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【エッセイ】【緊急投稿】【#参院選2022】「自分の考えに対して素直に。だからこそ言論で、投票で表現しよう!」

 はじめに(「人間として大切なこと」があると、自分は思っている)

 あなたとは、思想・価値観・考え方で「真逆」でした。
 正直、「永遠に交わらない」といってもよいでしょう。
 「複眼的な目線」で社会を捉えることを、ずっと心掛けている。
 でも、だからこそ、自分が共感を覚えるのは
 「家庭や地域の出自に関係なく、意欲ある人間が『志』を叶え得る社会。」
 そう強く思ってる。だから「まっとうな政治」「まっとうな社会」、それが叶う景色を、正直強く願ってる。

 あなたとは思想が「真逆」で、「永遠に交わらない」、より深く踏み込めば「生理的に受け付けない」といってもよい。
 でも、自分が「東日本大震災」の復興支援活動、社会貢献活動を通してのいくつもの出会いを通して、「人間として大切なこと」として学んだことが、いくつもあります。


 【自分が大人になって学んだ「人間として大切なこと」。】
 「100人いれば、100通りの個性がある。」
 「共感はできないけど、理解はできる。」
 「異なる考えに、耳を傾ける。」
 「違いを認め合い、本音で向き合う。」
 「物事を『自分ごと』として考える。」



 初めて東北を訪れたのは、「2011年9月」です(南三陸、石巻。いずれも宮城県です)。
 当時の自分は「27歳」。社会人を経て、2回目の大学生になった年でした(尤も通信制ですけど。つまり「大学→社会人→大学」です)。
 というか、「東日本大震災」の当日(2011年3月11日)は、2回目の大学の入学に向けた手続きに追われていた感じでしたので。

 その帰りに、所用で立ち寄った、阪急梅田駅のビッグマン。
 19時。当時は「NHKニュース7」が流れていました。
 閖上(宮城県名取市)の津波の映像。とてもショックでした。
 「何かしたい、いや何かしなければ。あのときたくさんの人間に支えて頂いたのだから、今度は自分が恩返しをしよう。」


 阪急梅田駅。自分にとっては、いろいろな思い出が詰まった「特別な場所」の一つです。まあいまでも、茶屋町のジュンク堂書店(西日本でno.1の大型書店です)を利用するときなどで、重宝してるんですけどね。
 「あのとき」とは、「阪神・淡路大震災」(1995年1月17日)。
 当時、自分は小学4年生、西宮(兵庫県)に住んでいました。

 いずれ機会を持てるときに、「阪神・淡路大震災」の被災経験のことはこのnoteで綴れればと思ってますけど、ここでは割愛です。
 ですけど、「阪神・淡路大震災」の被災経験は、自分自身の「心の原点」になっています。

 で、初めて訪れた東北。特に、南三陸の景色。
 映像で観るのとは、「似て非なる感じ」であった。自分自身の眼で、肌で感じる景色は、いわば「とてつもない衝撃」でした。
 特に、歌津駅の「ひしゃげた線路、ホーム」。
 電車(鉄道)が大好きな自分にとって、とても悲しい景色でした。

 そのときから2015年3月まで、3年半ほど、延べで10回、東北を訪れました(後に2019年9月に、4年半ぶりの東北訪問をしてます)。
 「あのときの自分への、恩返しがしたい。」それが出発点としてあった、自分にとっての東北。でも自分にとっての東北は、「自分自身の人間的な成長の場」になったのです。
 「自分にとっての東北」は、「阪神・淡路大震災」の被災経験と同様に、いずれ別途機会を持てれば綴りたいの感じですので、ここではこれ以上の深入りはしませんけど。


 で、社会貢献活動での出会いを通して「特に学んだこと」を5つ挙げました。その中でもとりわけ、

 「共感はできないけど、理解はできる。」
 「異なる考えに、耳を傾ける。」
 「物事を『自分ごと』として考える。」

 これを強く考える訳です。


 「思想の違い」があるからこそ、「言論」「投票」で表現するのが筋道でしょ?

 「あんた、やったのね。あんたいい加減にしなさいよ。暴力に訴えてあの人の命を葬れてこれで満足?
 
あの人とは思想が真逆、確かにそうよね。交わらない思想を曲げるつもりはない。
 
でも、思想が異なるからこそ耳を傾けることは同じくらい大切だわ。たとえあんたがバッジを外しても、私は、最期まで言論を貫く姿を見たかった!

 あんたを大嫌いって言ったのよ。
 
あのような最期なんて望んでないわ、ほんとむかつく。あんたが暴力に訴えるなら、無理にでも言論や投票で表現してあげるわ。
 
たとえ思想が全く交わらなくても、耳を傾けることが人間として大切なことって言ったわよね。それが民主主義よ。残念だったわね。

 あっそ。じゃあそうやっていつまでも塞ぎ込んでいなさい。うじうじうじうじと。やっぱあの人ともあんたとも永遠に交われないわ。それでも、あたしはあの人の情熱は認めざるを得ないと思ってるわ。あたしとあの人じゃ勝負にならない。は?思想が真逆って言ったわよね?あの人とは確かに交われないけど、日本社会に生まれてよかったと思ってる。なにそれ、冷静に考えなさいよ、日本人よ!日本社会をよりよくしたい想いでは交わってるに決まってんじゃん!



 この、昨日(7月8日金曜日)の、安倍晋三さん(元首相)の暗殺事件について、「自分のありのままの気持ち」を、いま綴らせて頂きました。
 「あの人」とは「安倍晋三元首相」、「あんた」とは「犯人(名前を出すことも現時点ではおぞましいと思ってます)」のことです。

 口調・表現については、「あるアニメキャラ」の名言のオマージュと解釈して頂ければです。




 「中野二乃」。『五等分の花嫁』というアニメ(及び漫画)の「五つ子ちゃん」の一人です。いま、アニメ映画が公開中で(5月20日が公開初日)、自分、この作品に目下「ドハマり」していて、「4回」鑑賞させて頂いてます。
 テレビアニメ版の「2期11話→2期7話→2期12話」のそれぞれの二乃の名言をもじらせて頂いた、という感じになってます。


 ・「あの人」と自分は、「思想的には真逆である」。
 (→「交わらない」と言い切ってよいし、「ほとんど共感できない」。
 ちなみに、櫻井よしこさんに対しても同様の感じ。)
 ・でも「あの人」の情熱は「ほんもの」であった。それは素直に認められて然るべきかと。
 ・「思想が真逆である」、だからこそ「言論・投票で『NO』を突き続けたかった」。思想が異なるからこそ、言論・投票で表現することになおさら意味があると信じてる。だからこそ、「あんた」の今回の暗殺は「人間として最悪にむかつく」。
 ・いまの日本社会は「ギスギスしている」と正直映ってる。でもやっぱり、「日本社会に生まれてよかった」と思えてる。野球とかアニメとか鉄道とか、世界に誇れることがいくつもあるから。



 言いたいことは、正直いろいろとありますけど、趣旨としては、およそいま示させて頂いた感じです。
 自分は、1回目の大学時代、専門が「政治学」でした。卒業研究で、「55年体制」の関連文献を数十冊読み漁ったのは、自分の人生の誇りの一つです。




 懐かしいなあ、という文献です。「社会主義協会」(向坂逸郎)、「江田ビジョン」(江田三郎)とか。




 あるいは、この『自省録』(中曽根康弘さん[元首相]の自伝)も、とても示唆に富んでる本です。


 実は今回の暗殺事件。カフェで仕事をしながら、ツイッターを開けたら、「安倍元首相」「安倍さん」とトレンドに出てきていて、「安倍さんが何か発言したのかなあ?」と思ったんですよね。そしたら…、です。
 言葉を失いました。「信じたくない」が、素直な気持ちでした。


 「思想が真逆だからこそ、とても悔しい。」
 これは自分の、「ありのままの素直な想い」です。

 たとえ「思想の違い」があろうとも、いや「思想の違い」があるからこそ、正々堂々と言論・投票で想いを表現すること。それが「民主主義」の本来の望ましい形であるはずでは。自分は、そう強く信じてます。


 中曽根康弘さん。宮澤喜一さん。石原慎太郎さん。森喜朗さん。亀井静香さん。
 共感できるかは別として、命が尽きるまで(森さん、亀井さんは健在ですが)、熱弁を振るい続けた。特に中曽根さんは、死の直前まで(足腰はその数年前から衰えを隠せなくなっていたが)、頭脳は「ぴんぴん」であったといわれています。いわば「情熱」は最後まで衰えませんでしたし、最期も老衰によるもの、いわば「大往生」。
 安倍晋三さんも、数年後に引退した後も、熱弁を振るい続けるのだろうと想像し続けてました。こんな最期になるなんて、あまりにも悲しい。

 あなた(安倍さん)のことは、最期まで「大嫌い」だった。
 でも、あなたは確実に「信念の人」であった。そう強く伝えたい。




 先程、櫻井よしこさんの名前を、少し出させて頂きました。
 安倍さんと同様に、「思想的にほぼ真逆、ほとんど交われない」と。
 で、櫻井さんは、『プライムニュース』にコンスタントに登場してます。
 「日程が合えば」になりますけど、櫻井さんの登場回は、できるだけ聴くように心がけてます(「野球のオンシーズン」のときは、我が家では「野球が最優先」になりますけど)。

 「思想の違い」、自分にとって櫻井さんはこの象徴的な存在です。
 でも、「思想的にほぼ真逆」だからこそ、学べることがある
 学べることを見出せたとき、それは自分の「視野を拡げる」ことになる
 自分は、そう強く信じているのです。


 繰り返し述べます。自分は、安倍さんの思想には「ほとんど全く共感できない」。でも、だからこそ、悲しいし悔しいのです。正直「とてつもないショック」でした。
 こんな最期は、最悪にむかつく。中曽根さん、石原さんのように、最期の時まで熱弁を振るい続けて、大往生で終えて欲しかった。
 そう、「暗殺」「テロリズム」。この社会で考えられ得る「最悪レベルの残虐」です。


 話を少し変えましょう。




 先程、『五等分の花嫁』の二乃ちゃんについて、少し触れました。
 「はっきりと物事を伝えられる」「いつだって一直線」。それが、自分が考える「二乃ちゃんの魅力」です。
 で、二乃ちゃんの担当声優。「竹達彩奈さん」です。
 愛称「あやち」。先日に妊娠を発表しましたけど、現役でだと「日本を代表する女性声優の一人」といってよいでしょう。その中でも『五等分の花嫁』は、竹達さんを代表する作品といってよいと思います。

 で、竹達さんの特徴の一つに、「『食』、特に『肉』への情熱」があります。
 これが影響してるのか、2014年に「吉野家」、2019年に「日本マクドナルド」のCMに出演を叶えてます。


 何故、「食」に言及させて頂いたのかというと、いまの日本社会が直面している「社会的課題」の一つとして、

 「物価高」「食品ロス」「アレルギー対応」

 「食」に関係してでだと、この3つのことがあります。
 いずれのことも、いわゆる「SDGs」に直結することでもあります。
 正直、とても強く考えさせられることです。


 「若い世代の政治参加」の鍵は「自分ごと」「当事者意識」では?




 今回のnote記事のトップ画像。
 今回の「参院選2022」に向けての、愛知県選挙管理委員会の、(オリジナルの)アニメキャラのポスターです。

 『ラブライブ』。『ソードアート・オンライン』。
 『君の名は』。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』。
 『鬼滅の刃』。『呪術廻戦』。『五等分の花嫁』。

 いま、2015年以降に「社会現象、あるいはこれに準ずる大きな話題になったアニメ映画」を挙げました。
 アニメは「日本が世界に誇れる文化」の一つです。
 ですけど、かつてはアニメは「子どものため」であり、「大人のアニメファン」は、あまり認識されてませんでした。それどころか、自分の子ども時代は、「アニメは教育に悪い」と真顔で言う親御さんや先生がマジでいました。実際自分も、2015年の『ラブライブ』との出会いで「アニメ好きという『ほんとうの自分』」に出会うまでは、無意識的に封印していた感じでしたので。


 それが、ここ数年、はっきり述べれば『ラブライブ』が大きな転機になったように映りますけど、「大人のアニメファン」が公然化した(存在を肯定できるようになった)。『君の名は』、『鬼滅の刃』のすさまじいヒットは、この「日本社会の変化」(より厳密には、日本社会が「大人のアニメファン」の居場所を肯定できるようになった)が大きいように映ります。
 そう、アニメに訴える意味で、愛知県選管の啓発方法は「ロジカル」と映るのです。「現代っ子」に訴え掛ける方法として、「とても理に適っている」と。


 で、アナウンスに起用したのが、「佐倉綾音さん」。
 「あやねる」の愛称で親しまれている、若くして日本を代表する女性声優です(実績豊富ですけど、まだ「28歳」です!)。
 確かに、現役の第一人者である。でも、佐倉さんの出身は東京です。
 愛知県は、実は「芸能人王国」(ちなみに福岡県もです)。
 でもそれで、何故出身が東京の佐倉さんを起用なのか?




 理由は、佐倉さんは、『五等分の花嫁』で「五つ子ちゃん」の一人、「中野四葉」を演じていますけど、この『五等分の花嫁』の聖地が、「愛知県東海市」、特に「太田川駅とその周辺」といわれています。
 それは、『五等分の花嫁』の作者(春場ねぎさん)の故郷が、愛知県知多市だから、聖地が愛知県であると(公式には聖地は明言されていないが、今回の佐倉さんの起用は「聖地=愛知県」を認めたようなものといえる)。
 勿論シンプルに、佐倉さんが「女性声優として第一人者だから」も大きな理由の一つでしょう。「あやねる」という愛称は、聴いたことがあるという人間は一定数いるかなと想像する意味でも(実写でいう「ガッキー」の新垣結衣さん、「深キョン」の深田恭子さんのように)。


 こうして「アニメキャラ」に訴え掛けるのは、「若い世代の政治参加」で、プラスな方法の一つであると思います。
 ですけど、「若い世代の政治参加」において、それ以上にとても大切なことは

 「社会での物事を『自分ごと』として考える姿勢をどう育むのか。」
 (→言い換えれば「当事者意識」をどう育むのか。

 これがとても大切であるように思うんですよね。いわば「想像力をどう育むのか」ということ。
 「当事者意識」を育むこと、いわば「Aという物事について、自分がその立場ならばどうするだろうか?」という意識を地道に粘り強く育むことであると思うんですよね、それが「主権者教育」にも直結し得るのでは?と。


 社会全体で「若い世代」を応援できること、それを具現化できる社会の構築が必要!



 いまリンク添付させて頂いてるのは、あくまでも一例ですし、Twitter(ツイッター)でだと、積極的に発信をしている若い世代をみかけます。




 一つ、とても印象的なニュースであるので、リンク添付をさせて頂きます。
 「気候変動」。もともと自分も特に関心事の一つですけど、今夏は早くも「すさまじい酷暑」で、より一層の関心事です。
 いまの日本は「脱原発」と「脱炭素」の「二兎を追う」ことが求められていると映ります(どちらも必要だけど、自分は「脱原発」がより優先であると思ってます。「脱炭素」は、「再生可能エネルギー」が進んでからがより現実的だろうなあと)。

 「再生可能エネルギー」。いろいろな方法がありますけど、どうすれば普及できるのか。というか「脱原発」と「脱炭素」の「二兎を追う」ためにより望ましいアウトラインとは?と。
 このことこそ、「社会全体で考える」ことがとても望ましいと映るのです。




 「意識高い系」という言葉。自分が「最も強い違和感を感じる言葉」です。ちなみにこの言葉、「日本独特の言葉」であるとのこと(勿論、悪い意味で!)。
 一人の人間としては、「意識高い系」という言葉がまかり通る社会自体が「最悪にむかつく、狂っている」と正直感じてます


 で、日本の場合、せっかく若い世代が「社会をよりよくしよう」と積極的な発信をしていても、次の国政選挙のときには、「あれ?この人、発信が止まっているよなあ…」というケースが結構多くあるように映るのです。「継続的な発信を続けられているのが限定的であるように映る」という表現がより適切かもしれません。

 若い世代の魅力、素晴らしさは
 「まっすぐな信念」「鋭く柔らかい感受性」
 であると映るのです。これが、社会に活力を生み出す原動力になり得る。


 だからこそ、強く感じるのです。

 「社会全体で『若い世代』を応援できること、それを具現化できる社会を叶えようよ!それこそが『民主主義』であり、『自由闊達な言論』を生み出せるんだよ!」

 こう強く伝えたい!




 いま挙げた2冊の本。自分が1回目の大学時代に愛読させて頂いた本ですけど、「より望ましい社会」「民主主義」が問われているいまだからこそ、より意義のある書籍、と映ります。




 いま、リンク添付させて頂いた、辻愛沙子さんのツイート。
 自分も、とても強い共感の想いを抱きます。

 ちなみに自分は、既に「6月30日木曜日」に、「期日前投票」を済ませてます。
 小選挙区は「死票」覚悟で入れました。比例区は、投票行動は早々に決めていましたので、「自分の心の声」のままに入れました。

 で、自分は国政選挙、勿論「皆勤」ですけど、実は「白票」の経験が複数回あります。
 そう。「白票」も「れっきとした投票行動、自己表現」だよ!と伝えたいのです。

 「白票」は「自己表現の1票」である。でも「棄権」は「自己表現の放棄で、無価値な0票」になると映るのです。


 「共感はできないけど、理解はできる。」
 「社会全体で『若い世代』を応援できる。」
 「家庭や地域の出自に関係なく、意欲ある人間が『志』を叶え得る社会。」



 この想いを、強く感じます。だからこそ、強く伝えたい。

 「自分の考えに対して素直に。だからこそ言論で、投票で表現しよう!」

 魂を燃やしながら、「7月10日日曜日、20時」、開票速報に臨む想いです。


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