロニーを形成するタイプの蟻や蜂のような生物の世界では、集団的知性集団的知能という概念で知性や知能が研究されていますが、計算機科学の世界でも集団的知性の研究が進んでいます。

 これらの生物の行動を人工的に制御する場合、独立したシングルチップCPUで一体の蟻の行動を模倣して制御することは、情報工学者としては困難な課題です。この事実は、自然界の生物が持つ驚異的な情報処理能力と、それを模倣しようとする技術のギャップを如実に示しています。

 人間の脳の機能や知能についての考察は、AIが自然界や他の生物と比較してどれほど優れているか、あるいは逆に劣っているかを考察する良い機会となります。そして、その結果として、人間とは一体何か、人間の存在や自由意志とは何かという哲学的な問いについて再考するきっかけとなることでしょう。
 
 逆説的に、これまでの哲学的アプローチでは解決できなかった問題が、AIを通じて考えることで解決の糸口が見えるかもしれません。

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