ストラテラ2年目。仕事と生活がガラリと変わりました。

ストラテラを始めてから、
今日でとうとう2年が経った。
結論で言うと私は生まれ変わっていた。

2年前、私が病院に行った頃のことから簡単に説明したい。
新卒(一般雇用)で入った会社で、虐めがキツいと評判の部署に配属された。
さっそく配属当日から無視をされ、仕事を教えてもらえなかった。
そのうち私のケアレスミスを理由にして、奴隷のような扱いを受けるようになった。(仕事を押し付けられる、やってないミスをでっちあげられる、休みをもらえない等)
毎日罵られていたため、自分はゴミ屑に等しいと洗脳状態になり、「転職しても私はポンコツだからどこに行ってもうまく行かない。ここ以外に勤められる職場などない。私がこんなに罵られたり意地悪されたりするのも私が悪いせいだ」などと本気で思っていたため転職を考えられなかった(そもそも転職したくても気力もなければ、お金もなかった)

しかしストラテラに出会い1年経った後、少しずつ周りへと目を向けることができるようになった。
少なくとも、職場で私自身が悪いと思っていた問題も、相手に過失があることが分かった。
ずっと鬱状態が続き、休日も寝たきりの私だったが少しずつ身体を起こせる日が増え、とうとう転職活動を始めることができるようになっていた。
とは言っても1ヶ月半に一回応募する頻度でゆっくり、ゆっくり転職活動を進めていった。
どの求人もWeb面接や動画面接なので自宅さえ出ていないのだが、それでも私には大きな一歩だった。

さて、転職するとして迷ったのは一般と障害者雇用どちらにするかだ。
これに関しては相当悩んでいた。
なんせ、私が働いてきた職場では障害者はゴミのような扱いをされていたし、ネットで書いてあるような『理解のある職場』要素など1ミリもなかったから。
それに1番難があったのはお給料の安さだった。
障害者求人の相場を考えると、一般雇用で働いている今のお給料より大体5万円ほど少なくなってしまう。
そんな額ではとうてい生活はできない。
(じゃあ結局一般雇用しか選択肢ないじゃん!でも一般雇用でやっていける?次の職場でも同じようにケアレスミスを理由に干されたら?それだったら今の職場でこのまま頑張った方が楽なんじゃない?いやでも毎日死にたくなりながら仕事続けるの……?)
こんなことをぐるぐる毎日考えていた。

そんな折、さまざまな問題が発生してしまう。

①毒親問題
私にはどこに出しても恥ずかしい父親がいる。
私が小学生の頃、両親は離婚し、私は母の方へ引き取られたのだが、それから15年以上経つのに未だにしつこく私に付き纏っていた。
ちょうど私が転職活動を始めたタイミングで、ストーカーまがいの行為に拍車がかかり、警察や弁護士に相談したり、自分で内容証明などを送ったりすることとなった。
執拗な手紙と電話攻撃、さらに職場と家の周辺をウロウロされたり、職場に電話をかけられるなどの嫌がらせにメンタルが限界になった。

②確定申告
職場には障害者であることを隠して働いていたため、手帳の税金控除を受けるためには確定申告でちょっとややこしい手続きをしなくてはいけなかった。
さらに医療費の控除のために多くの領収書をまとめなくてはいけなかった。

③障害者年金の申請
初診からちょうど一年半経ったので、申請が可能になった。
診断書の用意や、自分の生まれた時からの様子をこと細かくまとめた書類などを提出しなければいけなかった。
とにかく自分の社会不適合感を分かってもらうために、辛い記憶を思い出し、こと細かく書いた。
そのたびに「ワーッしにたいー!!思い出したくないー!!」と転げ回っていた。

以上。
このような様々な課題が一気に発生した。
日々の生活でさえしんどいのに、毎日の仕事+転職活動+父親の付き纏い被害+確定申告+障害者年金申請が重なり、毎日夜遅くまでなにかしらの書類を書く作業を行なっていた。
簡単に言うと、私の精神は限界の限界の限界ィィ!!だった。


流れが変わったのは、とある求人を見つけた時だった。
ハロワにあったその求人は、障害者雇用にも関わらず、お給料もボーナスも年間休日も福利厚生も、なにもかもが今の職場より良かったのである。
もちろん、そんなうまい求人は倍率も高かったし、私みたいな陰キャにはどうもハードル高いなとは思ったが応募しない選択肢はなかったので秒で応募した。
この求人に全てをかけるつもりで、面接練習をしよう!そう思っていた。

ただし、『頑張ること』が簡単にできれば苦労しないのである。
私の発達特性と鬱によってどうしても面接練習を行うことができなかったのである。
ずーーーーーっと寝たきりのまま過ごしていた。
心では頑張りたい気持ちがあるのに、トイレに行くことでさえ億劫で動けなかった。
それでも比較的身体が動く時には、なるべく面接練習やSPIの勉強をするよう心がけた。
岡崎律子さん作詞作曲の『good luck』に「誰にだって用意されている1番輝ける場所。でも待ってちゃ来ないから自分で動き出して」という歌詞を糧に、「自分が幸せになるために自分で行動せねば!」と死にたい気持ちや不安な気持ちに苛まれながらも自分なりに精一杯やっていた。

その甲斐があって(?)2020年5月、運良く希望していたその会社に内定をいただくことができた。
更にまさかの障害者年金3級が通り、年金をいただけることが決まった。
更に更に転職に合わせて家を買い、引越しすることで父親の付き纏い被害から逃げることができた。
全ての問題がどんどん解決していくので逆に不安になるほどだった。

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◆ストラテラを飲んで2年の間に変わったこと◆
・障害のある自分を少しずつ受け入れられるようになった。
・障害者手帳を貰って、税金控除を受けられるようになった。
・障害者年金をもらえるようになった。
・転職活動ができるようになって、実際に転職できた。
・年金とお給料で収入が増えたため、全体的な生活水準が上がった。
・障害者雇用のおかげで、上司が配慮してくれて、居心地良く仕事ができ、自分の力をうまく発揮できている。
・仕事でほとんどミスをしなくなったため、今は自分の障害を意識しないで暮らしている。


最後に、もし私と同じような境遇の方がいたら伝えたい。
あなたが責められることがあったとしても、あなただけが悪いんじゃない。
もし身体が動かなくて何もできない時があっても、それはいつも頑張ってる証拠だよって思う。

もし、いま仕事が辛いのであれば転職も悪くないと思う。
たしかに転職は不安が大きいけど、自分にあった会社は絶対にあるし、障害者雇用ではちゃんと配慮してくれる会社は存在する。
何事も無理せずに頑張る、が1番だけど、『無理せずに』は結構難しい。
だから努力の方向をしっかり決めて、その努力が本当に自分のためになるのかは見極めなくちゃいけない。
私みたいに「ブラック企業でも耐えて仕事をする努力」のような間違った方向の努力はもったいないし、何も生み出さないもの……。

私はストラテラが無ければこんな良い生活を手に入れることはできなかった。
3年後はもっと素敵な人生になるよう、あともう少し頑張るぞ。

20代半ばでADHDの診断を受けました。現在はストラテラを中心に薬を服用し、なんとか生き延びています。