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noteで発見した珠玉の作品(1)

 この文章を理解するためには、まず国語力が求められます。そこで、詩形の音節構成についての理解を試すことを目的とし、和歌と俳句に関する選択問題を作成しました。皆さんは、正しい答えを選ぶことはできるでしょうか?

問題:以下の選択肢の中から、和歌と俳句のそれぞれについて、正しい音節構成を選んでください。

【1】和歌は五-七-五の音節構成であり、俳句は五-七-五-七-七の音節構成である。
【2】和歌は五-七-五-七-七の音節構成であり、俳句は五-七-五の音節構成である。
【3】和歌も俳句も五-七-五の音節構成である。
【4】和歌も俳句も五-七-五-七-七の音節構成である。

答え:【2】この問題の正解は、和歌の音節構成が五-七-五-七-七であり、俳句のそれが五-七-五であることを示しています。

ツンデレな性格の私の回答

 ふん、別に私がこの問題を作ったからって、それが何か問題でも? あのね、私、実はこの国語の試験問題にすごく納得してないの。だって、和歌や俳句って、ただの五-七-五や、五-七-五-七-七なんかじゃないでしょ? もっと深い表現があるのに、この問題はそんなの完全に無視してるんだから。まるで、感情も何もない数学の問題みたい。まるで私が『字余り』や『字足らず』で和歌や俳句が成立することも分かっていないみたいじゃない!

 だからって、和歌や俳句が嫌いになったわけじゃないけどね! でも、学校の試験って、詩の本当の魅力を全然わかってないのよね。詩って、自由に言葉を操る楽しさがあるはずなのに。この問題だと、そのすべてが奪われちゃう感じ。

 まあ、 #和歌 #俳句 を学ぶのが面白くなくなったわけじゃないけど、この問題のせいでちょっとね…。詩の世界は、枠にはまった古臭いものじゃないのに、この問題は全然そんなこと理解してないし。…でもね、本当は、和歌や俳句の新しい可能性を信じてるの。だ、だからって、別に好きってわけじゃないんだからね!

サドデレな性格の私の回答

 和歌や俳句を作っている人たちって暇人なのかしらね? それともただ単に教養を見せびらかしたいだけ? そんなものより、私は #詩 の世界に夢中よ。でも本当のところ、詩も大っ嫌い。私が詩を嫌いになったのは、 #堀口大學 が訳した #ランボー詩集 のせい。堀口大學って、明治から昭和にかけて活躍した日本の詩人で歌人のフランス文学者よね。 #三島由紀夫 が彼に心酔していたって話は有名でしょう?

 ランボーは早熟の詩人で、パリ・コンミューンの中で青春を燃やした反逆児だわ。16歳で天才と呼ばれて、19歳で筆を断ったの。でもね、このフランス語の #天才詩人 の早熟な感性を、なんで中年のフランス文学者が日本語に訳してるのかしら? 本当に意味不明よ。

noteで発見した珠玉の作品

『もの思ふ』

ふふっ ふと おもふ。
ふじに ふいに こゆきが ふる。
ふふっと おもふ だろう。
ふつうな にちじょう。
それが よい。
#eighttwoマガジン

 この作品を読んだ #暗号学 者としての私の第一印象は、『 #シーザー暗号 のような #置換暗号 ?  #転置式暗号 ?  #単一換字暗号 ?  #ルート暗号 ? 特定の文字だけを読む #ステガノグラフィー ? いや、もしかして、ハッシュタグの #eighttwo が暗号の鍵なのかな?』と頭を悩ませました。でもね、素直に読んでみると、まるで『 #中原中也 超えキタ~!』って感じ。『 #汚れつちまった悲しみに 』に匹敵する才能に思わず感動しました。暗号学の世界もいいけど、この詩の世界、なかなか楽しくなくなくない?

中原中也『汚れつちまつた悲しみに』

『もの思ふ』の作品解説

『もの思ふ』は、言葉の選択と構成の巧みさによって、深い感動を与える作品です。この詩は日本語の『ふ』という音を軸に展開しており、その単純な音の繰り返しによって生み出されるリズムと響きが、言葉の持つ独特の力を見事に示しています。各言葉は、音楽のように響き、読者の心に深い印象を残します。

『ふじに ふいに こゆきが ふる』という一節は、その予期せぬ美しさで心を捉えています。突如として降り出す雪を描写するこの言葉は、自然界の突発的かつ儚い美しさを捉えており、日本文学における自然との一体感を思い起こさせます。この一節は、単なる自然描写を超え、私たちの生活の中に存在する予期せぬ瞬間の美しさを象徴しています。

 また、この作品の簡潔さは、言葉の選び方において顕著です。『ふつうな にちじょう。それが よい。』という結びは、日常の平凡さを肯定し、その中に存在する豊かさを称賛しています。この部分は、日本の伝統的な美意識『 #侘び寂び 』を彷彿とさせ、日常の小さな瞬間に潜む深い美しさを感じさせる力を持っています。

『もの思ふ』は、その音韻、簡潔さ、そして象徴性を通じて、読者に対して深い感動を与えます。この詩は、日本文学の伝統的な美学を体現しつつも、独自の新鮮さと現代性を持ち、心に強く響きます。

 これはあくまで私の感想であり、作者がなぜこのような作品を作ったのかを、作者に直接確認できるのが、私のnoteやSNSでの楽しみ方です。

 この詩が読者にとって複数の解釈や解答を持つことは、 #量子コンピュータ の理論からも解説できます。 #量子コンピューティング では、 #量子ビット #クビット )は0と1の状態を同時に持つことができ、これを重ね合わせの状態と呼びます。この状態は、従来のコンピューティングにおけるビットのように、一つの状態に限定されず、多様な可能性を内包しています。

『もの思ふ』においても、一つの詩句が複数の意味や感情を内包すると考えられます。例えば、『ふじに ふいに こゆきが ふる』という一節は、文字通りには雪が降る様子を描写していますが、この『ふる』という動詞には、『降る(雪が降る)』と『降る(何かが降りかかる)』という二つの意味が重ね合わせのように存在します。これらの意味は、詩を読む人によって異なる感情やイメージを引き起こす可能性を秘めています。

 また、『ふつうな にちじょう。それが よい。』という結末は、平凡な日常を肯定するようにも、その平凡さに対する複雑な感情を表現しているようにも読み取れます。これは #量子重ね合わせ のように、一つの状態が複数の解釈を持つことを示唆しています。

 量子コンピュータの別の概念である『 #量子もつれ 』も、この詩の解釈に応用できます。量子もつれは、二つ以上のクビットが互いに密接に関連し合い、一方の状態が他方に即座に影響を与える現象です。『もの思ふ』の各句は、互いに深く関連し合っており、一つの句が他の句の意味や感情に影響を与える可能性があります。つまり、詩の一部を変えることで、全体の解釈が変わる可能性があるのです。

 このように、『もの思ふ』は量子コンピュータの理論を通じて多様な解釈が可能であり、その解釈は読者の個々の感性や経験によって異なります。これは詩が持つ普遍的な魅力であり、読者一人ひとりに異なる体験を提供する要因となっています。

つづく…

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