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誰かのようになんてなれない

「○○さんのように育ってほしい」

と言われたことがある。それは去年の9月異動の際に上司からの言葉。この話には続きがあって、今までやってきたことは全部無くして一から、要するに新人として先輩の言うことをしっかり聞いてほしいという内容だった。私の頭の中にはハテナがたくさんついて立っているのが精一杯。今までプライベートを削って懸命に働いていた。毎日遅くまで残業して家に帰った途端ベッドになだれ込むほどに。それでも泣き言は一切出さなかった、あの時の苦労があったからこそ今があると思える日がいつか来ると信じていたから。大変なことがあってもどうにか乗り切ろうと仕事仲間と一緒に何回も乗り越えてきた。少なからず、仕事への確かな手ごたえがあったのだ。


自分じゃない誰かにならないといけない。


私という人間がないものにされた感じがどうしても拭えなかった。心のなかは黒いものでいっぱいになっていたけれど、「分かりました」としか言えなかった。了承してしまった後には迷子になっていた。

何をしていても基準が自分ではないため、どうしたらいいのか全く判断できなくなってしまった。あの頃あった自信や決断力は木っ端みじんに消え去ってしまい、一体私はどこを目指していけばいいのか目隠しをしたまま前に進んでいるような感覚。
しかも○○さんは自分とまるで違って、要領がよく人当たりが上手な人。要領が悪く、だれにでもはっきりものを言ってしまう私には程遠い人物だ。そんな人にならないといけないって「どんだけ高いハードルなのよ」って1人で突っ込んじゃうくらい。

閉まっていた黒いものは私の中でどんどん大きくなっていきやがて意思をもって飛び出すようになった。何をしていても卑屈でマイナスにしか取れなくなり、仕事自体が嫌になる。やりがいがあった仕事だったのに。

心ない言葉って残酷だ。頑張っている人をいとも簡単にへし折ってしまう。あの時に感じた違和感は間違っていなかった。分かっていた、上司が私を見ていっていないことに。会社の歯車でしかない私をいいように利用しているだけだってことを。だから1ミリも響かなかった。

他の人になんてなれない。誰かの真似を意識してなんてできない。

そう思った。尊敬している人だったら自然に観察して、分析して取り入れたりはする。でも、心が動かされなければ真似しようとは思えない。なりたいって気持ちは人に言われてすることではないこと。

「○○さんみたいに」「一からやり直し」傍から見ると引っかかる言葉ではないのかもしれない。言われた当人からすると今までのやり方はダメだとレッテルを張られたも同然だ。そんなに粗末なスタイルで仕事をしていたのだろうか?今までの私はダメだったのだろうか?

自分の体験から言えることは絶対に人とは比べられないということ。だって私は私だもん、他の誰でもない。いうことを聞いてほかの人になろうとしても決して完コピはできない、目に見えていることが全てではないのだから。

真似をするのではなくその人のいいところを伸ばせるような言葉を伝えたい。”らしさ”を見つけてもっと引き出せるように提案していきたい。人の思いを汲み取るってそんな大げさなことはできないけど、良き理解者にはなっていければなぁと思う。


最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!