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叫んでも叫んでも

ここには音という概念がまるでないみたいだ。だって、叫んでみたって、誰も見向きもしないから。音がないのか、いやそれとも自分そのものがないのか。自分には何の音も聞こえない。なら、叫べば、他の人には聞こえてるのか、分かるはずだ。そう思って叫んだ。気が狂っているのか。喉が痛くなるほど、叫んだ。でも、その叫び声は自分に届いていないから、本当に叫んでいるのか確証はない。叫んでいるつもりだけれど、でももしかしたら喉を痛いほど震わせているだけで、音は発されていないのかもしれない。


今、世界は不確実だ。文字に書いて、誰かに聞いたらいいかもしれない。わたしの声は聞こえていますか?聞こえていませんか?と。恋人にメッセージして、会いに行けばいいかもしれない。わたしの存在は消えてないよね?と、聞けばいいかもしれない。


けど、それすら怖かった。もし、尋ねてみて、誰も自分の存在に気づかなかったら? どうする? 私はどうしたらいい? 悪い想像が先走り、その恐怖から話しかけるのがはばかられた。


わたしは、いるのか、いないのか。そこが問題である。もしかして、今の今までは、ただ自分が存在していると勘違いしていただけだったのかもしれない。はじめから自分は存在さえしていなかったのかもしれない。夢から覚めただけなのかもしれない。


ここに至った経緯、それは考えるだけ無駄だった。わたしが今叫んでいること、この今しか私にはなかった。過去、そして未来も、この叫ぶという現在が延長されているだけだ。だからこそ、わたしは過去を振り返って、この状況を分析することも、未来を思って次のアクションを起こすこともできなかった。叫ぶ、この今だけが永遠のように、私の全てだ。わたしという存在は「叫ぶ」に集約される。「叫ぶ」以外ではありえない。


永遠にきっとこのままだ。わたしは叫んだ。

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