見出し画像

1人の時間が寂しくなったのは、きっとあなたのせいです。

朝起きると、彼の姿はもうなかった。1人きりのリビングは静かで少しひんやりとしている。まだ覚醒できていない脳はぼんやり一点を見ていて、寝室の時計は9時を指していた。また今日が始まる。


最近は専業主婦になっているけど、奥さんの役割を何もこなせていないことに罪悪感でいっぱいだ。特別おいしいごはんを作るわけでもないし、掃除の行き届いた家にできない。今日のように朝も仕事に出ていく旦那さんを見送ることもできていなかった。身体を起こして早々、深いため息をつく。
こんな姿を見たら古風な母に説教を食らうレベルだろう。


子どものいないわたしたちは咎めるものがない。忙しいのもあったけど仕事に費やす時間のほうが多かった。新婚生活はあっという間に過ぎてしまい、お互いの存在を知りつつも愛情表現をすることもなく"普段"を共有する生活。なんの刺激もない毎日。

わたしの思い描いていた結婚生活はこんなものだったのだろうか。



結婚という呪縛

"結婚"というのはだれもが憧れるもの。わたしも大好きな人とかけがえのない時間を過ごすことを夢見ていた。周りの同級生に遅れながらも35歳で結婚する。これからは夫婦として一生を歩んでいく。大事な存在である彼と一緒になれたことが嬉しかったのは本当の気持ち。でも、自由な独身を満喫していた20代、気づけば30も半ば。長い間1人で生活していたためすっかり誰かと一緒にいることが窮屈になっていた。大好きな人でさえも一緒にいるときにふと思ってしまう。

「1人でどっかに行きたいな」と。

少し億劫になるのはわたしが周りに合わせることが出来ないから感じることなのだろうか。何か見えない鎖で繋がれて身動きが取れないようだった。こんな贅沢なはなしはない。大事な人と離ればなれでいたり、大事な人がいなかったりする人も世界中にたくさんいるのに。よっぽど恵まれている環境にわたしはあぐらをかいていた。

彼が悪いわけではない、毎日をつまらないものにしているのは間違いなく”わたし”だった。

1人きりのリビングでわたしは朝ごはんを食べていた。いつものように昨日の残り物を胃に流し込んだ。役目をはたしていない罪悪感を感じてはいるのに、身体が重くてやる気がしない。世間は日曜日というのに彼は仕事に行ってしまった。そういえば最近一緒に遊びに行くこともなくなった。いつまでも恋人同士ではいられないみたい。



寂しさと窮屈の天秤

一緒にいると窮屈に感じるのに、1人でいると寂しくなってしまう。昨日は1人の空間が安全なものと言っていたのに、まるで反対のことを言っている。それほどわたしはわたしのことを分かっていない。
昔はいうほど寂しくもなかったし、1人遊びも楽しめていた。最近どこに行っても楽しめていない自分がいる。それはあなたと一緒にいることが楽しいと知ってしまったから。あなたのそばにいることがわたしの喜びになっていた。

寂しさと窮屈を天秤にかけたら今でもどっちに傾くのかその日の気分で変わると思う。でも根底にはやっぱり二人でいることがわたしの幸せの時間になっている。

難しいね、人付き合いって。

最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!